地中海歴史クルーズ報告

2013年2/22から3/7までワールド航空主催の世界史の舞台をゆく14日間の船旅に参加しました。総勢132名、添乗員は7名という大部隊でした。我々の大阪からのグループは22名でした。2008年の地中海クルーズと同じノルウェージャン・ジェイド号で懐かしくゆっくりと過ごせました。今回の寄港地はアランヤ、リマソール、ハイファ、イラクリオン、ナポリで前回と比較して寄港地は少なく、全航海11日のうち、終日航海の日が4日、2泊日が一日と船内活動の日が比較的多くありました。


日程
2013/2/22関空発、アムステルダム乗り換えでローマへ。関空帰着3/7
ノルウエージャンジェイドでゆく世界史の舞台をゆく14日間の船旅
●チビタベッキア[ローマ]乗船、ローマに戻る地中海周遊コース。
●リマソル[キプロス]
●アランヤ[トルコ]
●ハイファ2日停泊[イスラエル]
●イクラリオン[クレタ島]、
●ナポリ[イタリア]
 
航路図
船内点描 船内点描
船はNCLのNorwegian Jade 2008年の地中海クルーズと同じ船です。
総トン数:93558トン、全長:294.1m、全幅:32.0m、乗客定員:2402人
乗組員数:1075人、客室数1201、就航年:2006年、改装2008年
[今回のデータ]
今回の写真をいくつか示しますが前回の分も合わせご覧ください。
2008年の地中海クルーズのページ

クレタ島岸壁で

サンデッキ

プール

リセプション

アトリウム

7階通路

劇場開演前

フィットネスジム
海を見ながらマシーン

図書室

カジノ


訪れた町とスナップ写真

  ローマ Rome
今回の乗船はチビタベッキア。乗船時には雨になりました。 ホテルはカブールの近く。朝の散歩にサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂まで行く。あと乗船前の自由時間を利用して少しローマ市内見物。

ナボーナ広場
ムーア人の噴水、4大河の噴水、ネプチューンの噴水などを観光。寒かった。
 
サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂
 
ムーア人の噴水
 
ネプチューンの噴水

4大河の噴水 
ドーリアパンフィーリ美術館
ヴェネツィア広場寄りのコルソ通りにあり、宮殿の一部が美術館として公開されている、ドーリア・パンフィーリ家所蔵の絵画が多数展示されているが邸宅の庭が美しい。この美術館で最も有名な絵画は、ヴェラスケスのイノセント10世(1650年)で、1644
年にドリア・パンフィーり家からローマ法王となったインノセント10世の肖像画です。特別室に展示されています。他に、カラヴァッジョの「懺悔するマグダラのマリア」(1594年)、「エジプトへの逃避途上の休息」(1597年)、ティチアーノの「洗礼者ヨハネの首を持つサロメ」(1515)などの名画があります。
 
ドーリア・パンフィーリ美術館中庭
  
   アランヤ Aranya トルコ
アランヤは紀元前4世紀からから栄えた港町で、ローマ時代は海賊の巣窟として有名であった。13世紀にここをビザンティン帝国から奪い取ったセルジュクのスルタンが町の名をアライエと変えた。現在はアランヤ。
8kmに及ぶ城壁には50の塔があり、12年の月日を費やして完成した。港の岸壁の付け根に13世紀のセルジュークトルコ時代の城壁と見張り台だったクズル・クレ。ローマ時代からの地中海の要衝だけあって港湾設備はあまりないが岸壁は長くて立派で水深は深く大型船が横附け出来る。

アランヤ入港
 
アランヤ造船所跡、山には城壁
 
アランヤ岸壁に停泊中
 
アランヤの城壁から見る
 
アランヤ港
 
アランヤ岸壁
 
クズル・クレ
  アスペンドス遺跡 ASPENDOS
世界各地にローマ古代劇場はあるが、こちらはほぼ完壁に近い形で残っていて、トルコに残るローマ式古代劇場の代表といわれる。美しい礫岩のブロックを積んでおり、ドアや窓枠にはクリーム色の石灰岩を使っている。舞台建物には5つの入り口があり、壁にはさまざまな装飾がほどこされている。この劇場はマルクス・アウレリュース(161-180)に捧げられたものといわれる。
収容人員2万人といわれ、今でも「アスペンドス国際オペラフエテイバル」が6月から7月に開かれている。多くの観光客が訪れていた。この劇場は近くにローマ時代の水道橋があるとのことだが周りは美しいアンタルヤの平原で建物はあまりない。
 
