ギリシャとエーゲ海の旅

2010年4月18日〜4月27日のギリシャ旅行。日通旅行の旅のソムリエ、エミレーツ航空で行く!紺碧のエーゲ海クルーズとギリシャ世界遺産の旅10日間に参加しました。深夜に関空発ドバイ経由でアテネに入り、オリンピア、デルフィー、メテオラとギリシャ本土の世界遺産を訪ね、その後LouisHellenic社の3泊4日のエーゲ海クルーズで、ミコノス島、クレタ島、サントリーニ島、クシャダシを回り、アテネに戻りパルテノン神殿などを観光して、ドバイ経由で関空に戻りました。参加者は姉弟4名、夫妻4組、母娘1組、女性1組、合計16名です。出発間際のアイスランドの噴火の影響を心配しましたが、この方面にはほとんど影響はなく、バスはゆったりで、天候にも恵まれ、神話とギリシャの国旗の青と白のエーゲ海の美しい色を楽しみました。



行程地図
Aquamarine アクアマリン号
所有louis Hellenic
船籍ピレウス
建造1971年
フィンランドパルティラ造船所
長さ194.3*幅24*深さ45.9喫水6.7m
総トン数23149トン、船速18ノット、
最大乗客数:1268、乗務員:388、
客室数525、デッキ7
エーゲ海 クルーズ
クルーズのコースはエーゲ海クルーズの老舗 Louis Hellenicの3Day Aegean Legendで、アテネ・ピレウス港発着だが船員ストのため帰りはラブリオン港に戻った。
ミコノス、クサダシ、パトモス、クレタ、サントリーニをクルーズする。
この社のクルーズには、他にロードス島にも寄る 4-DAY Jewels of the Aegean、
トルコも含めて回る7-DAY Splendors of Greece & Turkey などののコースがある。

3Day Aegean Legend

デッキ・サントリーニ島に接近中

出航後すぐの避難訓練


クルーズカード

訪れた町とスナップ写真

オリンピア
Olynpia
オリンピック発祥の地オリンピアは、人口1,500人あまりの小さな町です。今では小さな街の松茂る丘のふもとは、かつてゼウス神に捧げられた古代世界で最も重要な聖域でした。古代オリンピックの始まりは紀元前8世紀で、伝染病の蔓延に困ったエリス王イフィトスが争いをやめ競技会を復活せよと言うアポロンの啓示を受けた事に由来すると伝えられている。394年にローマ帝国皇帝により廃止された。発掘は1875年、その21年後に現在のオリンピック大会がアテネで再開された。
遺跡入り口から、中央道路の右手に、ギムナシオン、パレストラなど石柱のみが残っており、左手の大きな石がゴロゴロしている部分が、ゼウス神殿、その手前がヘラ神殿と説明された。近代オリンピックにおける聖火はオリンピアのヘラ神殿において凹面鏡を用いて太陽から採火されている。ハナズオウが綺麗。

ギムナシオンの回廊

パレストラ競技場跡

満開のハナズオウ
地中海付近原産のセイヨウハナズオウ (C. siliquastrum) は落葉高木で高さ10mほどになり、イスカリオテのユダがこの木で首を吊ったという伝説からユダの木とも呼ばれる。

ヘラ神殿

ゼウス神殿の廃墟

ヘラ神殿の左側宝庫跡

スタジアムへの入場門

スタディオンスタート・ラインの石板

イタリアからの修学旅行生
2004年のアテネオリンピックでは男女砲丸投の競技がこの競技場跡で行われた。
ペロポネソス半島
Peloponnese
ペロポネソス半島にはオリンピア、ミケーネ、エピダヴロス、スパルタ等なじみの遺跡がありますが本土とは東北の地峡でつながっています。西の端は海峡で本土に渡るには海を渡る必要があります。行きはコリントス運河を渡り、帰りはリオアンディリオ橋を渡ってギリシャ本土に戻りました。

