お伊勢さん
  伊勢神宮は、古来より日本人が お伊勢さんと 親しみを込めて呼んできました。
  日本人の祖先神である、天照大神 あまてらすおおかみ  お奉りする内宮 ないくう (皇大神宮 こうたいじんぐう)と
  産業神の豊受大神とようけおおかみ  お奉りする外宮 げくう (豊受大神宮 とようけだいじんぐう)と さらに
  別宮べつぐう 摂社せっしゃ 末社まっしゃ 所管社しょかんしゃ 125社からなる。

  外宮げくう (豊受大神宮とようけだいじんぐう)は、内宮のご鎮座から五百年後、高倉山の麓山田原やまだがはら に建てられた。
  外宮の祭神は、豊受大神とようけのおおかみ で 天照大神の食事を司る/御饌都神みけつかみ として、丹波の国から迎えた。
  外宮げくう 伊勢駅から徒歩で5分。

  天照大御神が 五十鈴川のこの川上の地に鎮まり申したのは今から二千年前第11代垂仁天皇すいにん の御代みよ
  皇女の倭姫命やまとひめのみこと が、天照大御神の神慮しんりょ に叶う地を探し求め、長旅の末に辿り着き、伊勢に定めた。
  大和朝廷から東に位置する伊勢の地は、太陽の昇る地でありまた常世とこよ から波が寄せる聖なる海が広がる地でした。
  
  天孫降臨てんそんこうりん のとき天照大御神は孫の瓊々杵尊ににぎのみこと に、高天原たかまがはら の田の稲穂を手渡した。
  そしてこの瑞穂みずほ の国/日本国/で稲作が盛んになって繁栄と平和が築かれていきました。
  つまり稲作(米)は天照大御神が大和の国へプレゼントしたものです。

    作家吉川英治 詠み 「ここは心のふるさとか そぞろ詣れば たびごころ うたた童わらべ かえるかな」

   ……言葉の理解……
  神明造 しんめいづくり  神社本殿の形式のひとつ。 伊勢神宮正殿の形式。 切妻造きりつまつくり で屋根に反りは無い。
                両妻に棟持柱むねもちはしら があり、柱は掘立式で、千木ちぎは屋蓋を貫通し高くそびえる。
  宇治橋 うじばし    天照大神が鎮座する正宮へつづく長い参道は、この宇治橋うじばし を渡って進む。
              橋の渡り板は、船大工技法の ”すりあわせ” で造り並べられている。 長さは約101m。
  御手洗場 みたらし   心身が清まるすがすがしい水辺。 清陵なる石畳は、五代将軍家綱の生母/桂昌院桂昌院が寄進。
  滝祭神 たきさいじん   五十鈴川の石畳の上に鎮座する守り神所管社。 別宮に準じて祭典が奉仕される特別な神様。
  風日祈宮 かざひのみのみや  風の神様を祀る別宮。 5月14日と8月4日風雨の災害が起きないよう 風日祈祭が行われる。
  神 馬 しんば      天皇陛下よりたてまつられた神馬。  毎月/1日11日21日神前に参拝する。
  内宮御正殿 ないくうごしょうでん  天照大神の鎮座される神殿。 五重の御垣に囲まれる一番中央に、天照大神が鎮座する。
                   唯一神命造ゆいいつしんめいつくり で、屋根の上の鰹木かつおぎ の数は10本。千木ちぎ は内削そぎ 
  新御敷地  しんみしきち   式年遷宮の年、神が遷られる敷地。 敷地の中央に覆屋があり、ここが心御柱の位置を示す。
    質問 移る場所はどのように決めるのか?
         神宮には、内宮外宮とも それぞれ 東と西に同じ広さの敷地を用意している。
          簡単に言うと、隣の敷地へ新宮を建てて、引っ越しする。
  御稲御倉  みいねみくら  神宮神田から収穫された稲穂を納める社。 御正宮より小さいが神明しんめい造りの特徴を拝する。
  荒祭宮   あらまつりのみや  天照大神の荒御魂あらみたま を祀る別宮。 御正宮につづき祭典が行われる重要な宮。
  内宮神楽殿 ないくうかぐらでん  鋼板葺入母屋造の建物。御神楽を奉奏する神楽殿、お守り札を授与する神札授与所がある。

