大澤駅伝競走大会 〔開催場所=地図〕

 この大会の歴史は古く昭和26(1951)年まで遡ります。関東平野北端の安蘇路を一本のタスキに託す本大会は、郷土の生んだ偉大な長距離ランナー・大澤龍雄(日本大学卒で、元3,000m障害走の日本記録保持者)が太平洋戦争で戦死したことにより、その追悼行事として第2・第3の大澤選手が出現することを願い始まりました。
 安蘇路に新春を告げる一大スポーツイベントとして続いてきましたが、これまでの大会に参加したチームは、平成24(2012)年2月6日開催の第62回大会までで、延べ4,307チーム 参加者延人数は、32,224名にのぼります。この大会を登龍門として、オリンピックの日本代表や国内外の大会で活躍する選手が数多く輩出されてきました。
大澤駅伝の運営状況
 この大会の種目は、一般・高校男子(42.195km)。
一般、中学男子、一般・高校女子、中学女子(21.0975km)の6部門で行われます(種別は年により変更あり)。

 一般男子の部のコースは、平成22(2010)年度まで佐野市運動公園~(故)大澤龍雄選手の出身地である佐野市牧町(葛生地区)までの往復で、主に国道293号線を使用して開催されていたが、交通事情の関係もあって平成23(2011)年度からは、佐野市運動公園をスタート、中継、ゴールとする周回コースに変更された。その後もコースの変更はされているが、例として次のコースを示します。

 平成24年2月5日開催の第62回大会から、高校・一般男子の部に共通の新しい区間は次のとおり変更されました。
1区:陸上競技場~山崎五差路~旗川橋~陸上競技場:10.0km
2区:陸上競技場~佐野桜松高校折り返し~陸上競技場:3.0km
3区:陸上競技場~出流原歩道橋~足利銀行赤見支店~陸上競技場:8.1075km
4区:陸上競技場~出流原歩道橋~足利銀行赤見支店~陸上競技場:8.0875km
5区:陸上競技場~佐野桜松高校折り返し~陸上競技場:3.0km
6区:陸上競技場~出流原歩道橋下~陸上競技場:5.0km
7区:陸上競技場~出流原歩道橋下~陸上競技場:5.0km     /合計42.195km

 なお、競技運営は佐野市の補助を受け陸上クラブ「佐野スパルタ倶楽部」が行っています。
※ コースは、開催年ごとに変更される可能性があるので、主催者発表の開催要領などで確認してください。
大澤龍雄 略歴
 大正7(1918)年~昭和19(1944)年。スポーツ選手。安蘇郡常盤村(現佐野市牧町)生まれ。
 昭和6(1931)年、栃木県立佐野中学校(現佐野高校)に入学、陸上競技選手として県内はもとより関東・全国大会にて大いに活躍した。
 昭和11(1936)年日本大学に進み、東京-箱根間駅伝競走(箱根駅伝)をはじめ各種の大会で活躍した。昭和12(1937)年開催の日米対抗陸上競技大会に日本代表として参加、昭和15(1940)年明治神宮大会3000m障害走で9分25秒2の日本新記録を樹立した。
 日本大学卒業後陸軍に入隊、昭和19(1944)年9月に南洋パラオ諸島のアンガウル島にて27歳で戦死した。
大沢駅伝競走大会開催記録
第67回平成29(2017)年2月05日(日)184チーム
第66回平成28(2016)年2月07日(日)141チーム
第65回平成27(2015)年2月01日(日)141チーム
第64回平成26(2014)年2月02日(日)144チーム
第63回平成25(2013)年2月03日(日)149チーム
第62回平成24(2012)年2月05日(日)109チーム
第61回平成23(2011)年2月06日(日)118チーム
第60回平成22(2010)年2月14日(日)112チーム
第59回平成21(2009)年2月01日(日)87チーム