遺跡説明
 
ローマ劇場控室入口
 
ローマ劇場
 
ローマ劇場観覧席
  
 シデ Side (トルコ)
人口約2万。東地中海の小さなリゾートタウンで、夏には青い海を求めてヨーロッパから多くのリゾート客が押し寄せるとの事。 ギリシア時代からローマ時代にかけて大変栄え、ローマ浴場にはクレオパトラが入ったと言われている。ローマ劇場など遺跡が残っており、遺跡の門の狭い道をバスが通るという貴重な体験をした。偽物がいっぱい売られているアラブの雰囲気が残る伝統的家屋を見ながらメインストリートを歩き、アポロンとアテネの神殿へ。 目の前に広がる美しい地中海を眺め、長らく繁栄した都市国家に思いを馳せました。絞たてのザクロとオレンジのジュースが大人気でした。シデはトルコ語で石榴の意味。

シデのアラブ風町並み

シデ海岸

シデの遺跡

アポロン神殿
  
  リマソール Limassol キプロス Cyprus 
キプロスは地中海の東の奥に位置する島国。地中海で面積が3番目の島で四国の半分ぐらい。首都はニコシア、国の中央部にあるが、その付近で南北に別れている。1983年分離独立を宣言した北キプロス・トルコ共和国だが今までにトルコしか承認されていない。我々は南部の港リマソールのみ観光。
リマソール-ペトラ・トゥ・ロミウ海岸-クリオン遺跡-リマソール市内
帰国してからすぐにユーロ危機でキプロスの事がニュースになり驚きました。

リマソール入港
 ぺトラ・トウ・ロミウ海岸 Petra tou Romiou
アフロディテ生誕の地(Aphrodite's Birthplace)と言われている。
レメソスからパフォスに向って手前25qの地点にある。この美しい海の泡から美の女神ヴィーナス(アフロデイ-テ)が誕生したと言われる場所で、ポッティチェリの名作「春」に描くかれているヴィーナスが立つ海岸線は、ここの展望台から見た景色と似ていました。
英国領をドライブ。地中海の平和にイギリスの軍隊が役立っているとのことでした。途中でダイヤモンドのカラットの基準とたっているケラチオン(和名:イナゴマメ。豆3個分が1カラット)はここの由来との説明があった。
 
ヴィーナス誕生の岩

展望台からの海岸全景

近くで見た岩

海岸への地下道入口
  
クリオン遺跡 Kourion
レメソスから西に20qにあるローマの古代都市。約2000人の観客が入れるローマ式野外劇場がある。紀元前2世紀に造られたが地震で壊れ2世紀に再建された。当時は3500人の観客が座れるつくりであり、規模こそは小さいながら、背景には地中海が広がり開放感あふれる作りになっていました。その隣のエウストリオスの家は4世紀の地震の後に造られた公衆浴場跡。床のモザイク、眼下の景色も素晴らしい。行かなかったが近くに神殿跡の遺構もある。
 
エウストリオスの家

内部全景

床のモザイク

床のモザイク
 
ローマ劇場
 
ローマ劇場全景
 
地中海春菊が満開
  
 リマソール城
現在は中世博物館として使われている。現在の建物は14世紀に造られたもので、かってここでイングランド王リチャード獅子心王とナバラ王国の王女ベレンガリアが結婚式をあげた場所として有名。古代の生贄の祭壇を摸して造られたキリスト教最古の主祭壇が残っている.。アンティークのコレクションが珍しく当時のコインなども展示されている。教会は後に十字軍が要塞化し、オスマントルコが所有、イギ.リス時代には牢獄としても使われていた。屋上からはリマソール市内が見渡せて、キプロス島の最高峰オリンボス山(1951m)も見ることが出来た。
 
