第47章  倭建の命 死す

 倭建の命は 杖をついて歩きやっとの想いで 尾津の前
おつのさき (三重県)一つ松に 辿り着いた。
 その松の木の根元には かって この場所で食事をした時 置き忘れた刀が そのまま残っていた。
 うれしく思った倭建の命は 一つ松に感謝の礼を込めて 歌を詠んだ。
 
尾張に ただに向かえる 尾津の崎なる一つ松 吾兄あせ を一つ松 人にありせば太刀佩けましを 衣着せましを 一つ松吾兄を
 読み: 「尾張に真向かう 尾津岬おつのさき 一つ松よ 吾兄あせ なあ おまえ 一つ松
       もしも お前が人ならば 太刀はかせようぞ 衣ころも 着せようぞ 可愛い一つ松よ  なあ 吾兄あせ よ」
  歌を詠み終えた倭建の命は 慈愛をこめて撫でて松の木に別れを告げ また 歩きはじめた。
  三重の村に着いた時
私の足は 三つ重ねの勾り餅まがりもち のように すっかり疲れはてて しまったと 弱音を吐いた。
  そこで
この地を 三重
みえ と 名付けられた。
  三重の地の次に 辿り着いた
能煩野
のぼの (鈴鹿山脈 野登山ののぼりやま では 国を偲しの んで 歌を詠んだ。
  
倭は 国のまほろば たたなづく青垣
あおかき  山籠やまごも れる 倭しうるはし 命の全けむ人は 畳薦 たたみこも
    平群
へぐり の山の 熊白檮くまかし が葉を 髻華うず に挿 せ その子 はしけやし 我家の方よ 雲居立ち来も
 
読み:
   
「倭の国は 優れた国だ 重なり合う山々は 青く茂る垣根 その山に囲まれた大和の国は 本当に美しい。
    
大切な生命のまだ健やかな人は 畳薦たたみこも 枕詞平群へぐり の 山の樫の木の葉を 髪の挿頭かざし に しなさい
     若い子らよ なつかしい 我が家の方から 雲が湧いて こちらに立って 動いてくるよ」

 
○ 樫の木の葉を 髪に結って飾る慣わしがあった  常緑樹の葉長寿の祝い事に 使われていました。
    
古代ギリシャ マラソンの優勝者のかんむり  には 「常緑樹月桂樹」が つかわれた。

  倭建の命は 山の神に言挙げしてしまい 山の神の毒気にあてられました。
  弱まった身体に 長引く遠征の疲労が重なり 一気に衰弱していきます。
  さすがの 倭建の命も 身体は眼界を超えて疲労困憊
ひろうこんぱい の状態でした。
  倭建の命は 容態が急変するなかで 息も絶え絶えの苦しさの中で 最後の歌を詠い終えた。
 
 
美夜受比売みづやひめ の 床のそばに 置いてきた草薙の剣 ああ 草薙の剣よと そして 亡くなられた。
  部下の者は
駅使い
はゆまづかい (駅うまや を使って利用した早馬)を使い走りつづけ 都へ訃報ふほう を伝えた。

  「
御葬
みはふり の儀式 匍匐礼哭礼ほふくれい こくれい の儀式        匍匐前進 ほふくぜんしん ー自衛隊用語
  大和の都にいた 御后と御子たちは 急いで能登野
のぼの に来られて
  倭建の命の御墓をつくり 丁重に
匍匐哭礼の儀式ほふくこくれいのぎしき を 執り行いました。
  
匍匐
ほふく とは 腹ばいになって進むという意味。 哭礼こくれい とは 別れの言葉を大声で泣き叫ぶ儀式。
 
第12代/景行天皇の御子(次男) 倭建の命は 能煩野
のぼの の地にて お亡くなりになりました。
  それにしても 草薙の剣を置いて行ったことが 悔やまれてなりません
 ‥‥‥     合掌 
    
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