2 アラブの春・トルコ・イスラエル・米国       2012,1,16−31

                                 木下秀人

 アラブの春

20101217日、チュニジアで、失業中だった男が果物などの街頭販売を始め、許可がないと警察に商品を没収されたのに抗議し焼身自殺を図った。同様に街頭販売している若者が立ち上がり、働く権利・言論の自由、汚職の一掃を求めて各地でデモ、ストライキを始めた。デモは次第に拡大し反政府デモとなり、警察と衝突し死者が出るに及んで軍部が離反し、23年続いたベン・アリ政権が崩壊した。この「ジャスミン革命」はたちまち他のアラブ諸国に伝染した。

翌年1月、エジプトで大規模の反政府デモが発生し、21130年間独裁権力を保持したムバラク大統領は、軍最高評議会に権力を委譲した。その後の選挙でイスラム同胞団が主位となった。過酷な弾圧の下で地道な福祉活動を実践してきたから、支持を集めるのは当然であった。原理主義・過激派という批判が当たるかどうか。エジプトは、アラブ諸国で最も早く西欧化を志向した国だった。しかしスエズ運河をめぐる英仏の争い、パレスチナ問題=中東戦争に敗北、サダト大統領は親米路線に転換しイスラエルを承認しイスラム過激派のテロに倒れた。後を継いだムバラク氏はこの路線を継承したが、軍に利権を与えることにより独裁体制を維持した。今その軍の経済支配が問われている。共和国だが、トルコのようにイスラムの桎梏から脱することが出来ていない。しかし識字率向上により咲いたアラブの花が、やがて豊な稔りをもたらすことを期待する。

カダフィ大佐が42年間支配したリビアでは、215日のデモが首都に波及し内戦となり、NATO軍の介入を得て8月24日首都陥落、カダフィ政権は崩壊、本人は逃亡中発見され死亡した。まだ部族支配が残っていて、型どおりの民主化は遠いかもしれない。

アサド大統領が独裁支配するシリアは、次は説きたいされたが、アサド氏はイスラムでも少数派のアラウィ派だが、安定を求めるキリスト教徒などの少数派4割の支持を集めている。民主化デモは外部主導で国内の推進勢力は弱いという。アラブ連盟の介入も実を結ばなかった。ユーフラテス川を抱える豊な農業国、ロシアが地中海に軍港を持ち、現体制の背後にある。湾岸には、サウジアラビアを始めとし旧体制の国が多い。民主化という流れを拒否は出来ないであろうが、道は険しそうだ。

サウジアラビアは未だに王制で、他の王制国と同じように過激な民主化の進行を懸念している。石油という資源もあり、エジプトを「民主化」で失った米国が、現体制を支援し続けるだろう。期待できるのは現体制内での「民主化」か。

「アラブの春」を独裁政権打倒のドミノとすれば、まだ立ち上がったばかり。「独裁政権打倒」では米国のイラクにおける大失敗がある。イランに対する介入も、ホメイニのイスラム革命を招いたのは米国の責任であり、イラン核開発阻止にはイスラエルの核兵器撤去が前提だろう。その国・地域の実態に即しつつ着実に進めるしかない。

投票するには選挙人名簿に登録を要し、登録には長い行列に並ばなければならない。多数を占める貧困層の登録を妨害している国が米国。それが民主主義を広めているという米国の実態である。

 

トルコ

欧州大戦後のオスマン帝国解体の危機に、ケマルという英雄が立ち上がってトルコという国を防衛した。英雄ケマルの指導下で、トルコはイスラム・システムにおける宗教勢力の政治への介入を排除し、イスラム世界で始めての世俗主義国家となった。

イスラム帝国を600年支配し、ウィーンを2度包囲し、西欧の心胆を脅かしたトルコは、アラブではない。しかしイランのような、古代ペルシャがイスラムに征服された国ではない。東洋史で突厥という遊牧民族が西に攻め上ってムスリムとなり、11世紀にセルジュク朝を建国、ルーム・セルジュク朝、オスマン朝となってバルカン半島に侵入、1389コソボ会戦で大勝、1453ビザンツ帝国を征服し、イスタンブールを首都として20世紀までイスラム世界に君臨し西欧と対峙した。