リマソール城外観

リマソール城

リマソール城内部

アンティーク甲冑
リマソールの市場など散策。キプロス産のサフランや香辛料、ローズウオーターのロクムやタイムの蜂蜜などを沢山売っている。
オスマントルコ時代の街並みを見ながら街の散策。教会が多く、南キプロスはギリシャ系でギリシャ正教。キプロスの正教会はイスタンブルの総主教庁にも、アテネ大主教を首座とするギリシャ正教会にも属さず、大主教を長とするキプロス正教会のもとに自治を行っている。聖ナパ教会や聖カソリキ教会など多くの立派な教会がある。
地中海地方には太陽電池と温水器が組み合わさった装置がどこの家にも屋根の上にあり天候を利用した省エネに努力している様子が伺える。
 
ギリシャ正教首座

地中海産アーティチョーク

野菜

温水装置
  ハイファHaifaイスラエル
イスラエル第3の都市ハイフアに入港。高層ビル群の中、斜面にイスラム教の一派・バハ-イ教の寺院が夜にはライトアップされて美しく見えた。本日は選択観光プランで、死海またはベツレヘムとエルサレムへ。我々はベツレヘムへ。その後、エルサレムを観光。翌日はガリラヤ湖畔のキリストの足跡をたどり、あとナザレの受胎告知教会を訪れた。予定では更にアシュドットに停泊の予定であったがハイファ2停泊となった。そのためバスの時間が長くなり、また夜、道路渋滞の為、帰船が遅くなり、大変疲れた。
 
 
 ベツレヘムBethlehem イスラエルパレスチナ自治区
エルサレムより1 0km、パレスチナ自治区にあるベツレヘムを観光。キリスト生誕教会を観光。すぐ北側のフランシスコ派修道院聖カテリーナ教会につながっている。毎年クリスマスにミサの中継を世界中に発信している教会で、教会を出ると、ヘブライ語の聖書をラテン語に翻訳したヒエロニムスの像があり、足元には彼を支援したパウラ夫人の頭蓋骨がある。 

ヒエロニムスの像
 キリスト生誕教会
イエス・キリストが誕生した地を記念して生誕教会が建てられた。教会の身廊部分で床下のモザイクがのぞける部分があるが、これはキリスト教を国教と定めたコンスタンテイヌス帝の母へレナが教会を建設させた当時のもの。イエスが生まれたとされる場所は1 4の光線を表す矢形で示されており、すぐ横には飼葉桶が置かれた場所がある。熱心に祈る信者が多いのが印象的でした。
この教会の入り口は非常に小さく、立派な門がない。
 
生誕教会
 
生誕教会入り口
 
飼葉桶
 イイエスが生まれたとされる場所
 
監視塔
 
自治区を囲む塀
ベツレヘムは現在パレスチナ自治区の管理地です。エルサレムから行くと行きは自由に入れますが、帰りは厳重な検問があります。日本人などは問題ありませんが、アラブ系の人がイスラエルに入ることを厳重に注意しています。町の境には塀が巡らされており 厳しさを実感しました。
  エルサレム Jerusalemイスラエル
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三大宗教の聖地。旧市街は神殿の丘にあり城壁で囲まれている。主にキリスト教地区を観光。城壁には8つの門がある。糞門から入り嘆きの壁、あと ヴィア・ドロローサを辿り聖墳墓教会へ。ヤッフォ門から城壁の外に。 世界各地からの巡礼者、観光客で一杯である。
あとバスでオリーブ山(825m)に行きエルサレムの全景を見ることが出来た。オリーブ山から神殿の丘の間には沢山のユダヤ教の墓があった。


城壁とイスラエル国旗

周回道路

城壁

オリーブ山から見た岩のドーム
嘆きの壁
エルサレム城門の中。
糞門より旧市街に入場。まずはユダヤ教の聖地・,嘆きの壁へ。ユダヤ人にとって重要な祈りの場であり、男女に別れて熱心に祈りを捧げる人の姿に圧倒されました。だれでも願い事を書いた紙を壁に入れると願いがかなうとのことです。。 
 
