アラスカ氷河とマッキンリーの旅

2009年8月22日〜9月3日、トラベル世界主催の「秋色輝くマッキンリーとアラスカ氷河クルーズ13日間」に参加しました。バンクーバまで飛び、豪華客船サファイアプリンセスで、アラスカインサイドパッセージの氷河クルーズを7日間楽しんだのち、アラスカ鉄道などを利用してデナリ国立公園など、陸のアラスカを楽しむ企画。 Shore Excursionsと前後の航空券はトラベル世界が用意するツアーですが、このツアーの場合、日本の旅行社が独自に作る観光はなく、後のアラスカ鉄道の観光もPrincess Tourが企画しており、ほとんどが現地混乗でした。添乗員は付いています。参加者は夫婦2組、あとは女性で13名のグループでした。
天候はあいにく雨が多く現地ツアーは傘が必要でしたが、ところどころ雨が上がって、アラスカの自然を見る目的は大体出来ました。また船からの氷河観光は自分の船室にいて出来たので、非常によかった。



行程地図
Sapphire Princess
サファイアプリンセス
船籍:バーミューダ、建造:2004/5、
全長:290m、全幅:37.5m
総トン数:116000、航海速力:22ノット
乗客定員:2670[今回の乗客j2378]
乗組員数:1238人
デッキは18階、レストランは常時開いているバイキングほか6か所ある。
コースはPrincessの7Day Alaska Cruiseで、成田からポートランド経由でバンクーバーに行き乗船、アラスカのSouthwest インサイドパッセージを南から北へクルーズして、ケチカン、ジュノー、スキャグウエイ、グレーシャー国立公園、カッレッジフィヨルドの順に航海しながらウイティアまでクルーズ。その後は陸の観光に移り、タルトキーナ、デナリ、フェアバンクスとアラスカ鉄道の展望車でマッキンリーの麓を回ってアラスカの自然を楽しみます。フェアバンクスからはアンカッレジ、シアトル経由、成田に帰ります。
バンクーバーの町並み

船室から見る操舵室

デッキ

ラインダンス初級教室

野菜の彫刻

 プールサイド

シャンパンタワー

訪れた町とスナップ写真
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インサイドパッセージ
Inside Passage
東南アラスカ(インサイド・パッセージ)はカナダ西部の太平洋側の細い部分で今回のクルージングの主な航海地域で、多くの氷河が活発に動き削り取られたフィヨルドの約16000 k mの海岸線と、マリンブルーの海に散在する数千の島々とが織り成す風景は、世界屈指の美しさといわれる。ケチカン、ジュノー、スキャグウエイに寄港、グレイシャベイ国立公園をクルーズする。 世界屈指の美しさが雨であまりよく見えなかったのは残念。 地図で見ると沢山の島とフィヨルドが見られるが、船からはそんなに沢山の島は見れなかった。
ケチカン
Ketchikan
クルーズ船の最初の寄港地。ケチカンはアラスカ最南端の町。
クリンケット族がサケを取って暮らしていたが1887年白人が入植して缶詰工場、1898年に金が見つかったが、ゴールドラッシュは長く続かず、1930年ごろは漁業が中心で、世界のサーモンの首都と呼ばれていたが、最近は林業と観光業が主役になった。世界で一番雨の多い地域として知られるが、今日も雨であった。 サクスマントーテム公園、ネーティブのダンス、実際にトーテムポールを彫っているところ等を見学する。

ケチカンクルーズ船埠頭

サックスマン・トーテム公園

ネイティブのダンス
ジュノー
Juneau
人口凡そ3万人。アラスカ州の州都で大きさは第3番目の街。19世紀半ばまではネイティブしか訪れない町であったが19世紀まつのゴールドラッシュ時代にこの地からも金鉱が見つかり町の規模が拡大した。
町の名は金鉱を発見したジョー・ジュノーから付けられた。NCLのノーウイジャンスターとパール、セレブリティーなど、沢山の観光船が入港している。
混乗バスでマッコウレイ鮭の孵化場、メンデンホール氷河を観光。例により運転手の観光案内、喋りがうるさい。

ジュノー岸壁

ジュノー観光に

マッコーレイ孵化場
メンデンホール[Mendenhall]氷河はジュノーの顔で北21kmに位置する。大きさは末端の幅2.4km、氷壁の高さは30.4m、全長19.3km、1500 平方マイルに及ぶ雄大な氷河の展望やビジター・センタ一を観光。各国の観光客が沢山で混んでいる。雨は幸いなことにここの観光時は一時上がっていた。
メンデンホール湖

