観普賢菩薩行法経 (3)
  世尊
 「経文の中で 様々な形容表現にて 六牙の白象ろくげのびゃくぞう 大きさや美しさを述べているのは
 
仏の教えを実行することは 大きな価値がある美しいことである という意味の教えです。
 そして 六牙の牙にある池の蓮崋れんげ の上で美女が 多くのいい音色を出す楽器を弾き語っていて
  その周囲には
たくさんの美しい鳥たちが舞を踊り‥‥という形容は
  一人の衆生が仏の教えを実行すると 周囲の人々も感化されて浄化されていく
という教えです。
 また 象の鼻に咲きほこる金色こんじき の花が まだつぼみ のままのうちは‥‥という形容は
  仏の教えを信じる衆生の心は膨らんできてはいるが
まだ悟りきっていない蕾のまま様子を意味し
  未だ
悟りに至らない衆生は 不足を自覚し懺悔し 一心に菩薩行を実行しなさい という教えです。
 また 金色の光は象の目に入り 目から出て耳に入り 耳から出て頭の上を照らす‥‥という形容は
  仏の教えを実行する衆生の行為は すべて
仏の御心みこころ に通じている という教えです。
  つまり 金色の光 信心の魂に住む仏の相
姿をした化仏けぶつの眉間みけん から放たれた光ですので
  一心に菩薩行ぼさつぎょう を実行していくと 必ず 信心しんじん の魂は金色の光を放つのです。

 また 六牙の白象の上にいる化仏けぶつ が持つ大きな金輪こんりん
 
すべての衆生を自由自在に治める 仏の神通力じんつうりき を示しています。
  そして ものごとの実相じっそう を見通す智慧の力の顕われが その金輪にある
魔尼珠まにしゅなのです。
  また
金剛杖こんごうしょ 罪を打ち砕き悪人を改心させる力である 破邪力はじゃりき を示しています。
 
ですから 仏の教えを実行する衆生は やがて 摩訶不思議な神力が自然に身についてくるのです。
 また 化仏けぶつ 金剛杖こんごうしょ を象に向けると象は歩きだす‥‥という形容は
  仏の教えの実行は
まづ 悪や罪を打ち砕き吹き消す懺悔さんげ の行動から始まる という教えです。
 また 六牙の白象が七支しちし の足で七尺の空中を歩くと 地上にはその印文いんもん足跡
  車の輪の形でくっきりと残り
 そのすべての輪には 美しい大きな蓮崋の花が咲きほこる‥‥という形容は
  理想に向かい高く進む衆生には
喜びごとの現実が顕われ出る という教えです。
 また その蓮崋の上に七千もの象が生まれ 六牙の白象に従い進み行く‥‥という形容は
  一人が仏の教えを実行すると
その真理の行いである善行が周りを感化しながら波及するので
  次から次へと
仏の教えに導かれる人々が生まれ 先人を手本にして仏の教えが実行されていく 教えです。

 
その大白象背中には 普賢菩薩が結跏趺坐けっかふざ足を組み坐るして乗っていて
  象を静かに歩ませ進みながら 周囲の衆生に美しい普賢の行を行い見せ
衆生を感化
かんか していきます。
 そして 大乗の教えを一心に修行する衆生を見つけると 普賢菩薩は大白象を衆生の前で立ち止めて
  象の口を大きく優しく開かせて
仏の真理の教えと普賢の行を説くのです。
 
その時には
白象の六牙の池の蓮崋れんげ の上で多くの楽器を弾き いい音色を奏でる美しい女性も
  楽器を弾くのを止めて背筋を伸ばし
やわらかに微笑みをうかべて
 
衆生よ 一心に修行に励むならば 必ず大乗の悟りを得ることができるのですよ その衆生に
 
諸法実相しょほうじっそう の悟りを開く真理の大乗の教え 声清らかに称とな えるのです」。   (4)へ