前の広場から見た遠景
 
嘆きの壁(男性側)
 
祈り
 黄金の岩のドームが見える
  
ヴイア・ドロローサ
ヴィア・ドロローサの始発点はエルサレム旧市街北東のイスラム教地区にあるライオン門付近、終着点は旧市街北西のキリスト教地区の聖墳墓教会内にあるイエスの墓。その間、始発点と終着点を含めた計14箇所に留(あるいはstation)と呼ばれる中継点が設けられており、第9留までが旧市街の入り組んだ路地の途中に、残りの五つが聖墳墓教会の内にある。留のポイントには銘盤はあるがあまり特別な史跡らしきものがないところもある。毎週金曜日の午後3時になるとフランシスコ会の主催で大勢の聖地巡礼者、並びに観光旅行者が旧市街地の繁華街を練り歩くとのこと。
 ヴイア・ドロローサVia Dolorosa
悲しみの道の留stationでの出来事
新約聖書の四つの福音書の記述やキリスト教の伝承などから想定されるイエス(キリスト)の最後の歩みのこと。いずれの福音書でも、イエスは十字架を背負って総督ピラトの官邸(プラエトリウム)から刑場のあるゴルゴダの丘までの道のりを歩いたとされている。
第1留 −ピラトに裁かれる
第2留 −有罪に定められ、鞭で打たれる
第3留 最初に倒れた場所
第4留 −悲しむ母マリアと出会う
第5留 −キレネ人シモンがイエスを助ける
第6留 −ベロニカがイエスの顔を拭く
第7留 −二度目に倒れた場所− [裁きの門]
第8留 −イエスがエルサレムの婦人たちに語りかける
第9留 −三度目に倒れた場所
第10留 −衣服を剥ぎ取られる
第11留 −十字架が立てられる[聖墳墓教会内]
第12留 −イエスの死
第13留 −十字架の下の母マリア
第14留 −イエスの墓 
 現在の悲しみの道は階段が多い。バザールが軒を連ねています。普通の街路で聖なる感じはありません。イエス・キリスト時代を思いながら第3ステーションより順番に歩いて第10ステーションへ。聖墳墓教会に到着。 
 聖墳墓教会
キリスト教最大の巡礼地で各国の巡礼者、観光客で混み合っている。ゴルゴダの丘にある。内部には聖書上の出来事にちなんだ祭壇が、各宗派がそれぞれ管理をし沢山あり、ローマカトリック、アルメニア、コプト、ギリシャ正教など異なった宗派の習慣などを一度に見ることが出来る。326年コンスタンティヌス皇帝の母が建立、そのあと増改築したが1808年大火で大破して再建された。
ヘレナ聖堂には見事なモザイクが残る。
 
第3留
 
第5留
 
第7留
 
第8留
 
第9留
 
教会入り口

第10留
 
第12留
 
第13留

第14留終点

沢山あるフレスコ画

ヘレナ聖堂のモザイク
  
 ガリラヤ湖畔 Galilee
本日も引き続きイスラエルの観光。ガリラヤ湖畔(タブハ )とナザレを観光。
イエスの数々の奇跡を行ったりした伝道の舞台となったガリラヤ湖畔を巡る。
ガリラヤ湖
ヨルダン峡谷が陥没してできた南北20q、東西12mのパレスチナ最大の淡水湖で深さ43m、 海抜-210m。1948年のイスラエル建国によって勃発した第一次中東戦争では、シリアがガリラヤ湖の北岸を占領した。1949年の停戦協定ではガリラヤ湖北岸は非武装地帯とされたが、1967年の第三次中東戦争(六日戦争)ではイスラエルが武力に物を言わせてガリラヤ湖全域とゴラン高原を制圧した。今はガリラヤ湖は観光でにぎわうだけでなく、イエスの時代と変わらず漁業が営まれ、湖岸ではバナナの栽培なども行われている。

