(3)「やせ我慢」と倫理について            2011.2.11−13

                                 木下秀人

1 福沢諭吉の「やせ我慢の説」

 「立国は私なり、公に非ざるなり」とは、福沢諭吉の「やせ我慢の説」の冒頭の言葉である。福沢はこの文章で、幕府の高官だった勝海舟と榎本武楊が、維新後政府高官となったことを、やせ我慢すべきだったと批判する文章を書いて送り、いずれ公開するつもりだと回答を求めた。少数に配付した複製が後にもれて,氏名を伏せ奥羽日々新聞に掲載され評判となったので、34年元旦の時事新報に公開された。

 小生がこの言葉を知ったのは、花田清輝「慷慨談の流行」(もう一つの修羅1961所収)で、花田氏は、堺利彦の福沢支持を書きとめながら、「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与らず我に関せずと存じ候」という返事を書き、「機があるのだもの」と後からの講釈を突っぱねる勝海舟支持で、小生もそれに同感した。

 この言葉に再び注目するようになったのは、小説家から政治家に転じた某氏の「公人ばかりでなく、私人も志を寄せなければ立国はできない」という解釈に接したからである。小生は、福沢がこの発言をした前提である明治維新は、西国大藩の討幕運動、とりわけ薩摩の西郷が益満休之助に命じた、江戸市中かく乱のゲリラ戦術が幕府側を主戦論に硬化させ、慶喜の大政奉還という起死回生の一手を小御所会議のクーデターで押し切り、王政復古の勅書を偽造した権謀術数に由来すると思っている。公は幕府側にあり、倒幕は私の勢いだったと見る。

 福沢を「幕臣のなかの多少進歩的な政見の持主にすぎなかった」と見る花田氏が、この言葉をどう理解しているかは「かれは、そういいきっておきながら、さっそく、そのすぐあとで、しかし、それは理屈であって、理屈だけで万事が割り切れるものではなく、反対に、私情に殉じて、たとえ相手がどのような強国であろうともやせ我慢をはりとおし、自国のために抵抗するところに、むしろ、人間としての美点があるのだ、とつづけるのだから失望のほかはない」という福沢説の要約では明らかでない。

福沢は、「やせ我慢」を、「自国の衰退に際し、勝算なき場合でも力のあらん限りを尽し、和を講ずるか、死を決するは、立国の公道にして、国民が国に報ずるの義務と称すべきもの。即ち俗にいうやせ我慢。」と定義しているから、権力の簒奪は「私情」だが、立国する立場からは公道であり、しかし滅ぼされる国民には国に殉ずる倫理を「やせ我慢」として要求している。「勝てば官軍」=マキャベリズム=権謀術数を肯定しながら、負けた側に「やせ我慢」を強要するのは論理として無理、整合性に欠ける。「やせ我慢」は美学であって倫理規範というべきではなかろう。倫理には他に対する強制が意識されているが、美学は個人の信念、自ら実践・納得すれば足りる。他に強制するものではない。花田氏も小生のこの解釈の線上にあると推定する。某氏の解釈はありうるが、福沢の立論の文脈からは、ずれていると思われる。

 

2 ロシアの「グッドバイ、レーニン」

政治上の倫理問題について興味ある報道に接した。21日のNHK、アジア・クロスロードで石川一洋氏が、ロシアでレーニン廟の撤去問題があるという。プーチン首相の与党「統一ロシア」の提案というから驚く。「グッドバイ、レーニン」というネットで投票を求め、既に25万人が投票し、70%が撤去に賛成という。

ソビエト建国の英雄・レーニンは、2月革命で皇帝を退位させ成立したケレンスキー政権を、敵国ドイツの誘いに乗り、封印列車でスイスから帰国し(シュテファン・ツバイク、運命の星輝く時、に詳しい)、11月、武装蜂起してこれを倒し、ソビエト政権を樹立した。死後、遺体は永久保存され、赤の広場のレーニン廟で国民に公開されている。その保存技術は、ベトナム、北鮮、モンゴルに応用され、中国も独自の技術で毛沢東の遺体を保存している。

スターリンは死後、フルシチョフに批判されたが、レーニンは病に倒れスターリンに裏切られたと、あまり批判されなかった。レーニン批判は、ソルジェニーツィン19182008に始まるという。

ソルジェニーツィンは、フルシチョフ時代に自らの流刑体験を踏まえた「イワン・デニーソヴィチの一日」でベストセラー作家となり、ノーベル賞を受賞したが、フルシチョフ失脚でやがて逮捕・国外追放となる。ゴルバチョフのペレストロイカでソ連市民権回復、「甦れわがロシアよ」はゴルバチョフに絶賛され、ソ連で2650万部発行された。ソ連解体後、米国から帰国、ロシア科学アカデミー会員に推され、ロシア文化勲章を受章し、「収容所群島」は学校で読むべき本に指定されているという。

幼児洗礼を受けた正教徒だったが、青年期にマルクス・レーニン主義者となり、収容所体験を経てキリスト教信仰に復帰し、無神論国家に妥協する正教会を批判した。宗教界のノーベル賞といわれるテンプルトン賞も受賞している。

ソルジェニーツィンは、スターリンの前にレーニンこそ、封印列車で帰国後、非道な方法で権力を簒奪し、それに続く内戦で数百万人を死に追いやり、知識人・農民など多数の亡命者を出し、粛清・弾圧・経済の停滞を招いた非人間的・無慈悲な独裁体制の象徴・民族的悲劇の元凶と批判したという。ロシアの教科書には、「レーニンが率いるボリシェビキが武力で権力を簒奪」し、レーニンは「敵国ドイツの支援を受け帰国」「無慈悲・非道徳的な方法で権力を簒奪」と書いてあり、目的のために手段を選ばないやり方が批判されているというから驚くほかない。

今、ロシアでレーニン廟を撤去し遺体を墓地に埋葬すべきという議論が起きているのは、ロシアが西欧と同じ価値観であることを明示したいこと、レーニン否定が最大野党=共産党に選挙対策として効くのではなどの理由があるという。

ロシアで、目的のために手段を選ばなかった=権謀術数のレーニンが、倫理的に批判されているとは思いも及ばなかった。しかも、チェチェンで独立派を武力弾圧し、秘密警察出身で、政治に倫理を持ち出すとは思われないプーチン首相の時代である。

2月12日、エジプトでもムバラク大統領が民衆の平和的デモの圧力で辞任に追いつめられた。政治に倫理が必要となると、イスラエルを軍事支援し、そのイスラエルと和平を結んだからと、独裁=非民主主義的政権を支援し続けた米国の矛盾=非倫理性はどうなるのだろう。マキャベリーが笑っているに違いない。

                             おわり

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