釈尊の出宮 (6)
  
  釈尊の心に、感謝の念が生まれた瞬間、自分が今まで、殺し合い食い合いの悲惨な世界であると見ていたこの世界が、
  本当は助け合いの世界生かしあいの世界だったのだ、と心が変わったのです。 
  野原に広がる草原は、天地の恵みなのだったのだ。 万物を生かす宇宙の仏の恵みが回向・えこう・しているのだ。
  そこに生い茂る草は 親牛と子牛を生かし、親羊と子羊を生かし、さらにまた 人間をも生かしていたのである。
  そうだったのか、
  この世は殺し合いの世界では無いのだ、生かしあいの世界なのだと、この世の調和のシステムに釈尊は気がついたのです。
  牛が草を食べて排便をする、それが草が生きる肥料となって、草は成長する。
  牛が酸素を吸って炭酸ガスを呼出・こしゅつ・すると、草原は炭酸ガスを吸収して酸素に還元して、大気中に戻してくれる。
  このごく普通な自然の営みを、釈尊はこれが宇宙の法なのだ、と気づき心から感謝したのでした。

  野菜や植物には、歩く足はありません。
  植物の子孫が生き延びるには、動物(鳥)が植物の果実を食べて移動して、種子を地に落とすことで可能になるのです。
  美しいおいしい実を、鮮やかな目立つ色に染めて、最も旨く熟した時期に、私を食べてください、と樹木は動物を誘っているのです。
  旨い果実を食べた動物(鳥)たちが、他の地で排便して種子を地にまいてくれるから、
  地球上のどこにでも、自己の住む領域を広げ、繁殖成長していけるのです。
  樹木植物の果実は、動物や鳥に食べてほしいので、食べて旨い時期になると、
  動物や鳥の目につきやすい赤や黄色になって 自分を飾っています。 、動物や鳥を誘っているのです。
  又、動物たちは 赤く熟した実がとてもおいしいから、食べるのです。 その実がおいしくなければ、動物たちはたべません。
  動物(鳥)がその実をたべなかったら、自分の種族を増やすことができないので、植物は大変に困ります。
  食べてもらえない果実は、自分で腐って地に落下して 大地の養分を吸い成長を試みるのです。
  しかし、これは、最上の方法ではありません。
  狭いところで、同じ樹木同志の養分の奪い合いが始まるのです、その結果、その樹木は大きな成長ができません。
  やはり1番良いのは、動物においしく食べてもらって、離れた地域で種子から発芽して成長し、生き延びることです。
  これが、宇宙の法なのだと、釈尊が気づいたのでした。

  樹木の果実が自然と熟して腐って、種が同じ所ばかりに落ちたら その樹木は繁殖したくても繁殖していけません。
  樹木の足となるのが、動物なのです、これが、助け合いの力なのです。
  動物は果実の栄養を吸収するから成長できるし、樹木の種子は、動物(鳥)に運ばれた新天地で、成長していけるのです。
  助け合いとは、親切とか、お節介などではなく、互いの不足を補充し合って、生かしあっていることなのです。

  釈尊が宇宙の法(真理)に気づいてみれば、この世は実にありがたい世界だったのです。
  この地球上のもの、ことごとく生かし合っている世界、すべてのもの一つ一つに仏の命仏の慈悲心が 現れているのでした。
  助け愛生かし愛の世界でした。
  今まで殺し合いと思っていた世界は、仏の無限の生命、仏の愛、仏の智慧に満たされた素晴らしい世界だったのです。
   つづく