セントピーターズフィシュ
 パンと魚の奇跡の教会
ガリラヤ湖北西部のタブハ村にある。ルカによる福音書9;10-17にある、イエスが2匹の魚と5つのパンを祝福して増やし、説教を聞きに来た5 0 0 0人を満腹にしたという奇跡にちなんで、建てられた。ベネディクト派の修道院がある。350年に既に教会があったが6世紀に修復された。内部には魚とパンのモザイクや池があるが簡素で自然の中に静かであった。ガリラヤ湖畔で名物の「セント・ピーターズ・フィッシュ(聖ペテロの魚:マトウダイ)」をキブツの経営のレストランで昼食。イエス・キリストが納税に困ったペテロに「ガリラヤ湖で一番最初に採った魚の口を開けよ」と言うと、口にコインが入っていたそうです。
 
入り口の案内石
 
床の魚のモザイク
 
教会正面
 
祭壇
  
 山上の垂訓教会
ガリラヤ湖北西部のタプハにあります。イエスの最も有名で重要な説教がなされた地で、また、イエスが12使徒を選んだ場所だといわれています。ガリラヤ湖が見渡せる丘の頂上の八角形の教会です。この場所にはビザンチン教会がありましたが、1936年にイタリヤ人によって建てられました。新しい感じがします。現在はフランシスコ会の修道女によって管理されています。修道女巡礼のための宿舎があります。内部には8つの垂訓のフレーズがラテン語で書かれていました。
 
山上の垂訓教会

教会入り口
 
巡礼用宿舎
 
綺麗な庭があり遠くにガリラヤ湖が見えます
山上の垂訓  新約聖書マタイ5章1〜7節 8項目あり
●. 心の貧しい者は幸いである。その人は天国に入れるからである。
●. 悲しむ者は幸いである。その人は慰められるからである。
●. 柔和な者は幸いである。その人は地を相続するからである。
●. 正義を求める者は幸いである。その人は満たされるからである。
●. 憐み深い者は幸いである。その人は憐みをうけるからである。
●. 心の清い者は幸いである。その人は神を見るからである。
●. 平和を求める者は幸いである。その人は神の子どもと呼ばれるからである。
●. 正義のために迫害される者は幸いである。天国はその人のものだからである。

 
 
ラテン語で書かれた垂訓
  
カペナウム Capenaum
カペナウムとは慰めの村を意味するが、イエス時代よりも前からダマスコに通じる街道の大切な中継地であった。6世紀ごろ地震で滅びたが、ヨハネが捕らえられた頃 イエス・キリストが布教する為に住んだ街で、イエスが説教したユダヤ教シナゴーグがあるといわれている[発掘中]。入口には杖と魚と天国の鍵を持ったペテロの像と見事なブーゲンビリアがあり、残っている都市遺跡と4世紀のシナゴークが見学できる。
 
遺跡の上の教会

都市遺跡
 
シナゴーク遺跡
 
ペテロ像
 
ユダヤ教の模様がある鴨井
 
ブーゲンビリア
 
遠くに垂訓教会
  
受胎告知教会
 ナザレNazareth はイエスが伝道を始めるまで30年間両親と暮らした土地で、聖母マリアが大天使ガブリエルより受胎告知を受けたと新約聖書ルカ伝にある。受胎告知を受けたと伝えられる洞窟の上に1969年中近東最大級のモダンな教会が建てられ、世界中のキリスト教徒の巡礼の町になっている。教会の内部には世界各国から送られたマリア像、絵画が所狭しと並んでいる。日本からの長谷川路可による「華の聖母子」は教会の2階にあり、真珠を沢山使った着物姿で、細川ガラシャ風の聖母でした。
 
教会入り口
 
告知を受けた洞窟へ
 
聖母子のステンドグラス
 
華の聖母子
  
 イラクリオン Iraklion  ギリシャ: クレタ島Crete
朝は強風と雨模様であったが、上陸する頃にはすっかり太陽が顔をのぞかせてくれました。本日はギリシャのクレタ島観光です。
昼食は全グループ一緒[140名が同時]に海辺のレストラン「KARNAGIO」にて、イカやタコなどシーフード料理はおいしかった。昼食が終わる頃には再び風が強まり雨雲が広がりました。
 
