世尊

 
法華経の精神に背く14箇条の欠点や考え違いのことを、14の謗法 ぼうほう という。
  
 憍慢 きょうまん 分かっていないのにわかったと思いこむこと。    2 懈怠 けだい 余計なことに心を奪われ怠けること
  
 計我  けいが  何でも自分中心に考えること。   4 浅識 せんしき 根本をつかむ心がなく、ものごとの表面だけを見ること。
 
 5 箸欲
じゃくよく 肉体と物質の欲に とらわれていること。   不解 ふげ 大切な点を理解しないで、自己流に解釈すること。
 
 7 不信 ふしん  法華経の教えを信じないあさはかな考え。   8 顰蹙 ひんしゅく  法華経の教えに、反感を表わすこと。
  9 疑惑 ぎわく  法華経の真実を疑う心。    10 誹謗 ひぼう  法華経の悪口を言う。   11 軽善 きょうぜん  法華経を軽蔑する。
  12 憎善 ぞうぜん 法華経を憎く思う心。  13 嫉善 しつぜん 法華経の教えを妬む心。 14 恨善 こんぜん 法華経の教えを恨む心。
 法華経を信じる衆生はこの14謗法 ぼうほう の意味をしっかり理解しなければなりません。
  この14謗法 ぼうほう の心をもつ人間に法華経を説いてはならないという意味ではありません。
  14
謗法の心の人々の欠点や
間違った考えを正してから法華経を説きましょうという意味です。
  そうでなければ、真理の教えの縁を断ち切ってしまうことにも、なりかねないからです。

  14の謗法には
諸々の報い仏罰が関与しますが仏が衆生に罰を与えるのではありません。
  仏と人間とは
相対的関係では無いので仏は人間を罰することは絶対にありません。
  仏は
万物を生かす真理ですから人を地獄へ落としたり動物にしてしまうなどは、ありません。
  そんな
生命に逆行する作用仏が行うことは 絶対に無いのです。 これは真実です。
  仏罰とは自分の迷い煩悩が人生の環境にマイナスとして顕われることを、仏罰とよんでいるのです。
  自分自身の
迷い煩悩自分自身の内面にある仏性ぶっしょう を 覆い隠してしまうのです。
  太陽は空に昇って輝いているのに
黒雲が太陽の光を遮断して日が射さない時は暗いのです。
  だが
太陽を覆おお っていた黒雲が消え去ってしまうと地上に太陽の光が照り出すのです。
  このことと、同じことなのです。
  つまり、
迷いや煩悩を吹き払った衆生は内面の仏性が照り輝きだすのです」。
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