  清盛楠 きよもりくす   平安武将平清盛が勅使ちょくし として外宮に参向した際、冠に触れた枝を払ったと伝承される。
               この名の由来となっている。  樹齢八百年以上の古木。
               神の敷地にある木は人間が勝ってに切ってはいけません。平家滅亡関係あるかも……ボサツマン
  手水舎 てみずしゃ  参拝の前に手や口を洗い清める所。柄杓ひしゃく の水で左手右手を洗い左手に水をすくい口を清める。
  外宮御正殿 げくうごしょうでん   豊受大神が鎮座される神殿。  屋根の上の鰹木かつおぎ の数は9本。千木ちぎ は外削そぎ 
  日別朝夕大御饌祭 ひごとあさゆうおおみけさい  神様に、1日2回食事をさし上げる。 外宮御鎮座以来、千五百年間続いている。
              奉仕する神職は五人で、前夜から斎館に参籠さんろう し、早朝沐浴もくよく、身を清めた後、調理始める。
              神饌しんせん(神の食事)は、基本的には
              ご飯鰹節鯛(夏は干物)昆布などの魚や海藻類季節の野菜果物、そしてお酒。
              まづ木と木を摩擦させ火をおこす。檜ひのき の板に山枇杷やまびわ の心棒を回転させる御火鑚具みひきりぐ 
              次、森の中の上御井神社神かみみいじんじゃ で井戸水を汲む。
              次、忌火屋殿いみびやでん で食事を調え、神様が食事をとられる御饌殿みけでん へ運ぶ。
             神饌しんせん(神の食事)は、神宮専用の御料地ごりょうちで、手作りしたもの。
             お米は、伊勢楠部くすべ の神宮神田。 塩は、伊勢市二見の五十鈴川河口の御塩浜。 
             季節の野菜と果物は、二見の神宮御園。
             鮑あわびは、鳥羽の国崎。 干鯛ひだいは、三河湾に浮かぶ篠島/愛知県知多郡南知多町。
             食器は、明和町めいわちょう の土器調製所の素焼きの土器で、1度使用した土器は、土に戻される。

  百二十五社     内宮と外宮の二社。十四の別宮。四十三の摂社。二十四の末社。三十四の所管社。八の別宮所管社。
              所在地: 伊勢市 鳥羽市 松坂市 志摩市の四市と、多気たき 度会わたらいの二郡。
              神嘗祭かんなめさい などの五大祭には、すべての宮々へ神職が参向し、お祭が行われる。
  別 宮 べつぐう   正宮の「わけみや」とされ、特に重んじられている。 その中でも、
            大紀町に鎮まる瀧原宮たきはらのみや 志摩市の伊雑宮いざわのみや 遥宮とおのみや と呼ばれ厚く崇敬される。
  伊雑宮 いざわのみや  磯部の大神宮とよばれ、古くから天照大神の遥宮とおのみや。 漁師海女の信仰が厚い。
  鏡 宮  かがみのみや  皇大神宮の末社で、五十鈴川の水鏡に杜の緑を映し込む。
                五十鈴川の岸の船着場には、かって、倭姫命やまとひめ が来られたという、伝説がある。
  神宮神田 じんぐうしんでん 伊勢市楠部町 五十鈴川の水を引く三ヘクタール水田。 神にお供えする米を清浄栽培している。
                 毎年、五月初旬、田楽が奏でられる中、古式ゆかしく早苗が手植えされる。
  懸 税 かけちから  御正宮の玉垣に かけられた稲穂の束のこと。
             天皇陛下が皇居の御田で自ら育てられた御初穂とともに、全国から奉献された稲穂の束。
  神御衣 かんみそ  神さまの衣服。 神宮では毎年、春と秋、天照大御神さまに、絹と麻を奉る「神御衣祭かんみそさい」を行う。
            TOPに戻る