釈尊の出宮 (3) 三度目の庭園散歩
大変心配した父王は、王子の心を慰めようと、できる限りの努力をすべて行いましたが、太子の憂鬱症は 治まりません。
またしても、太子は 戸外の庭園に出たいと言い出しました。
太子が三度目の庭園散歩をしていた時です、厳重な警戒の裡・うち・に 塵・ちり・ひとつなく掃き清められた庭園にもかかわらず、
いつ、どこから来たのか、皮膚爛・ただ・れ憔悴・しょうすい・しきった らい病患者のような者が現われ、太子の前でバタツと倒れたのです。
太子の今までの人生には、見たことのない生き物の姿です。 初めて見る悲惨な人間の姿でした。
半分腐った肉体からは 膿血・のうけつ・が噴き出していて、思わず吐き気がするくらい、鼻がもげるような、強烈な匂いを放っています。
太子は、家来に聞きました、
ーあれは 何というものなのだ?ー。 あれは病人というものでございます。 ー病人とは いったいどこに住んでいるのだ?ー。
人間というものは いつかは病気になるものなのです、と、家来が申しあげますと、
生まれてこの方、美しい健康な人間しか見たことのない太子は、
人間は、年老いた老人になるばかりではなく、やがては、病気という醜いものにもなるのだと、そこではじめて知ったのでした。
そして、太子の心は、いっそう深い悲しみにくれてしまいました。
太子は又、家来に聞きました、ー人間は病気になった後はどうなるのか?ー。
人間は誰でも 病気になったあげくのはて、死んでしまうのでございますーと、家来は答えた。
人間は誰でも 死んでしまう、という言葉が 太子の心をグサっと刺した。
生きている間は、食い合いの世界、殺し合いの世界である、その後、人間は皆、年を取り病気になり、あげくのはて、死んでしまう。
そんな世界に人間は何のために生まれてきたのだろうか?。
人間の肉体がこんなに美しく見えていても、実は、美しく見えているのは嘘で、美しい姿の奥では 殺し合いが行われているのである。
互いに殺し合って奪った、相手の肉や、血や、養分を、自分の皮膚の表面に並べて 自分は美しい人間なんだと 見ているのである。
しかし、美しく見えている人間は、ただ、仮相の部分であって 中身は実にあさましい限りなのである。 これが人間の世界なのだ。
人間は誰でも、こんな仮相を見せてやっとかろうじて生き続けてきたかと思うと 年を取って足腰が曲がり、皮膚はシワだらけになり、
見苦しくなって病気になって そして最後には ついに死んでしまう生き物なのだ。
太子は、こんな世界に生きていても しかたがない、この見苦しい世界から逃れて、いつまでも元気な生き通しの世界、
争いや殺し合いのない世界に、行きたいものだと、強く考えてしまいました。 そして、太子の心はますます憂鬱になっていきました。
父王はますます心配になって、優れた美しい姫たちを 太子の周りに取り巻かせて、太子の心を慰めようとしました。
オイラなら すぐ慰められちゃうのに‥‥‥ スイマセン、不謹慎過ぎる発言で‥‥‥ボサツマン、
しかし太子には、その美しさが ただ美しいと感じられないのです。
その美しさの奥にある 醜い闘争・とうそう・と悲惨な悲劇とを、太子は感じるのでした。
その時です、天人の神通力がはたらいたのです、今まで舞楽・ぶがく・を奏でていた美しい女性たちが皆、突然、
不思議な睡魔・すいま・に襲われて、まるで麻酔でも打たれたように 昏々・こんこん・と眠ってしまったのです。
なんというその眠る姿のだらしなさ! 美しいと見えていた顔の皮膚はダランとたれさがり、しまりがありません。
口は痴呆のように、アグッと開いたまま。 その開いた口からは よだれがダラダラと流れ落ち 見苦しい姿をさらけ出しています。
太子は思いました。 これが人間の本当の姿なのである、美しいと思っていたのは 嘘の姿だったのだ。
あの皮膚の下には 真っ赤に血の滲・にじ・んだ筋肉がある、その筋肉の下には 内臓がある、その内臓の中には、
見るも醜い糞雑穢・ふんぞうえ・が 充ち満ちているのである‥‥と。
この時、釈尊は、ついに出家することを決意したのでした。
つづく 釈尊の出家