イラクリオン入港
考古学博物館
ミノア文明にまつわるさまざまな出土品を展示している。紀元前1500年以上前のもの。カマレスの陶器、上下に穴が開いている奉納用の器や雄牛の像、ヴィトンがデザイン取得許可申請中の古代の買い物袋?の陶器、未解読の象形文字が刻まれているフェストスの円盤、蛇の女神像、金細工の装飾具などどれもこれも貴重なものばかり。クノッソス宮殿のものは複製で本物オリジナルはこの美術館に収納されている。王妃の間のイルカやユリの王子、パリジェンヌや牡牛跳びをはじめとするフレスコ画などが展示されている。
 
ユリの王子
 
壺類
 
金細工蜜蜂のペンダント
 
装飾剣
 
ルイヴィトンが買いたいというデザイン
 
フェストスの円盤
 
蛇女神の像
 
雄牛跳びのフレスコ画
 
イルカのフレスコ画
 
青の婦人たちフレスコ画
 
クノッソス宮殿Knossos
伝説上の王ミノスにちなんでクレタ島の青銅器時代をミノア時代とエヴァンスが名付けたが、この文明は紀元前2600年から約1500年間続いた。長らく伝承と思われていたミノス王と怪物ミノタウロス(牛頭人身)にまつわるクノッソス宮殿がエヴァンズの発掘によりその存在が明らかになった。 4階建ての部分もあり、 1 2 0 0もの部屋があったという宮殿はまさに「迷宮ラビリンス」。当時の文明の高さが窺い知れます。倉庫や上下水道管、玉座の間、王妃の部屋、劇場とヨーロッパ最古の道などを観光。
 なおここは再訪。ギリシャエーゲ海旅行記を合わせて御参照下さい。 
 2010年ギリシャ旅行記のページのクレタ島へ
 
入り口
 
南西ポーチ
 
中央宮庭から東を見る
 
全体案内板
 
中央宮庭奥は王座の間
 中央宮廷への通路にあるユリの王子  
北入口の見張り場
イラクリオンが歴史に登場するのはクノッソス全盛期の頃その港として栄えたが、824年アラブにクレタ島が占領され、その後ベネティアに支配された。町の中心のベニゼル広場にはヴェネツィア時代のモロシニの噴水と聖マルコ大会堂がある。考古学博物館の近くのエレフテリアス広場からベニゼル広場までの通りには店が多いが、あいにく日曜日で殆どお休み。
モロシニの噴水:噴水自体は1628年ベネティア人が造ったがライオンは14世紀のものと言われている。 
聖マルコ大会堂:14世紀に建てられたイタリア様式の建物。 
 
海綿やさん
 
モロシニの噴水
 
聖マルコ大会堂

お土産屋さん 
  
 ナポリNapori
世界三大美港の一つ・ナポリ湾に入港。
何度か訪れているがいつもトランジット。ゆっくり観光したことが無い。「ナポリを見てから死ね」と言われていたが、まだよくは見ていない。
今日は選択プランでナポリ市内観光/ポンペイ遺跡観光/カプリ島の3コース。我々は。【ナポリ市内観光】を選択。サンマルティーノ美術館見学後、スパッカナポリを散策。やっとナポリの街を見ました。あとは港近くを自由行動、やはりピッザを食べたいので夕食前に再び港の近くを散策。
 
ナポリ入港朝焼けが美しい

ナポリ港遠景

サルディニア行きのフェリー

ターミナル標識

ウンベルト1世ガレリア
 
ヌオボー城
 
ピッツェリア炉
  
国立サン・マルティーノ美術館 Museo Nazionale di San Martino
ナポリを見下ろすヴォメロの丘にある修道院の美術館。高台に位置しており、上からのナポリの街並みとヴェスヴイオ山の姿が美しい。
美術館の中の装飾も素晴らしく豪華絢爛で、見飽きない。
17-18世紀のナポリ、シチリア製のプレゼービオの大コレクションがある。
プレゼービオ Presepe
キリストの生誕を物語的に模したクリスマスの飾り物で、イタリアの伝統的なジオラマ模型。クリスマスに飾ります。ブルボン家のナポリ王シャルル3世とドメニコ会のロッコ神父によって造られたもの。大小取り混ぜ沢山あり、その精緻さ、美しさに驚く。
 
