薬艸諭品第5 やくそうゆぼん
前品・信解品しんげぼん を学んだ声聞の四人は、法華経への信解の心 しんげのこころ がより深まりました。
経文:「善哉善哉 ぜんざいぜんざい 迦葉かしょう 善くよく 如来の真実の功徳くどく を説く‥‥」。
………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
世尊は、信解の心 しんげのこころ が深まった声聞の四人を、褒め称えます。
「善哉善哉ぜんざいぜんざい よろしい・ほんとうによろしい。
摩訶迦葉まかかしょう よ、あなたは、よく仏の真実を理解できました。そして今、その心を説いてくれました。
弟子の迦葉よ、あらゆるものごとの真実の姿を、知りつくしている者を王とよぶのである。
真実の道を説法するー法の王ーが、仏ほとけ なのである。
迦葉よ、仏の智慧ちえ というものを、良く知り理解せねばなりません。
仏の智慧ちえ とは、一切の万物の差別の面と平等な面の、両方を知り得ている智慧のことです。
○法の王である仏は、智ち をもって衆生の個々の違いを知り分け、相手や場合に適応した説法をします。
○法の王である仏の説く教えは、あらゆる世界のすべてのあらゆる生命を、仏の悟りへ導くのです。
○法の王である仏は、1切の物事の行く先までを見極めていて、1切衆生の心の奥までも知り尽くしています。
○法の王である仏は、すべてのものを見通すことができる、眼まなこ をもっています。
○法の王である仏は、世の中のすべてのあらゆる物事の真相をも、はっきり見極めております。
○法の王である仏が、教えを説くときは、仏の智慧を衆生に説き示し、教化するのです。
では、もっと分かりやすく、薬草に譬えて説きましょう。
迦葉よ、この世界中の山や、川や、谷間や、土地にはえている小さな木や、大きな木や、藪やぶ や、林や、
いろいろな薬草などは、名前・形・種類などがさまざまで、各々違っています。
これらの薬草が生い茂る上空には、水を含んだ雲が空いっぱいに、満ち広がっているのです。
そして、空の雲から降る雨は、差別なく、どこの地域にも、ほぼ同じように、降りそそぎます。
雨は平等に降りそそぎ、どの草にも、どの木にも、どの藪や林にも、水分を与えるのです。
降りそそぐ雨は、皆、それぞれの草木の性質に応じて、ふさわしい成長の糧となっているのです。
雨の潤いがあるから、すべての草木・茎・枝・葉・などが、生き生きと成長できるのです。
ここまでは、理解できますね。
ところが、良く考えてみると、雨は大地に平等に降りそそぐのだが、
大地の側では、草木の大小や種類により、受け取る量や質は、それぞれ違っています。
雨の側では、あの草木は大きく育ってほしい、あの草木はそこそこで良い、なんて思っていません。
大地の草木は、ただ恵みの雨を吸収して成長し、美しい花を咲かせ、果実を結ぶだけです。
今年は雨が自分に多く降り注いでくれたから、それに応えて、自分は他の草木より大きくなって、
雨に喜んでもらいたいとか、雨に誉めてもらいたい、とか、思ってはいません。
又、次も多く降り注いで欲しいから、今回は頑張っちゃうぞ、なんても、思うことはありません。
極々、当たり前のことです。
摩訶迦葉よ、よく聞くのです。
大きな木・小さな木が有るように、人間にも心の大・小・賢人・愚人がいることは当たり前なのです。
根・茎・枝・葉は、信仰の要素である信しん 、戒かい 、定じょう 、慧え に譬えて説いているのです。
草木にとって一番大切なのは根ね です。丈夫な根の草木は、茎も枝も葉も元気に育つのです。
草木にとっては、根ね が大元おおもと であります。 根が枯れたら終わりです。
信仰の根ね は信しん です。信しん がしっかりした衆生は、戒かい もしっかり守るのです。
戒かい をしっかり守る衆生は、定じょう の境地に辿りつけるのです。結果、その衆生は慧え を得るのです。
だが、いくら信仰の根(信)が太くても、茎(戒)や枝(定)や葉(慧)が、途中で折れたり腐ったりした場合
やがて、根(信)もダメになってしまうので、その信仰の花は咲きません。
弟子の迦葉よ、
信仰とは、大元の根である信が、戒・定・枝をへて慧となるのです。
この戒・定・枝・慧・四つの要素は、常に共存し密接に関係していることを、認識することです。
四つのうち、どれかひとつでも欠けてしまうと、完全な成長にはなりません。
又、大きな木と小さな木が比べっこして、大きな木は小さい木より、オレの方が上等で優れているとか
あるいは、小さな草が大きな草に、自分は負けている、なんてことは考えません。
みんな違っていて、みんなそれで良いのです。相対的なことではないのです。
「金子みすずの言葉」 ーみんな違うみんな違ってみんないいー。
杉の木には杉の役目があり、檜ひのき や黄楊つげ の木にも、それぞれの役割りがあります。
小さなスミレは美しいと感じ、おおきなススキの穂は、心を引き付ける風情ふぜい を感じます。
丸くて大きくて明るく輝くひまわりには、誰しも躍動感を覚え、生きる喜びや希望に浸ひた るのです。
人間にも、表面に現れた頭脳や才能や性格や体力など、それぞれ差があるけれど、
人は皆、それぞれの性分や才能に応じて、自分の持てる力を精いっぱい発揮して生きているのです。
この生き方が、美しく尊いことなのです。仏の説く平等とは、この美しく尊いことを意味しています。
迦葉よ、よく理解できましたね。 ボサツマンよ、あなたはどうですか?」。
ハイ、オイラはだいじょうぶです‥‥‥ ボサツマン ‥‥ ホントにだいじょうぶ?
つづく