コリントス運河

リオ・アンディリオ橋
 コリントス運河Korinthos
アテネからその真西86キロ、ぺロポネソス半島の首にある地峡に作ったが実用されなかった。(長さ6,343m、幅23m)

 リオ・アンディリオ橋 Rio-Andro
ペロポネソス半島の西の端コリント湾に懸かる海をまたぐ 4連の斜張橋で2004年のアテネオリンピックの開催に合わせて開通した
デルフィー
Delfi
デルフィはアテネより北西へ178km。かつてアポロンの神託(神のお告げ)が行われた聖域として、また世界の中心「大地のへそ」として有名です。パルナッソス連峰の南のふもとプレイストス河の深い谷を前に、階段状に広がっています。古代ギリシャ人にこのアポロンの神託は卓越した予知能力で知られ、その名声が高まるにつれてギリシャ各地からの代表や民衆が神託を受けに訪れました。そして、神託の御利益に感謝したポリスや植民地から寄贈された奉納品で豊かになり、アポロン神殿に続く参道にはそれらを収納した宝庫や像が建ち並び、自らの繁栄ぶりを誇示しました。
アポロン神殿は幅23m、長さ80mの広さに38本のドリア式列柱が神殿を支えていました。室内にはアポロン神の像が安置され、地下には「大地のヘソ」が置かれていて、そこで神託が行われていました。

アポロンの神殿

参道

野外劇場

アテネ人の宝庫
「アテネ人の宝庫」は、アテネがマラトンの戦いでペルシャに勝利した感謝の印として、アポロン神に捧げたものです。正面にはドリア式の柱が2本立っています。


アポロン神殿の北西に位置する野外劇場は、紀元前4世紀に岩盤を削って造られたもので、観客約5,000人を収容できる規模を持っていました。(当時はピュティア祭の演劇が行われていた場所です。) 
デルフィ博物館

発掘された黄金や象牙で作られた奉納品などが展示されている。ある程度欠落部分などが修正されていてわかりやすい展示になっている。
写真フラッシュは禁止だが撮影可。

博物館正面

ゼウス像

御者の像

アルゴス出身の兄弟
現代のデルフィの町
パルナッソス連峰の南のふもとよく茂ったオリーブの林のプレイストス河の深い谷に沿って、階段が多く静かで良い感じのこじんまりとした街。ホテルやお土産屋のある通りは下の道。谷にはオリーブの林がある。遺跡は少し離れたところにある

今のデルフィーの町

上の道と下の道の交差点の教会
オシオスルカス修道院
Hosios Loukas Monastery
アテネの北西約100km、デルフィより35kmにある修道院。東ローマ帝国最盛期の11世紀を代表する建造物。961年にエリコナス山の斜面に建造されたビザンチン様式を持つ修道院の一つです。ドームを持つ八角形の大聖堂を中心に小さな教会と博物館がある。内部はクレタの画家ダマスキノスが描いたイコンや11世紀頃の豪華絢爛なモザイク画で飾られています。この修道院の地下にルカスのお墓があり、ルカスのミイラも安置されている。福音書を書いたルカではなく、10世紀前半のギリシャの聖者、オシオス・ ルカスに因んだものです。本当に近所には何もない自然のみ。
1990年に「ダフニ修道院群、オシオスルカス修道院群及びヒオス島のネアモニ修道院群」という長い名前で世界文化遺産に登録された。ここで買った6ユーロのワインは美味しかった。


