世尊
「次に、仏の教えと衆生の悟りの関係を、説きましょう。
すべてを知り尽くし・すべての物事の本当の姿を見究きわ めている立場である、つまり仏は
知道者 ちどうしゃ であり 開道者 かいどうしゃ であり 説道者 せつどうしゃ の立場なのです。
知道者ー 真実の道を知る方。 開道者ー 衆生を真実の道へ導く方。説道者ー 衆生に真実の道を説く方。
一方 衆生は 求道者 ぐどうしゃ の立場です。 求道者ー 仏の道を求める者。
衆生は、この仏の立場・衆生の立場を、理解することです。
仏の道を進む衆生は、卑屈な小さい心は捨てなければ、なりません。
自分はこれぐらいの程度でいいやと思う心は、その衆生の成長を止めてしまうのです。
大きな向上心を耐えず持ちつづけ、真剣に法を学び実行する衆生には、必ず功徳 くどく が与わります。
例えば、地面に生育する諸々な草木が、ひとつの雲から降りそそぐ雨を、同じように受けても
それぞれの草木のDNAにある通り、それぞれの分に応じて育つように、
衆生の場合も、性分しょうぶん や、頭脳や、育った環境などで、仏の教えの受け取り方が、各々違います。
ある衆生の教えの受け取り方が、浅い場合でも、あるいは、部分しか受け取れなかった場合にしても
又、草木が少々の雨しか受け取れなくても、けっして、それは、無駄な受け取り方ではありません。
少しだけ法を受けとる だけでも良いのです。それでも ー法の功徳ー が必ず与わるのです。
卑屈な小さい心は捨てなさい、という意味は、そのくらいで満足してはいけない、という意味です。
法は浅く理解できれば良い、俺の限度はこの辺なんだから、この辺で満足した方が利口なんだ、と思う
自分を小さく見た勝手な自己満足が、最もいけないのです。
常に、もっと深く理解したい、もっと上へ行きたいと、成長する心を念じ願うことが、とても大事です。
最初はたとえ、一段階の浅いー信しん と解げ ーでも、さらに上の段のー信と解ーに上がっていけるのです。
ひとつひとつ階段を上っていくと、遂に最高の境地に至ることは 当たり前のことです。
1歩1歩でよいのです、1歩1歩でよいから、仏の道の階段を確実に登っていくことです。
雨をたくさん吸収できる木もあるし、ほんの少しの雨(水分)しか 吸収できない草もあります。
1年で成長する木もあるし、何年もかかって成長する木も、ある。
1年で実を結ぶ木もあるし、7年や8年も経ってから、実を結ぶ木もあるのです。
8年経ってから実を結ぶ木が、1年で実を結ぶ木と自分と比べて羨うらや み、自責の念に悩み苦しみ
ーああ 自分は実の結びが遅いダメな木だ 自分は劣等生なんだーと 自分を責めてどうするのですか。
ーあの木は 1年でもう実を結んでいるのに 自分は1年でやっと枝・葉を出したばかりだ くやしい!
やっぱり ここが自分の限界なんだ このへんで満足すべきなのだーと 諦めるでしょうか?。
自分を責める木、諦める木なんて聞いたことありません。
7〜8年経って実を結ぶ木は、あせらず・あきらめず・他をうらやまず、コツコツと修行をつづけていって、
7〜8年後に、花が咲いて果実がなるのです。 なにも遅くはありません。
1年で結んだ果実も、8年かかって結んだ果実も、それは皆、美味しい果実なのです。
皆 おいしい果実、これが仏の悟りなのです。
では次に 仏の十号 ほとけのじゅうごう ー仏を尊称した10の呼び名ーを説きましょう
1 如来 にょらい 真理から来た人。 2 応供 おうぐ 人間界や天上界のものの供養に応ずる価値のある人。
3 正偏知 しょうへんち 正しい智慧がゆきわたっている人。 4 明行足 みょうぎょうそく 知識と実行が共に完全な人。
5 善逝 ぜんせい いろいろなものごとに とらわれない人。 6 世間解 せけんげ どんな人の境遇も、理解できる人。
7 無上士 むじょうし 最高の人。 8 調御丈夫 じょうごじょうぶ 人の心を正しく利導りどう できる人。
9 天人師 てんにんし 天上界・人間界のすべての生命を導く人。 10 世尊 せそん この世で最も尊い人。
つづく 身口意の三業