(1)   日米民主党政権の1年           2011.2.13

                              木下秀人

 日本の民主党、鳩山首相から菅首相へ

自民党をぶっ壊すといって、派閥領袖でもないのに政権を握った小泉さんの主張は、経世会支配=郵便貯金を原資とする公共投資による政治支配の打破だった。それは自民党の政治支配の根幹であったが、既に財政上の限界に来ている手法でもあった。金融問題は小泉さんの専門ではなかったが、竹中さんという人がうまく処理した。郵政全体の民営化は、小泉さんも竹中さんも未知の領域だったから、未だにくすぶる余地を残してしまった。財政赤字問題は、小泉時代に既に明確になり、消費税引き上げが日程に上がっていた。支持率の高い小泉さんは任期中の引き上げを拒否し続け、後継内閣はバトンを受け継げなかった。

ぶっ壊された自民党内の反対勢力の台頭に小泉政権が揺らいだ時、民主党も、その改革路線を引き継ぐことが出来なかった。この党は、主義主張を同じくする集団ではなく、雑多の政治勢力が、「政権奪取」を旗印に集まったに過ぎなかったからである。

政権を獲得した民主党の二人の指導者、鳩山氏の背後に母堂の拠出した多額の政治資金の闇があり、額において自民派閥領袖をも上回る小沢氏の政治資金は、適法性を疑われている。鳩山氏の沖縄基地問題への軽率な対応は目を覆わんばかりで、引き継いだ菅内閣の政権運営に巨大な打撃を与えた。   

しかし、二大政党制の発祥地英国でも、1924年1月に成立したマクドナルド労働党政権は、準備不足で10ヶ月しか持たなかった。5年後の再登場は世界大不況の荒波にもまれ、「危機の20年」を挙国一致内閣で保守党につないだ。フェビアン協会の伝統を継ぐ英国労働党が、労働党らしい政策を実現するには、世界大戦後のアトリー政権まで待たねばならなかった。

わが国の民主党は、反自民といいながら、小沢一郎という元自民党幹事長の率いる集団から自民党時代の野党=社会党系まで含む雑多な集団で、黒幕小沢の目標は政権奪取。民主の人材不足から自民との大連合を策したがならず、小泉後の自民政権の支持率低下の実態を踏まえ、選挙目当ての大衆迎合政策を続々打ち出して鳩山政権を誕生させた。しかし鳩山・小沢という二人の幹部の政治資金疑惑に、鳩山氏は政治倫理審査会出席決議を無視し、小沢氏は幹事長・首相の重ねての出席要求を拒否、党内を二分する争いは年を越し、予算審議も絡む内閣改造含みで決着はつかなかった。

最悪は自民党が日米交渉で積み上げた沖縄基地問題を、「最低でも縣外移転」という無責任発言で行き詰まらせてしまった宇宙人鳩山氏。交替した菅氏に、中国が日米関係の隙間を見越して尖閣諸島問題を蒸し返し、情報漏えい問題まで発生し、未熟な政権は右往左往のあげく関係2閣僚が問責決議される始末。更迭しないでは審議に応じないという野党勢。多数派工作に乗ってくれそうだった公明党が嫌う人物の叙勲で折角の芽をつぶすおろかさなど、未経験領域とはいえあまりに軽すぎる。小沢氏の出方、問責された幹事長をどうする、予算はどうなる、与党の混乱。政権交代を睨む自民党は、このままで「救国大連立」に乗る可能性はなかった。

ばらまきマニュフェストにしばられて民主党政権が殆ど手をつけなかった財政問題。ギリシャ、アイルランド、スペイン、ポルトガルといった欧州の債務超過国と異なり、わが国の国債は殆どが国内で引き受けられ、わが国は最大の対外資産を有し、経常収支は黒字を維持している。そこに円高の原因がある。しかし、GDPに対する国の債務残高は世界一、これを後代に残すわけには行かない。

