世尊
「次に、身口意しんくいの三業ごう について、説きましょう。
先程、私は =仏は、真理を知る知道者ちどうしゃ であり、真理へ導く開道者かいどうしゃ であり、
真理を説く説道者せつどうしゃ である。一方、衆生は、仏の道を求める求道者ぐどうしゃ である= と説きました。
さらに仏は、知道には意こころ をもって、開道には身み をもって、説道には口く をもって行うのです。
この三つは、身しん口く意いの三業さんごう といい、衆生の仏道修行における日々の行動規範でもあります。
身・口・意の三業とは、人間の行為を身・口・意思の三種に分類した、それぞれの業ごう のことです。
業ごうは、梵語ぼんご の・カルマ・つまり,行為を意味するが、さらに、その行為の影響力までも含まれるのです。
善・悪に限らず人間のすべての行為には,必ず習慣力という余力がはたらきます。
人間が行う行為は、その行為が終わったと思っていても、すぐに滅することはありません。
その行為の余力が、人間の素質に蓄積されていて、衆生の人生に何らかの影響を及ぼすのです。
だから、衆生の人生に影響を及ぼす身・口・意いの行いは、正しく行うよう充分な注意が必要なのです。
身業しんごう とは、動作や振る舞いに現れること。口業くごう とは、言葉で表現されること。
意業いごう とは、思慮分別しりょふんべつの心のこと。 この三つは、輪廻りんねの力となっているのです。
殺生・盗み・邪淫じゃいん の三つが、