前庭付近


門の上に描かれたモザイク


フレスコ画

入口のアーチに描かれたフレスコ画

中央祭壇

修道院内のモザイク
メテオラ
Meteora
テサリアの平原を抜けたところに奇岩の上に立つビザンチン修道院。14世紀前後にトルコ勢力のキリスト教弾圧を逃れた修道僧が立てこもった。昔は24の修道院があったが今見学できるものは6つ。その下の町はカランバカ。
メテオラの修道院は、ビザンチン時代後期およびトルコ時代には、迫害を受けたキリスト教修道僧たちの聖域でした。彼らはこの不毛の人を寄せつけない高さ400mもの岩山に、ビザンチン芸術の中心を築き上げたのです。その歴史は、11世紀に始まります。しかし、既に9世紀頃より隠者たちが岩の割れ目や洞窟に住み着いていました。そして時代とともに修行僧の数が増え、僧院が建てられるようになったのです。

アギア・トリアダ修道院
カランバカの街から自動車で走れる周回道路に沿って、近いほうから順に、
聖ニコラス・アナパフサス修道院 The Holy Monastery of St. Nicholas Anapausas
ルサヌ修道院 The Holy Monastery of Rousanou
ヴァルラアム修道院 The Holy Monastery of Varlaam
大メテオロン修道院 The Holy Monastery of Great Meteoron
アギア・トリアダ修道院 The Monastery of Holy Trinity
聖ステファノス修道院 The Holy Monastery of St. Stephen
今回は大メテオロン修道院と聖ステファノス修道院を入場観光、その他は遠景を眺めて終わりましたが、この不思議な景色にただただ驚きです。内部写真はダメ、静かに観賞が望ましいが、たくさんの観光客で混雑していました。

カランバカ市内ホテル

町の背景に奇岩

周遊道路

こんな景色ばかり

ニコラス修道院

ニコラス修道院

ルサノウ修道院

ヴァルラアム修道院

ヴァルラアム修道院
メガロ・メテオロン修道院 メテオラの中で一番大きく重要な修道院です。この修道院は多くの寄付により自治権を持ち、たくさんの貴重な美術品を所有しています。現在博物館になっている修道院の食堂や、写本や書籍が所蔵されている図書館などがあります。その昔は梯子を繋いだり、滑車につるした網袋で修道院に登りましたが、現在は、岩面に掘られた115段の階段を登りたどり着くことができます。

運搬用

入口階段

女性はスカートを借りる

駐車場から降りて入口へ

中庭

全景

博物館

台所    

教会

階段・背景はヴァルラアム修道院

駐車場から見る全景

入口の掲示
アギオス・ステファノス修道院
(尼僧院)
この修道院の付属教会には殉教者アギオス・ハラランボスの頭部が安置されています。古い教会の内部には、今なお美しい木彫りや壁画を見ることができます。またここから下に見えるカランバカの街は絶景です。

全景

入口・ここは階段はない

全景

裏庭から見るカランバカの町

本館

裏庭
アラホヴァ
Arahova
デルィからアテネ寄りに10kmほどに位置する町。
レンガ色の屋根と石造りの家が集まる景観を持ち、まるで絵画のような美しさ。


テルモピレー
レオニダス王の碑
エーゲ海クルーズ
ミコノス島
Miconos
[キクラデス諸島]
エーゲ海に浮かぶ島々の中で最も都会的で、お洒落な雰囲気のミコノス島。「エーゲ海に浮かぶ白い宝石」とも言われ、海の青、太陽の明るさを強調する家々の白は、ブルー&ホワイトのエーゲ海のイメージをそのまま示す島です。入り組んだ道、大小300以上もあるギリシャ正教の小さな教会や風車。カトミリの風車はかつては小麦を挽くために使われていたものだが、今では島のシンボルになっている。
予定はテンダーボートでとのことであったが接岸。ベネチアンポートからアノミリの丘の風車までを散策。本当に青と白の美しさに感動。沢山のレストランと教会に驚く。