年が明けて菅内閣は改造で、自民党財務大臣で除名され、たちあがれ日本に移り、離党した与謝野氏を経済財政相に迎え、法務相に元参議院議長江田氏を、代表代行に移った仙谷官房長官の後任に枝野氏を、官房副長官に大蔵官僚出身で政務・財務のベテラン藤井氏を迎え、与党野党一致しての財政・社会保障改革を呼びかけた。

しかし菅内国の短命を見越す自民・公明は、3月末の予算成立の危うさを踏まえ、4月の地方選挙に有利な状況確保に懸命で、挙国一致・救国政権どころか、与党に手を貸す気配さえ見えない。民主党が野党時代に取ったパターンそのまま、自業自得といえばそのとおりといわざるを得ないが、議会が真に論議の場となりうるであろうか。

 

2 米国の民主党、オバマ大統領の1

日本の民主党の無残な1年に対し、オバマ大統領は、公約であり永年の悲願であった医療保険法を成立させ、ロシアとの核軍縮条約もロシア側の批准を待つばかりとなった。医療保険については、共和党の主流となったティー・パーティーの廃止法案が年初の下院に提出される。共和党はこの成果を潰すのであろうか。

 同じく公約だった中東和平問題は、イスラエルの強硬な姿勢の前に殆どなすすべなく終わった。むかし米国で被圧迫民族として民主党の支援を受けたユダヤ人は、今や米国の政治・経済を動かす有力な存在となり、イスラエルを支えている。国連の決議を踏みにじり占領地に居座り続けるイスラエルに武器援助を継続する米国であるが、イランの核開発を巡りイスラエルによる軍事行動も懸念される。オバマ政権にイスラエルに譲歩を促す秘策はあるのだろうか。

イラクからの米軍撤退は、イラク政治諸勢力の合意が成立しうまくいきそう。しかしアフガニスタンからの撤退は、カルザイ政権の弱体に加え、パキスタン政権にも問題ありうまくいっていない。これは前政権の仕掛けた無理筋の戦争の始末だが、それにリーマン・ショック後の不況による失業率の高止まりが、中間選挙の大敗の原因となった。

金融工学を駆使して低所得者向け住宅融資のブームを起こし、その債権を世界中にばらまいて荒稼ぎした金融業者を救済さえした共和党政権だった。オバマ政権は早速金融規制法案を練り、FRBとの連携の下、日本の経験を踏まえつつ多量の流動性供給で株価を上昇させ、住宅価格上昇、消費回復を狙った。しかし住宅価格が上昇し、個人負債が減少、失業率が改善されるまでには数年がかかるであろう。

 そもそもオバマ氏の当選自体が、イラク問題の混迷とリーマン・ショックというブッシュ政権への逆風に依存した。そのマイナスの影響を受けるのは後継者として避けられないこと。戦後初めての大不況下で失業にあえぐ白人中間層の不満を、反オバマに振り向けたのがティー・パーティー運動だった。

しかしアリゾナ州の民主党下院議員への若者の乱射事件は、ティー・パーティー運動の過激な扇動の批判を招き、追悼集会での国論分裂回避のオバマ演説も立派で、ブッシュ減税を延長した中道への路線変更もあり、2年後の再選に向かって足取りを固めているようだ。

 1月14日、チュニジアの民衆蜂起による政変が月末エジプトに波及し、ムバラク大統領は平和的な民衆のデモにより2月12日、ついに辞任に追い込まれた。最大野党は穏健だがイスラム原理主義といわれるムスリム同胞団で、イスラエルを認めていない。イスラエルを支援する米国にとって難しい状況であるが、民主化こそ米国が振りかざす旗印である。アラブ諸国の昔ながらの専制政治や政治=世俗と宗教=聖なるものとの未分離の路線がいつまでも続くはずがない。オバマ政権は、中国・インドなどアジア諸国の台頭、中南米諸国の米国離れに続く、イスラム諸国の民主化という世界史的な課題をうまく処理してほしい。

                           おわり

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