メンデンホール氷河
スキャグウエイ
Skagway
アメリカ歴史上最大のゴールドラッシュをもたらしたクロンダイク金鉱の発見により造られたドーリンシティー。その街への最短ルートの出発点として栄え、最盛期には1万5千人の人口を超えたが今は800人足らずで季節労働者が多い。西部劇に見るような開拓時代の町並みを今に残す。ここも雨。地図で見るとインサイドパッセージの一番奥にあるので大型船のフィヨルドの航海は大変であったろうと思う。  ホワイトパスユーコン鉄道に乗車。 岸壁にまで乗り入れて、観光船を降りると反対側にこの列車が待っている。          
ホワイトパスユーコン鉄道
深い渓谷の中を縫うように走るアラスカ随一の景観を巡るホワイト・バス列車の旅は、海抜0m から1000m まで90分かけて、往復する。途中下車はできない。ホワイトパスでループを描き反対向けに戻ってくる。
ゴールドラッシュの最盛期1898年に建設が始まり1900-1982まで多くの人を乗せて走っていたが、鉱物価格の激しい下落によりいったんは営業を停止したが、1988年強い要望を受け観光列車として復活した。

左が列車、右が船

列車の中

原野をゆく列車

ホワイトパス駅

昔の鉄橋

戻ってきた列車に次の客が

スキャグウエイ駅

公園のトネリコ(Ashtree)
グレイシヤーベイ
グレイシヤーベイ国立公園
Glacier Bay
早朝から午後にかけて、クレイシヤーベイ国立公園lを終日クルージング。
1794年英国人探検家ジョージ・バンクーバーによって高さ1200m、幅30kmを超える氷河が発見され、またそのあと米国人ジョン・ミュアが氷河が70km後退していたことを発見した。
かつてインディアンが「偉大なる氷河の湾」と呼んだダイナミックなフィヨルドの景観とともに、アザラシやイルカ、トドなど100 種類以上の動物が生息する、魅力溢れる航路であるが動物は殆ど見れない。
10時頃 最も青色が美しいランプール氷河(Lamplugh),1130頃、氷河の末端のマージョリー氷河(Margerie)をクルーズ、客室のバルコニーで、雨だけど暖房のきいた客室から氷河の素晴らしい景観を見ることができる。

デッキ15のレインジャー情報センタ

ランプール氷河

ランプール氷河

マージョリー氷河

船室からの眺め

マージョリー氷河
カレッフジ・フィヨルド
College Fjord
アラスカ半島の付け根プリンスウイリアム湾に面したカレッジ・フィヨルドを終日クルーズ。やはり太平洋アラスカの海か、船はよく揺れる。ギシギシ、ごっとんと木造部が歪み擦れ合う音がする。前回の地中海クルーズではこのような揺れは経験しなかった。大小26 の氷河が流れ込み、そのすべてにすべて大学の名前が付けられており、最奥部に向かって右が男子校、左が女子校、最奥部がハーバード氷河。1900ごろハーバード氷河に到着、最大の規模を誇る氷河のダイナミックな景観を船室から目の前に見ることができた。

ハーバード氷河

ハーバード氷河

満艦飾のサファイアプリンセス
ウィッテイア
Whittier
深夜030頃ウィッテイアWhittier入港、0630下船。アラスカクルーズは終わりです。サファイアプリンセスは新しいお客を乗せて南下してバンクーバーに戻ります。来年は横浜に来る予定があるとのこと。
船を下りてマッキンレー関連の陸の観光になり、岸壁からすぐにアラスカ鉄道の展望列車「マッキンレー・エクスプレス」に乗車。アラスカ州最大の町アンカレジなどを通過してタルキートナヘ。
デナリ国立公園
Denali National Park
この下船後の観光はアラスカ鉄道と共同で、すべて Princess Tour INCが取り仕切っており、一大観光産業になっている。今不景気なアメリカで沢山の観光客が来ているのを見ると成功か。ホテルのすべての事務[チェックイン、部屋割り、荷物の運搬]をこの区間ではすべてPrincessTour inc が実施してくれるので、客は荷物のタグを付け替えるだけで次のホテルに身軽で行ける。
PRINCESS経営のホテルに1泊ずつ第1日目は マッキンリー(6194m)の南側のMcKinley Princess Lodge、第2日目は北側のDenalli Princess Lodge。どちらもコテージ風の宿泊棟で簡素な木造。

ウイッティアからタルキートナへ

沿線の風景

車中からのマッキンレー

マッキンレー連山

ロッジ本館

ロッジ
タルキートナ
Talkeetna
タルキートナはアラスカ鉄道建設時は技術者の拠点として栄えた町で現在は北米最高峰のマッキンレー[別名デナリ]への登山基地の街でアラスカ鉄道観光の中心地。1300タルキートナ着。パスでデナリ国立公園内のマウント・マッキンレー・プリンセス・ロッジヘ。アラスカ鉄道はタルキートナ到着時にわざわざ列車を先まで進めて、マッキンレーのきれいに見える位置まで行き写真ストップ、改めて駅に戻るというような荒業のサービスを行った。
翌日またこの駅に戻り展望車デナリスターでデナリ国立公園駅へ向かう。
ロッジからデナリは時々見えたが、雲がかかって完全ではない。1日だけマッキンレーの姿を見るための滞在は贅沢であり無駄のような気もする。