島の全景

小さな教会

パラポルティアニ教会

ベネチアンポート

レストラン街

魚を吊るしているレストラン
トルコ・クシャダシ
kusadasi
エフェソス
Ephesos
クサダシはアテネの東約300kmの位置にあるトルコの港町で、エーゲ海地方最大のリゾート地。今はシーズンオフで閑散としている。バスで北東へ30分ほどのところにはエーゲ海沿岸の古代ローマ時代最大級の都市遺跡群、最盛期人口25万人のエフェソス遺跡がある。クルーズの定番としてエフェソスへのツアーが朝早く出発する。私たちはエフェソスは以前のトルコ旅行で訪ねたので、今回はクサダシで過す事にしたが、ここは何もなかった。鳩島(ピジョン島)などを見学。クレオパトラ(BC69〜30)の足跡を訪ねて再訪でもエフェソスツアーに参加したほうが良かったと反省。

クサダシ岸壁

町並み

クサダシ港

遠くに見えるわが船

アタチュルクが山の上

鳩の島
パトモス島
Patmos
[ドデカニサ諸島]
聖ヨハネの洞窟と、聖ヨハネ修道院を観光。
黙示録の洞窟は、ホーラとスカラ(港)の間の斜面にある、聖ヨハネが啓示を受けたとされる洞窟で、彼が啓示を受けたとされる場所や神の声が下ったときに割れたとされる岩などが残っている。11世紀、洞窟のある丘の上に聖ヨハネ修道院が築かれた。修道院はエーゲ海のエルサレムとも呼ばれ、今も世界中からキリスト教徒が集まる巡礼地になっている。

聖ヨハネの洞窟入り口

聖ヨハネ修道院

スカラ港の我が船を修道院からみる
クレタ島
Crete
ギリシャ最大の島クレタは、ヨーロッパ最古の文明の発祥地として有名です。ミノア文明に始まるこの島の繁栄は、クノッソス宮殿遺跡など島の至る所に見ることができる。朝イクラニオン港に接岸、クノッソス宮殿とイクラニオンの町散策のツアーに参加。フランス人の団体と一緒に回り英語の説明は別に男性ガイドがやってくれた。
 イラクリオン
Iraklion
クレタ島北海岸の中央にあり島の商業の中心、クノッソス遺跡観光の拠点。ギリシャで一番裕福な都市。

博物館・改装中で入れない

岸壁

エレフテリアス広場
クノッソス
Knossos
イラクリオンの南東5kmにある遺跡で紀元前2,000年頃のミノア文明中心地であった。ミノア時代の3大宮殿のうち最も大きく、テセウスがミノタウロスを退治した伝説の迷宮としても知られている。ミノア人が強力な交易船団を持ち、海洋王国を築いた時代の遺跡。クレタ島には、青銅器時代中期に大きな宮殿がいくつか存在し、その中でもクノッソス宮殿は大きさだけでなく、技術的・美術的にも優れていたと言われている。宮殿は160m四方で西側は主に神殿、東側は王宮として使われた形跡がある。
1900年にイギリスの考古学者アーサーエヴァンスが発掘を開始した。
壁画などはすべて複製で実物は出土品も含め博物館にあるそうだ。但し今は博物館改装中で目ぼしいもの数点のみ臨時の建屋に寂しく展示されていた。

宮殿跡遺跡入り口

宮殿東側

エヴァンスの像

行列の壁画の廊下

王座の間・中央広場

全景・中央に牛の角

中庭から西を見る

熱心な説明

全景北側

王妃の間のイルカ

西側の倉庫と大甕

牛の絵のある北門
[参考]2013年地中海歴史クルーズでクレタ島を再訪しました。合わせてご覧ください。
2013年のクルーズのページ  
サントリーニ島
Santorini
[キクラデス諸島]
別名ティラ島(THIRA)。ここが幻のアトランティスであったと言われている。最近では1956年に大噴火が起こり、フィラやイアの街はほとんど崩壊した。海側から火山活動が造りだした切り立った断崖の頂上に、積もった雪のように輝く白壁の家々が美しく
このクルーズで近づく風景を最も楽しめる寄港地でした。火山でできた三日月形の内海に停泊した船からテンダー船で断崖の下のアティニオス港に着きあとケーブルでフィラの街に登ります。並行してロバの道もあり徒歩またはロバで行くこともできます。