イスラム国では、ユダヤ人もキリスト教徒もそれぞれ共同体を維持することが認められ、民族の違いを差別することはなかった。それに付けこんで民族主義をあおり、帝国の分割・支配を狙ったのが英国とフランスであった。しかし中東は多民族・多宗教の混在する地域である。無理やり持ち込んだ民族と宗教による国家形成がコソボの悲劇の原因となった。イスラエルも、その民族国家という根本的誤りをベースに建国された。

アラビアで生まれ、中近東のみならずアフリカ・アジアまでも展開するイスラム国家の母体はアラブであった。しかしトルコはアラブでなくしかも世俗主義である。そこにイスラム諸国の中でのトルコの独自性があり、EU参加こそまだ認められていないが、今や中東における経済大国で、アジアのマレーシア・インドネシアと共に、イスラム諸国が目指すべき一つの方向を示しているのではないか。特に、政治と宗教の分離、教育からの過剰な宗教色の排除などは、伝統的イスラム世界の近代化に避けて通れぬ困難な問題と思われる。

 

イスラエル

他人の土地に「父祖の地」だといって乗り込み、ユダヤ人問題になやむキリスト教国は

やっかいな難民を放出し、米国の援助により周辺国との戦いに勝利し、現地人を難民として狭いところに閉じ込め、国連決議を無視して占領地から撤退せず、核兵器の保有は周知の事実だが米国と共にイランの核開発を非難している。

 そもそもユダヤ人を差別し圧迫してきたのはキリスト教国で、イスラム諸国は、ユダヤ人から人頭税こそ徴収したが安住の地であって、レコンキスタでスペインから退去を迫られたユダヤ人の多くの落ち行く先は、平和共存していたイスラム諸国であった。イスラムが温存した古代ギリシャの学術文献をラテン語に訳し、西欧に伝えた中心にユダヤ人学者がいた。そのユダヤ人が歴史的恩義あるイスラムに、キリスト教国の援助を得て敵対する不思議。大義はどこにあるのか。

パレスチナ戦争で生まれた大量の難民が、ささやかなパレスチナ国家を作って共存しようとするのを認めないのは、自らの建国の正統性に自信がないからだろうか。

2002年、市民権法を改正し、イスラエル人と結婚した人でも、パレスチナ人には市民権を与えないことにし、最近高裁がその改正を求める人権団体の訴えを65で退けたという=朝日新聞2012123。増大するアラブ系人口におびえる「イスラエルの民主主義」の奇妙な姿というべきだろう。

かつて対パレスチナ強硬派だったシャロン将軍が首相となって、国連決議に違反するユダヤ人入植地からのユダヤ人の撤退を強行し始めたことがあった。残念ながらシャロン氏はその途中、脳梗塞で意識不明となり、この融和策は頓挫し、ネタニアフの展望なき強攻策がその後を支配することになってしまった。

 

米国

米国においてユダヤ人は少数派で差別される側、民主党は歴史的に他の少数派も含めこれを支援する立場だった。ユダヤ人の社会的・経済的地位の向上と共に、米国政治におけるユダヤ・ロビーは、資金力・組織力で米国政治を支配する最強のロビーとなった。共和党も民主党も資金と票の両面で軍門に下っているから毎年多額の資金と武器がイスラエルに送られる。

昔、オイルショックといって、アラブ産油国が結集しイスラエル支援国への石油価格値上げを宣言したことがあった。その後石油価格はアラブ以外の新油田採掘や経済情勢で上下し、1983米国ニューヨーク商品取引所にWTIというテキサスの原油先物が上場され取引量が増えるに及んで、その価格が指標となり、アラブのオイル価格支配は失われた。

イスラエルに肩入れしなければならない米国のアラブへの関心は石油であり、イスラエルの安全保障であって、イスラエルの核保有に対抗しようとするイランへのオバマ政権の強硬さ、軍事力行使も辞さぬかたくなさの背後にイスラエルロビーあり、ブッシュの戦争の二の舞となる危うさを感じる。

                                                 おわり

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