美術館入口
 
天井の装飾
 
天井の装飾拡大
 
礼拝堂全景
 
庭園(修道女の墓もある)
 
プレゼービオ
 
プレゼービオ
  
スパッカナポリSpaccaNapoli
ダンテ広場とカリタ広場の中間あたりから中央駅に向かって走る道路がスパッカナポリ。沢山の教会と活気あふれるお店が並ぶ。
ジェズヌオボ広場、インマコラータの尖塔から東北方向に歩く。
Via Benedetto Croceを、ニーロ像のあるドメニコ広場まで散歩。
サンタキアーラ教会SantaChiara第二次大戦後元通り再建された。修道院回廊Chiostroが美しい。 この近くの教会には沢山のプレゼービオが沢山あることを後で知った。
 
インマコラータの尖塔

サンタキアーラ教会

サンタキアーラ教会内部

ジェズヌオーボ教会
 
ナポリのパン
 
パスタ屋さん
 
スパッカナポリ
 
ドメニコ広場
 
サンドメニコ教会
 
スパッカナポリから見る
サンマルティーノ美術館
 


その他参考事項

■今回のクルーズを前回と比較すると、船は同じ、地中海という意味では航行区域もほぼ同じ。但し寄港地が少なく、全日航海の日が多かったので、船でのアクティビティーには前よりも参加したと思います。やみ上がりの小生にとっては良かったと思います。
従って寄港地の観光は前回に比較しても少ない観光でした。乗客は満員で一番多い国籍はのはアメリカ人、カナダ、ドイツ、日本の順でした。高齢者が多いが、子どもずれも良く見かけました。
■目玉としてイスラエル寄港があり始めてこの国を訪れました。来て観てニュースに出るような緊張感は無く、町ではどちらの民も共存していることがわかりました。だけど検問所、塀など厳しい現実も見ることが出来ました。良い経験であったと思います。しかしイスラエルを垣間見ただけで、歴史が古く、見どころ盛りだくさんで、本当に理解するにはもう少し長く当地に滞在する必要があると思いました。この報告も簡単すぎて間違いもあるかもしれません。第一印象としては周りがすべて陸続きの敵国ばかりの中で取りあえずは治安を保ち、各国からの観光客を集めていることに感心しました。
■ともかくもナポリの街歩きが出来たのが一つの収穫です。何度も訪れながら、治安と時間の関係で、いつもガレリヤとサンタルティアしか見たことのないナポリでしたが、今回はスパッカナポリ付近を歩いたり、ヴォメロへのドライブ、サンマルティーノ美術館など見ることが出来て良かったと思います。
時間がなくスパッカナポリ近くの多くの教会、カポディモンテ美術館には行けなかったのが残念です。ナポリは面白そうな町なので次回のお楽しみとしましょう。
■クルーズはリゾートカジュアルに限ると思いました。やはり、ドレスコードなどを考えて荷物を増やすよりも簡単に食事ができ自由に過ごせるという意味でクルーズはカジュアル船が楽しいと思いました。これからもカジュアルで良ければ参加したいと思います。ワールド航空もこれだけの多くの参加者のプロジェクトご苦労様でした。お世話になり有難うございます。
■余談ですが、タブハのキブツが経営するレストランでセントピーターズフィッシュの食事中に、前にイタリア旅行で一緒した美女に偶然遭遇し、急に声を掛けられ驚きました。沢山の日本人が色々旅行していることを知りました。
■メモ:今回の客室:10032。航海中利用できるサウナ、ジャグジーのスパがあるので、今回はそれを利用して見ました。なかなか快適で部屋のシャワーはいちども使いませんでした。レストランなど設備も前回と大きな変化はなく、メキシコ料理のレストランがシュラスコのブラジル料理に代わっていました。寿司や中華は相変わらずあまり美味しくなく、お客も少ないと感じました。
■感想、質問、間違いの指摘などは下記にメールお願いします。
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