釈尊の苦行
   当時のインドでは、苦行を中心とした修行が、ジャイナ教や婆羅門教などで、多く実践されていた。
  苦行の基本:  苦行とは、
もともと、・ねつ・の意味で、
炎や熱の下・もと・に身をさらすことでした。
        
    灼熱の太陽のもとで、東西南北
の四方に火を焚き、四面と太陽の五面の熱を受ける修行法です。
  苦行の目的:  苦の最中にあっても 精神統一に専念することで 救われると考えられていたのです。
           
では、なぜ、そんなに、身体を苦しめるのでしょうか?
           
当時の哲学的立場の考えは、精神と肉体(物質
の、二元の存在を認めていたからです。
         
  アージーヴィカ教や、ジャイナ教などの人々は、精神は本来清浄で上昇性をもつと考えていた。
           
その清浄な精神が、肉体によって自由を束縛されている。だから、
           
精神を束縛から解放し、上昇して自由になるためには、肉体の力を弱めること、と真剣に考えていたのです。
  苦行の場所:  釈尊は、マガダ国の首都ラージャガハの西南方にあるガヤーの街の郊外にある、眺めの良い静かな森に恵まれた、
             豊かな土地
ウルヴェーラのセーナー村を流れる、ネーランジャラ河のほとりで 修行を行っていました。

           
釈尊はこの土地で、当時行われていたあらゆる種類の苦行を、行ったのです。
  苦行の種類:  主に、心を制御すること、呼吸を止めること、断食をすること、が行われていた。
   
          心を制御する苦行とは、
端坐して上下の歯を合わせて 舌で上顎をおし 心を制御して肉体を苦しめる行。
               ※ なんのこっちゃ、どういう苦行なんだ!わかんね〜‥‥‥ボサツマン
      
    呼吸を止める苦行とは、まづ、口と鼻からの呼吸を止めると、耳から息が出入りするようになる、
     
       次には、耳鳴りが大きくなって激しい苦痛が起きてきます。
     
       さらに、耳からの呼吸を止めると 鋭い剣で頭を打ち砕かれるような 強い苦痛が起きてくる。
    
        この苦痛がやがて、硬い革ひもで頭を巻きしめられるような 苦痛に変わっていく。
             まもなく、下腹部に激痛が起こり、下腹部が切り裂かれるような 大苦痛が起きてきます。
             最後には、炭火で焼き苦しめられるような 激しい苦痛が つづくのです。

          
 ※ なんだこりゃ! こんな修行聞いたことない だいたい苦痛苦痛苦痛って
                         そんなに苦痛つづきに 耐えれるわけ無いでしょう。
オイラは絶対無理‥‥‥‥ボサツマン
   
他の苦行:  常に塵にまみれていて決して洗浴しない。 山林に籠り決して他人に見られないように暮らす。
    
          墓場で死骸と一緒に暮らす。  子供達からツバを吐かれ 放尿され 棒で打たれても我慢する。
  
               あが!、んもう、ここまでくると!あいた口ふさがらない、どもならんアホだ‥‥‥ボサツマン

  
  釈尊は、徹底して苦行を行い、やせ衰えてしまったので、人々は皆、釈尊は死んだと思いました。
   ★
やせ衰えた釈尊は、次の言葉を言った、
      
神々
は 私を見て沙門ゴータマはすでに死んだと、思っただろう。
      
又、ある神は、
沙門ゴータマはまだ死んではいない、しかし、まもなく死ぬであろう思っただろう。
      
しかし、ある神は、
沙門ゴータマは阿羅漢である、阿羅漢の境地とは まさにこれである
と、言うに違いない。
                                                     LINK:「釈尊の不断の修行
    このように、あらゆる
苦行を行った釈尊でしたが、心の安定を得られませんでした。 
    つぎに、釈尊は 一切の食を絶つ、絶食の苦行を始めました。
    
一切の食を絶つ「絶食の行」が、苦行中の苦行といわれています。
    こんな激しい苦行を積み重ねたのですが、釈尊の心は平安になりませんでした。
   
釈尊はついに、
   
 ーこれらの苦行は身をそこねるだけで、宗教上の救いの境地に至ることは無い、悟りに至る道は別にあると自覚しました。
    そして、苦行林を出て、やせ衰えた垢にまみれた身を ネーランジャラ河の水で洗い清めていました。
    そこへ、
スジャータという少女がやってきて 食物(乳粥)を釈尊に捧げました。
    スジャータが差し出した乳粥を飲み、みるみるうちに元気になった釈尊は、次に
菩提樹のもとへ向かました。
    そして、その菩提樹の下で、不動で
結跏趺坐・けっかふざ
の修行を行い
宇宙の真理を悟ったのです。
       
   昔、スジャータという飲み物、たしか、飲んだ覚えがある、オイラも真理を悟れるかな?‥‥‥ボサツマン