沸流伝説 ふるでんせつ
古代朝鮮の歴史記である 「百済本紀」 くだらほんき ー百済の歴史が記されている書ー の冒頭に書かれている
百済建国神話 くだらけんこくしんわ のなかには 「始祖は沸流 フル 」と 書かれています。
この沸流 フル は 個人名だけでなく 解夫婁 ヘブル つまり ヘブライ人という意味もあるのです。
しかし 内容をよく読んでみると ちょっと あやふやな部分があるのです。
『はるか古代 北方の高句麗の王 朱蒙 しゅもう には 兄 沸流ふる 弟 温祚・おんそ の二人の子が ありました。
二人の兄弟は 大勢の部族を率いて 南下していく途中で 兄弟の部隊は ふたてに分かれた。
兄・沸流は 海に面した弥鄒忽 ミチュエル に 温祚は 内陸の尉礼城 ウィレソ に それぞれ建国しました。
弟・温祚の国は 次第に発展・繁栄していき 馬韓 ばかん のひとつ 伯済になり百済 くだら となった。
一方 衰退していくばかりの兄・沸流の国は いつのまにか姿を消した‥‥』と書かれています。
兄・沸流 フル は いつのまにか姿を消したとか あるいは 自殺したという伝承 でんしょう されているが
あらゆる文献書をあさっても 沸流の最後の消息については 何も書かれておりません。
建国の王の最後の記が無いことは 大いなる疑問なのです。ほとんど 前例の無いことです。
「百済本紀」の冒頭に ”始祖は沸流”という記が存在しているのですから 絶対に何かが変なのです。
歴史学者たちが 必死になって文献を追って探しても 沸流ふる の行方は まったく掴つか めていないのです。
このようなときに
韓国の歴史学者 金聖昊氏は 「沸流百済と日本国家の起源」という著書を出版して
「沸流は 朝鮮半島を南下し日本列島へ渡来した。そして 天皇家の祖となった」と 仮説を展開しました。
すると 他の学者たちは
「沸流が 天皇として生きた証の名は 何というのか?」という質問を 浴びせました。
名前が見つからないことには 只のカチョッペナイ仮説に なってしまうのです。
ところが あったのです!
日本の氏族の出自記録 「新撰姓氏録」という書物の序文に 次の記が見つかりました。
「真人は是 皇別の上氏なり この氏の筆頭は ”息長真人”で”誉田天皇” ほむだてんのう より出づ」と。
この記述が 非常に重要なのです。
”真人は是 皇別の上氏なり”とは 天皇の性は「真氏 しんし 」という意味です。
そして 真氏の筆頭は 息長真人おきながのまひと で 誉田天皇 ほむだてんのう より出た と書いてあるのです。
この誉田天皇 ほむだてんのう とは 第15代/応神天皇 おうじんてんのう のことです。
この説では
「朝鮮半島から来た沸流が 天皇家の本当の始祖であり 沸流とは応神天皇である」と いうことです。
沸流 フル の父親の名は 高句麗の王 「朱蒙 しゅもう 」でした。
そして この朱蒙の父の名は 「解夫婁ヘブル 」という名前だったのです。
「解夫婁ヘブル 」の「夫婁フル 」と 「沸流フル 」が 同じ読みの「フル」なので 大きな問題なのです。
そのなかでも とくに 「解夫婁ヘブル 」が 重要な注目点なのです。 「聖書・祖先の系図」
つまり 纏めると 次のようになります。
『天皇家の本当の始祖は 高句麗の王 「朱蒙 しゅもう 」の息子である兄・沸流である。
そして その沸流が 第15代/応神天皇 おうじんてんのう である。
その沸流の祖父・解夫婁 ヘブル は ヘブライ人である。すると 天皇家の祖先は ヘブライ人である』
世界史のなかには 「ヘブル」と呼ばれる民族が おりました。そうです 聖書の中にあるヘブライ人です。
ということは 日本人の祖先は ヘブライ人ということになるのか!……ボサツマン
「ヘブライ人」とくると
「アブラハム・イサク・ヤコブ・ダビデ王」 そして 「イエスキリスト」を 思い出さずにはおれません。
ヤッパリ 日本とユダヤ国の間には 何か深い関係にあるに 違いありません。
ボサツマンの頭の中がごっちゃに 髪の毛がぐっちゃになってしまった。 う〜ん!でも なんか ワクワク楽しい!