第43章  倭建の命 やまとたけるのみこと 

 曲がったことは大嫌いな性格の弟
/小碓こうす の命は 気も強いが 頭の回転も 抜群の男でした。
 国中の抵抗勢力を 服従させるには 一番の武闘派
小碓の命であると 父の天皇は判断しました。
 この決断の裏には
 天皇自身が息子の小碓の命に 恐れを抱いていた要因も あったのでしょう。
 景行天皇は 小碓の命
倭建の命 九州の反逆族熊曽建くまそたける の征伐を命じました。
  「
倭建の命 西の九州地方には 朝廷に反抗して乱暴を働く熊曽建くまそたける なる集団がいる。
  
 お前に征伐せいばつ を命じる。頭かしら の熊曽建兄弟を倒せば集団は壊滅するであろう」と。
 
 ☆
 熊曽建征伐 くまそたけるせいばつ 
  
若い決起盛んな 暴れたい年頃の小碓の命です。水を得た魚のように 九州にすっ飛んで行きました。
  近くから様子を伺うと
 熊曽建の家の回りは 守りの軍勢が何重にも取り囲み厳重な警備をしいています。
  簡単には
 侵入できそうもありません。 しかし 小碓には ある名案が 浮かました。
  丁度
 その頃 熊曽建くまそ 軍団の頭の家の新築祝いが 準備中でした。 これは チャンス到来です!
  倭建の命 祝宴の日まで じっと耐えて チャンスをまちます!
  宴会の 給仕をする女性たちなのでしょう おおぜいの少女たちが
 家の中へと入っていきます。
  小碓の命たちは皆 美しい乙女に変装し その少女たちに紛れ込み 家の中に簡単に侵入できました。
  小碓の美しい女装姿は 熊曽兄弟に惚れこまれ
 兄と弟の間に坐ることができました。
    
熊曽兄弟の機嫌は最高に良く 宴うたげ に興じています。
  宴会が最高潮に盛り上がり 酒に酔いしれている熊曽兄弟は
スキだらけです。
  スキを見逃さず
 小碓の命は懐から剣を出し熊曽の胸を ズブットひと突きで殺した。

  慌てふためいた
熊曽は すぐさま逃げ出したが 酒酔いのため スッテンコロリン 転んだ。
  小碓の命は
剣を上段に構えて
 
「俺の名は小碓の命こうすのみこと  大和の王大帯日子淤斯呂和気の天皇 おおたらしひこおしろわけの すめらみこと の次男である。
  またの名は
倭男具那やまとおぐな の王である 天皇の命により 貴様らを征伐する」。
  
熊曽は へなへなと腰が抜けてしまい すっかり観念して
 
「大和の天皇の御子とは知らず たいへん ご無礼をいたしました。
  
この九州では 我等 兄弟が一番強いのです。 この我等を撃ち破った大和の御子 最強の男です。
  
今後 あなたさまは 倭建の命やまとたけるのみこと   お名乗りください」と言って 息絶えた。
  凱旋帰途の倭建の命は 各地の山の神や河の神や河口の神の祝福を受けました。
  だが
 倭建の命は この遠征の帰途において もうひとつ 達成しなければならない計画がありました。
  それは 出雲の国の出雲建
いずもたける を討伐する使命が残っていました。
  
 
 出雲建討伐 いずもたけるとうばつ 
  出雲の地に着いた倭建の命は
 出雲建と友好な関係を築き 盟友の友として 相手の信用を得たのです。
  信頼を確保した倭建の命は
 赤檮いちい の堅い木で作った木刀を身につけ 出雲建を水浴びに誘いました。
  
斐伊川ひいかわ  仲良く水遊びを 終えた倭建の命は 出雲建いずもたける 
  
のう 出雲建いずもたける 殿 次は 刀を取り換えて 剣の腕を競い合おうではないか 
   出雲建は二つ返事で
 ーオウ いいだろう やろうぜ

  倭建の命と出雲建の命は
 互いに刀を交換しあいイザ!の掛け声かけて 刀を抜きました。
  だが
 出雲建いずもたける が振りかざした刀は 倭建やまとたける が作った木刀です。
  片や
倭建の命は本物のです。倭建の命は素早く刀を抜き 出雲建に切りかかり一振りで殺した。
  倭建の命は
自分のを使わずに 相手ので出雲建を 討伐しました。

  多くの人は
だまし討ちはきたない手口と思うでしょうが 当時は戦いの常套手段じょうとうしゅだん でした。
  小碓の命は
大和の国を出発して九州の熊曽兄弟を討ち破り倭建やまとたける と名乗り。
  その帰路の途中では 出雲建も討伐して 大和の国へ戻り
天皇に討伐完了を報告しました。
  帰還した
倭建の命は 地方の反抗勢力を征伐した英雄ですので 英雄の帰還を祝う会があるはずです。
  そして ゆっくりして 旅の疲れを取るのが普通です。 
  だが
景行天皇 倭建の命休ませることなく 次の討伐計画を 命令しました。
            え!天皇 それはひどいでしよ 倭建の命が かわいそうですよ ‥‥‥‥ ボサツマン おもわず叫ぶ
   
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