タルキートナ駅

列車デナリスター
プリンス専用車

ドーム列車の中

外の景色がよく見える

クルーズ社毎に違う車両
デナリ国立公園
Denali
デナリ国立公園内のナチュラル・ヒストリーツアーに参加。
タイガ(針葉樹林)、ツンドラ(永久凍土)の境界にある国立公園の自然がどの様に守られているかを解説を聞きながら体験するツアーで専用バスで回る。
ウイルダネスアクセスセンタで20世紀初頭からの環境保護活動、関連する観光産業などの歴史などを映像で見せる。サーベージキャビン(避難小屋)で説明。プリムローズリッジ(桜草の尾根)という峠では一面に野生のブルーベリーが真っ赤に染まっていた。本年は初夏の時期に空気が乾燥して、8月に雨が多く、例年以上に色がはっきり出ているとのこと。近辺で生活するアサバスカ族の女性が現代のネイティブアメリカンの生活などを解説した。

公園内専用バス

緑はタイガ

サベージ川

プリムローズリッジ付近

車の後ろからお湯が

ネイティブの説明

タイガとブルーベリー

紅葉の美しさ

ロッジの正門

ロッジの客室
動物はともかく、アラスカの様々な広大な自然を楽しむことができた。動物がいたと言ってバスを止めるが、あまり見えない。これは無駄。サファリの時に比較しても、動物の出現度は少なくカメラに収めるのも遠かったり、邪魔なアングルだったりする。これを売り物にするのはいかがなものか。その度にフォローするのは疲れる。動物はあきらめ、もっと美しい丘陵、草原で写真ストップを取れないものかと思う。
この地方にいる動物Wildlife は、Grizzy Bears[内陸部に棲むクマ]、 Moose[ヘラジカ、大きいものは700kg] Caribou[トナカイ]、 Dall Sheep[カールした角を持ち傾斜地に棲むヤギ]、 Wolfes、RedFoxなどであるが野生動物ウオッチングにはもう少し長い滞在が必要である。
フェアバンクス
Fairbanks
アラスカ第2の都市。アラスカの中央に位置、北半球で最も明るいオーロラが見える街といわれる。オーロラ観測を期待して、2300頃より雨の中、ぬかるむ道を小屋[スキッドランド]へ向う。 うっすらと白いものが見えた人もいるが、殆どオーロラは確認できず、230ホテルに帰る。
翌日700ホテル出発、外輪船「ディスカバリー号」でクルーズ。
空路、アンカレッジ、シアトルで乗り継ぎ、帰国の途へ。
モーニングコール240、荷物出し300、集合410、タイトである。このツアーは最後の方で朝が早くなってきた。乗り継はほとんど待ちの余裕なく忙しい。
外輪船クルーズ
外輪船クルーズ
「ディスカバリー号」Discovery V
幅34ft、長さ156ft、280トン、4層のデッキ、旅客定員900人。
今日は定員一杯の感じであった。
チエナ川[Chena]をタナナ川[Tanana]の合流点までクルーズして戻る。

外輪船

船尾の外輪
途中でAthabascan Indian Village で下船して、1900年初期のインディアンの生活についていくつかの説明がある。
犬ぞりのデモンストレーションやアサバスカ族の小さな集落での生活の説明などアトラクション付きでフェアバンクスで最も人気のあるツアーに作り上げている。アメリカ人の好みそうな勉強を含むショウであった。
アメリカ人も多く在郷軍人や高齢者の参加を見た。

犬ぞりの調教

インディアンの着物


その他参考事項


■前回の地中海クルーズ(2008年5月)と比較して、船のサービスは大きく違いませんでした。今回はプレミアム船、前回はカジュアル船で違うといえば客筋ですが、アメリカ人が多く、子供も多いように感じました。SHORE excursion は今回はアラスカなので見る物は自然、あまり名所旧跡、街はないので簡素になりますが、アラスカ鉄道などと組み、色々なイベントをまとめて事業を組み上げているのは立派です。

■今回は天候には恵まれず、雨ばかりでした。船室からの氷河観光は防寒着も不要で快適でした。 オーロラは残念ながら見れませんでした。

■1959年アメリカ合衆国の49番目の州になったアラスカは、本年が50周年でいろいろなイベントが計画されている。1867年720万ドルでロシアから買収したアラスカは、1896年にユーコン川で金鉱が見つかり、ゴールドラッシュ。漁業、油田などいろいろな産業で大変栄えたが、最近は無秩序な開発に歯止めがかかり、自然を保存することに重点が置かれ、氷河や動物、ネイティブの保護などを考慮した観光に力を入れている。
アラスカは北部をInupiaq Eskimos、西南部をYup'ik Eskimos、東側をAthabascan Indians、アリューシャン列島をAleut &Aluthq Eskimos、右下カナダの沿岸部には Tlingit,Haida and Tsimshian Indians が先住民であった。それらの文化を残しながら今のアラスカがある。


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