第27章  神武天皇 東征記

  鵜葺草葺不合の命 うかやふきあえずのみことと と、叔母(母の妹)玉依毘売 たまよりひめとの子供たち
  
五瀬の命いつせのみこと  稲氷の命いなひのみこと  神倭伊波礼毘古の命かむやまといわれびこのみこと 神武天皇の三人は
  祖父穂々手見の命山幸彦が建てた高千穂・たかちほ・の宮で 暮らしていました。
  三人の子供たちが立派な青年に成長した
ある日
  
長兄
五瀬の命 いつせのみこと 三男神倭伊波礼毘古の命 かむやまといわれびこのみこと の二人が相談し
  
天下を治め平らかに天下の政治まつりごと を行うため 東の国の方へ行ってみよう
と決め東へ出発しました。
 二人は 日向の国から出発して 筑紫に進んで行った。
 豊国の宇沙
うさ (大分県宇沙市)では 天つ神の子孫五瀬の命神倭伊波礼毘古の命の来訪を祝して、
 
宇沙都比古
宇沙都比売 うさつひこうさつひめ の兄弟が 服属の意を示す宴会を用意して歓待した。
 大御饗
 おおみあえ 大きな饗宴を開催して 五瀬の命神倭伊波礼毘古の命歓迎した
 その後
 二人は 筑紫の岡田の宮に1年 阿岐(安芸の国)の宮に7年 吉備の高島の宮に8年の歳月をかけ
 過酷な東征生活にも耐えて
各地を次々と征服して治めていきました。
                             それらの地は 現在の福岡広島
岡山と考えられる‥‥‥‥ボサツマン
  速水の門
 はやすいのと
 二人の兄弟は
 東へ進む途中 潮の流れが速くて危険な速水の門はやすいのと立ち往生していた。
 速水の門はやすいのと  潮流の速いところを意味し 現在の明石あかし海峡あたり。
 立ち往生し困っていた二人の前に 
亀の甲羅に乗って釣りをしながら ひとりの国つ神が近づいてきて
  
天つ神の子よ この海の海路を良く知っている私が 安全な水路を案内しましょう 水先案内人名乗り出た。
 伊波礼毘古の命 この国つ神を召し抱え 
根津日子
さおねつひこ という名を授けた。
 
優秀な水先案内人
槁根津日子の力で危険な速水の門を無事に通過した二人は
 浪速の渡り
なみはやのわたり (大阪市中央
区)を経て白肩の津
しらかたのつ (東大阪市) 無事に到着した。
 
                             大阪のナニワは 浪速なみはや から変化したかも‥‥‥ボサツマン
 
しかしこの時すでに登美
とみ の地方(現在の奈良市富雄)では先住民那賀須泥毘古 ながすねびこ の一族
 戦いの準備を万端整えて神倭伊波礼毘古の命の軍隊
 待ち受けていました。
 神倭伊波礼毘古の命先陣をきって御船から飛び降り自らたて を振り回し戦いました。
 この所以ゆえん から この地を楯津
たてづ と呼ぶようになりました。
 この戦いは
壮絶な戦いになりました。戦いの最中残念ながら
 
五瀬の命 いつせのみこと 
那賀須泥毘古の矢で
 深傷ふかで を負ってしまった。
  
痛手を負ってしまったのは 日の神の御子である私が 日(太陽)に向かって戦っったからだ。これが 間違いであった
     
これからは
 必ず 日を背負い敵と向かい 戦うことにしよう
 南方に迂回した。
 傷ついた五瀬の命途中にある海辺の川で身体の血を洗った。
 以来
 この地を血沼の海
ちぬのうみ とよぶ。 現在の和泉の国(大阪府泉北泉南)あたりらしい。
 だが傷が回復せず 五瀬の命は 紀の国男の水門おのみなと 亡くなった。
  最後の雄たけびの声 
私は 卑しい奴の矢で傷負って ここで死ぬのか 残念でならぬをあげて亡くなった。
  以来
 この地は男の水門
おのみなと の名がついた。

                          五瀬の命は 和歌山県「竈山神社」かまやまじんじゃ に祀られている。
 
神倭伊波礼毘古の命兄を亡くした悲しみに負けてはいられません。
 なんとしても国を治める大義をやり遂げなければなりません。前進あるのみです。
 兄弟二人で手に手をとって
 天下の政治を 執り行う誓いを立てて 日向の国を出発したのです。
  
兄者の御魂に誓います 必ず 国を統一して天下を治めます私を お守り下さいと兄の御霊に合掌し、
  天下統一の誓いを新たにし
気を引き締めた伊波礼毘古の命は涙を吹き払って出発します。
     
第28章へ      苦戦する伊波礼毘古の命