釈尊・不断の修行
釈尊は、菩提樹 ぼだいじゅ の樹の下で、最後の修行に入られていた。
菩提樹を背に結跏趺坐けっかふざ の姿勢を保ち、東方を向いて正しい悟りに到達する修行を行っていました。
菩提樹は、無花果イチジク の種類で、インドでは古くから聖なる木とされていた。 「釈尊の苦行」
経典には、
不退転の心で結跏趺坐を行ない、不断の修行にはいっていた釈尊は、
第1日目の夜が過ぎた翌日の明け方に、宇宙の根本真理を自覚して仏陀 ぶつだ になられた。
その悟りに至るまでには、悪魔の王 マーラ の誘惑や強迫が矢次早に襲ってきた。 「摩/魔事/魔民」
しかし釈尊は、次々と襲いかかる降魔ごうま (魔の来襲)をことごとく退け、ついに、打ち勝ちました。
この・ゆるぎない心・この不動の心が、私たちが仰ぎ観る不動金剛明王ふどうこんごうみょうおう のお姿です。
「不動金剛明王・金剛手菩薩」
● 「底哩三昧耶不動尊聖者念誦秘密法」 ちりさんまやふどうそんしょうじゃねんじゅひみつほう という経典に、
不動とは、菩提心大寂定 ぼだいしんだいじゃくじょう の義なり…如来成道の時、
寶菩提樹に坐して降魔成道ごうまじょうどう せるは 即ち是れ大寂定不動にして菩提の本なり…と書かれる。
つまり、釈尊が悟りを開かれる直前、あらゆる魔・欲望に打ち勝ち深い瞑想に入られたのです。
その魔・欲望を克服した不動の心のことを、言い表しています。
その時の様子を経典では
「初めにまづ、悪魔は釈尊を悟りの座から追いはらうため、美女をつかわして誘惑した。
釈尊は、矢次早やに襲いかかる美女軍団の攻勢にも、心は微動だにも動かなかった。
悪魔は、次に、旋風・雨・岩石・刀槍・熱炭・砂・泥・闇黒・などを釈尊目がけ投げつけたが、
何ひとつ釈尊の身体に触れる前に、跡形も無く消えてしまった。
悪魔の激怒は最高潮に達し、釈尊に輪盤りんばん や大岩を投げつけた。だが
これらは皆、釈尊の頭上で止まり、輪盤は花の天蓋てんがい に、大岩は花の毬マリ の身の飾りへと変化した。
ついに悪魔たちは、敗北を認め退散していった」。
釈尊の悟り 『律藏』・「大品」より
「私が悟った法は、実に深く・見がたく・理解しがたく・静寂であり・勝れたものであり、
推論の領域をこえ・微妙であって・ただ賢者のみ知るものである」
★梵天 釈尊に懇願/梵天勧請 ぼんてんかんじょう ★
ブラフマン神(梵天)釈尊に大乗仏教を勧める。 ブラフマン神(梵天)の熱き心に感謝。
釈尊が菩提樹のもとで悟りを得た7日後に、「初転法輪」しょてんぼうりん (最初の説法)を行なった決起が、
この梵天勧請 ぼんてんかんじょう だったのです。
菩提樹のもとで釈尊は、
ー私が悟った法は私自身にしかとらえられず、大衆に説くことは不可能であるーと思念し禅定ぜんじょう に入っていました。
その時、梵天が、
ー釈尊よ、自覚した宇宙の真理を、世の人々のために広く説き示すようにーと、釈尊の心に熱心に懇願したのです。
梵天の熱い懇願を受けた釈尊は、ついに、教えを世の人々に説くことを、決意しました。
早速さっそく 共に修行した以前の仲間たちに向かい、初転法輪しょてんぼうりん を説きました。
ボサツマン思う
もし、釈尊が自分だけの宗教体験として、悟りの境地に満足し切って、生涯教えを説くことなく
そのまま涅槃に入ってしまっていたならば、仏教は成立していませんでした。
釈尊が梵天の懇願を受けなかったら、小乗仏教も大乗仏教も生まれることは、ありませんでした。
その意味において、ブラフマン神(梵天)の熱き心に改めて感謝しましょう ‥‥‥‥ 合掌