テンダーでフィラの町へ

大聖堂

島の形がある案内板

展望のよいヒババンテス通り

階段状にホテルやレストラン

テレフェリック
アテネ
Athens
港湾船員ストライキのためピレウスではなく、空港に近いラブリオン(コンテナーヤードのようなただ広い岸壁でクルーズ船には似つかわしくない港)に着いたが、ツアーの良いところで迎えのバスが待っていた。ロスタイムなし。旅の締めくくりとして古代文明遺跡の宝庫のアテネ市内観光に移り、定番のアクロポリス、ゼウス神殿、アテネ競技場、シンタグマ広場などを観光後、プラカ地区でランチ、空港に向かう。アテネは再訪だがいつも慌ただしく通過する感じである。帰国後デモでたくさんの人が火炎瓶を投げているシンタグマ広場がテレビに映るが残念である。国立考古学博物館も計画になくパス。
アクロポリス Acropolis 世界遺産パルテノン神殿が建つアクロポリスの丘は修復工事が続いている。サクラダファミリアが完工しないのと似て、修復の終わりはないのでは。だけどやはりその規模や技術に圧倒される。どの部分が本物かなど気にすると美しさが減るのでそのままの形を楽しむことにする。少し早かったので観光開始時はガラ空きであったがクルーズの客などがあっという間に観光客で一杯。なぜか犬が沢山いる。ほかの遺跡でも犬や猫が纏わり付いてくる。r

パルテノン神殿

エレクティオン

パルテノン神殿正面

入口方向を望む・カルコケテ

ディオニソス劇場

入口付近の警察車両

工事中

修復工事中

イロドアティコス音楽堂
アテネ市街点描

アテネ競技場

ゼウス神殿後はパンテノン

国会議事堂

トラム

プラカ地区

プラカのレストラン


その他参考事項

■ギリシャは古代からヨーロッパの中心であり、多くの世界遺産が残っている。
やはりギリシャ神話やギリシャ正教の長い歴史の中で文化が育てられ、絵画、建築など見るべきものは多い。

■アイスランドの噴火でヨーロッパ各地の航空機乱れていたが、われわれはドバイ経由の南回りが幸いして、殆ど予定通りであった。また、今回は天候には恵まれ、ギリシャ国旗の青と白に染められたエーゲ海の美しさと古代遺跡を堪能した。

■ギリシャは今経済危機でヨーロッパの各国や世界を悩ましているが、観光客にはユーロで便利、特に悲壮な感じは持っていなかった。やはりヨーロッパのルーツか。ユーロ圏とIMFのギリシャの財政支援策と、財政締め付けで、民衆は納得できないようであるが、ストや暴動はアテネの一部でだけで、ほかの地区では平常と変わらない様子であった。ギリシャではやはり高官が賄賂をとったり、脱税は当たり前で、これらの改善がない限り経済も安定しないことであろう。
折角の観光資源があるので早く沈静化して欲しいと思う。

■エーゲ海クルーズは昔から同じ仕様で長い間実施されており、直ぐに寄港地につくのでクルーズを楽しむというよりは、上等なフェリーで、バスの代わりという感じがする。したがって、船のサービスはあまり良くない。とくに食堂などは2つしかないし、数名相席が標準で、落ち着かない。それにしては船がかなり大きくそれには驚いた。子供やインドの大家族が沢山乗船しており、庶民的でおもしろかった。

■ギリシャ政府観光局が多くのパンフレットを日本語で作成しており参考になった。現地でよく売っている日本語ガイドは、ほとんど改定されていないのと、下手な日本語の説明である。
[参考文献]
ギリシャを巡る 萩野矢慶記 中公新書1748
私のギリシャ神話 阿刀田高 集英社文庫