観普賢菩薩行法経 (19)
  世尊
 「仏の道を修行する衆生が
大乗経典を受持し読誦し 心が菩薩行ぼさつぎょう 決定けつじょう したならば
  
諸仏は その衆生に 大懺悔だいさんげ の法を説きたもうのです。
  
衆生よ 大懺悔とは 変化するものにとらわれる心を捨てて 不変の世界を一心不乱に心に念じることである
と-
 
大懺悔の作用は 途中半ばでもう十分だという気持ちを打ち破る 破壊心識はえしんしき の力を発揮します。
 
大荘厳懺悔だいしょうごんさんげ 無罪相懺悔むざいそうさんげ とよぶ 最も美しい懺悔がこの大懺悔です。
  大懺悔行うと
 衆生の身も心もすっかり清浄になり 娑婆の現象に一喜一憂いっきいつゆう することなく
  衆生の根底の精神が
自由自在に流れる水の如く 清らかになるのです。
  根底の精神が清浄になった衆生
心奥深くに
  普賢菩薩
ふげんぼさつ 及び 十方の諸仏と共に生きている実感を
ハッキリと感じることができます。
  このような
精神に成長した衆生は 仏の智慧の極致である無相の法むそうのほう を会得えとく できます。
  つまり
 
諸法の実相
くうであることを ハッキリと会得できるのです。
  すなわち
とは 宇宙の万物はその根本において平等である ことを心に自覚するのです。
  もうその衆生は
畏れや驚きの心は無く
真理とはおよそ衆生の常識とは真逆に見えること を理解します。
  その衆生は もう 自分に自信をもっても よいのです。
 
なぜなら その衆生はやがて 他の衆生を導く菩薩の境地へ達する資格を得る衆生だからです。
 
真の懺悔とは
  阿難
あなん  このように 懺悔というのはただ罪の告白をすることだけではありません
  仏と自分の心が完全に一致するまで
 内面の仏性にコビリついた穢けが/さび 磨き落とすことです。
  徹底して磨き落としていくと 最後には 仏と同じ大慈悲心で あらゆる衆生を平等に見る心を得て
  衆生を皆平等に救済きゅうさい しようとする心を得るのです。 阿難あなん これが真の懺悔です」。 
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