古事記の編纂と女帝の時代   政治的戦略
 古事記」の編纂に 女帝の関わりの説とは?
  天照大御神の勅命
  
豊葦原の 千秋長五百秋の水穂国は 我が御子 正勝吾勝々速日天忍穂耳の命の 知らす国也
   
とよあしはらの ちあきながいほあきのみずほのくには わがみこ
               まさかつあかつかつはやひあめのおしほみみの みこと のしらす くになり

  天照大御神の勅命をうけた 息子天の忍穂耳おしほみみ みこと は 降臨の準備をすすめたのだが
  地上の国つ神たちの抵抗が激しいため
こりゃ まだ 時期早々と 途中で引き返したのでした。
  そこで 高天の原の神の指示で 若い神々が次々と地上の平定に努力するが失敗つづきでした。
  地上の平定が長引く間に 高天の原では
忍穂耳命子供(天照大御神のが 生まれました。
  すると
忍穂耳命は その生まれたばかりの子供に地上へ降臨する主役を 譲ってしまいました。
  これが 古事記に書かれる
天孫降臨秘話です。

 
『古事記』の編纂の時代と 古事記の内容とが とても似ている、
  古事記の編纂を勅命した天皇は
第40代/天武天皇 てんむてんのう です。
   この天皇の勅命を受けた
稗田阿礼 ひえだのあれ が 諸々の伝説や歴史書を暗記したものを
   太安万侶 おおのやすまろ が 書きとめる役として編纂をすすめ 39年間の年月をかけて 完成しました。
   その間に 天武天皇は崩御
ほうぎょ されたが 712年に 第43代/元明天皇 げんめいてんのう に献上された。

   さて ここからなのです! 女帝の時代が‥‥つづく
  天武天皇亡きあとは 天武天皇の
息子草壁の皇子 くさかべのみこ が即位する予定だったが
  皇子はまだ若く弱いため 天武天皇の皇后が
第41代/女帝持統天皇 じとうてんのう として即位した。
  そして
古事記の編纂を引き継いで 中継ぎの役目を 担ったのです。
  この持統天皇は 690年には 第1回の式年遷宮を 開催した天皇でもあります。
  この
持統天皇は 691年には 大神神社
おおみわじんじゃ  石上神宮 いそのかみじんぐう の古文書を没収し
  地方の16の豪族の系図を 提出させたりしました。
 本来は 天武天皇の後 草壁の皇子継ぐのだが まだ若い故 皇后が中継役の天皇に即位して
  そののちに ある時期を見て草壁の皇子に 皇位を譲る予定だったのです。
  しかし 期待されていた
草壁の皇子は 天皇に即位する前に 夭折 ようせつ してしまいました。
  そこで
草壁の皇子の子の軽皇子 かるのみこ
第42代/文武天皇 もんむてんのう として即位したのでした。
  だが 祖母
(持統天皇)から 孫まご(文武天皇)への皇位継承は 前例が無く 周囲は納得しませんでした。
  そこで 神代の時代にすでに 祖母から孫への権利委譲があったという事実を 後から作成したらしいのです。
  
  つ
まり 持統天皇(祖母)から 文武天皇(まご)へ 皇位を滑らかに譲るために
  天孫降臨神話を
創作したのではないか?ということが 説として語られています ‥‥‥あくまでも 説です
  だが この文武天皇
もんむてんのう も 早く死去してしまうのです。

  すると 次の継承権は文武天皇の子だが これまた 幼すぎるので やむなく 中継ぎ役として
  文武天皇の母が
第43代/女帝元明天皇 げんめいてんのう として 即位しました。
  そして この天皇の時代に
古事記が完成したのです
  次に 第43代/元明天皇 つまり 第42代/文武天皇の
  
第44代/女帝元正天皇 げんしょうてんのう として またもや 中継ぎ役として即位したのでした。
  次には
   第43代/元明天皇まご 男子首皇子 おびとのおうじ (第42代/文武天皇の子)
  
第45代/聖武天皇 しょうむてんのう として即位したのでした。奈良の大仏を建立したのが この聖武天皇です。
  このように 男帝聖武天皇即位するまで 第43代第44代の天皇は 中継ぎ役の女性天皇でした。
  
とまあ! このように あわただしく 天皇が変わった時代でした。
  ◎ ポイントは!

 
第40代/天武天皇の亡きあと即位した 天武天皇の皇后の持統天皇から女帝の時代が続いたことです。
  古事記の編纂期が
女帝の時代であったことで 天照大御神が女性であると なったのかも知れません。
  研究者の説!
  神世
かみよ から男性天皇であった流れを変え 女性が天皇に即位することは タブーなのでした。
  過去に例が無いことは 朝廷社会では認められなかったのでした。
  しかし 神世の時代に 前例があったならば 誰も 反対できません。
  なぜならば 天皇家は 天照大御神の子孫ですから 誰も 反対できないのです。
 
         ナルホド それも然りだが 要するに
あとから 前例を作成したのでしょう 真実はどうなのだろう……ボサツマン

  研究者のある説では
  
禊の最後に イザナギの神は 最も重要な3貴子貴の字は男子につける字)が生まれた と言いました。
  
は男性につける字だから 生まれた3柱の神は 男性の神に違いないと 推測できます。
  しかし 持統天皇を筆頭にした
女帝とその孫が 天皇に即位できる前例が必要だったのです。
  もしも 天照大御神が 女性の神であったならば 女帝即位の理由には 何も問題ありません。
  天照大御神が 女性の神であるという過去の前例があれば 女性天皇即位が正当化できるのです。
  こういう理論ありきで 古事記及び日本神話を創作し 編纂したという 学者の
です。