佐野夏まつり

 朝日森天満宮と星宮神社の祭りで、旧佐野町の25町会が2~3町会づつ年番町となって毎年7月下旬に実施しています。その年の年番町が中心になって、神興や稚児行列など、旧佐野町を賑やかに練り歩き祭りを盛り上げます。

お神輿渡御
 お御輿の担ぎ棒の上に乗っているのは、気合の入っているお姉さんです。担ぎ手も熱が入ります。(写真左)
 夏祭りの当日は、「朝日森天満宮」と「星宮神社」の双方から午前10時前後にお神輿を担ぎ出し、旧佐野町地内をねり歩いたあと正午頃、当番町の御仮殿へ神輿を納め無病息災などを祈願します。この時期は30℃を超える暑さで担ぎ手も汗だくだくとなりますが神輿奉納後は、三本締めでお互いをねぎらいます。そして、祭りの最終日の正午ごろには両神社に神輿が戻されます。
稚児行列
 稚児行列の準備を済ませ、出発を待っているお稚児さんたちです(写真左)。
 祭りにおける稚児の形態は地方によって異なりますが、佐野では一番多いとされる「行列型」で、男女の区分はなく学齢前の子供たちが稚児装束で、お神輿の前を行列して歩きます。
 この他の形態としては、古代から6歳以下の幼児には神霊が降臨しやすいと考えられたことから、神社の祭りにおいてよりましの役割をもった稚児を登場させる「よりまし型」や、年齢が少し上がりますが、神楽、舞楽などを奉納・上演する少年少女を稚児と呼ぶ「舞踊・芸能型」などがあります。
手古舞もでた夏祭り
 写真は、昭和初期の「佐野夏祭り」での集合写真です。この頃は、芸者衆が祭礼に金棒を引いて神輿の先導をする「手古舞(てこまい)」が出て夏祭りの賑やかな行列となりました。
 この手古舞(男装で法被を着て金棒を引く)は、昭和40年代前半まであったように記憶していますが、芸者さんの高齢化とともになくなりました。つまり佐野ではこの頃が後継者も生まれず芸者としての職業がなくなった時代でもあったのです。
 写真の場所は万町にあった「萬座(よろずざ)」の前であり、場所から推察するとこの年は万町が年番町だったのだろうと思われます。そういえばこの万町界隈には料亭や料理屋が多く存在し、芸者さんの行き来が多く見られた場所であったように思います。
 「萬座(よろずざ)」は、本来芝居小屋として作られ、明治時代から芝居や政談演説会などが催されました。公害の先駆者で郷土の偉人と慕われる『田中正造』もここで足尾鉱毒問題に関する熱弁を振るったのかも知れません。
 大正時代に入ると佐野で初めて無声映画が上映され、戦後は映画館「佐野松竹」となりましたが、昭和50年代で閉館となりました。昭和61年から平成13年に開発された佐野駅南土地区画整理事業の対象地域であったことから建物は壊され、今ではその影も見ることができません。
朝日森天満宮
 写真右は、朝日森天満宮です。写真の右が本殿、左の人が集まっている高床式の建物がお神輿を納めておく「神輿蔵」です。
神社名:朝日森天満宮(あさひもりてんまんぐう)
祭 神:菅原道真公
配 神:豊受姫命 火産霊命
鎮座地:栃木県佐野市天神807番地
由緒書:平安時代、藤原秀郷公の孫足利次郎太夫家綱、無罪の罪におとしいれらし時、大宰府天満宮に参篭一心不乱に祈念した処、ようやく冤罪がはれ、所領が安堵された。 家綱はこの偉大な神恩を感謝し、唐沢城中の天神沢に天満宮を勧請して尊崇の誠をつくした。
 以後、佐野氏の累代及び一門は祖先の遺志を継承し守護神として崇敬して来ました。
 その後、慶長7年(1602)年、時の城主佐野信吉、幕府の命により佐野天明郷春日岡(今の城山公園)へ城を移すに際し、天満宮も現在地に遷座され、地名を冠し、朝日森天満宮と称した。以来、佐野の氏神として、当地の人々より天神様と呼ばれ、親しまれてきました。
星宮神社
 写真右は、星宮神社です。旧佐野地域のほぼ中央に位置し、本殿は少し高台にあります。
神社名:星宮神社(ほしのみやじんじゃ)
祭 神:天津日高彦穂迩々杵命
相 殿:磐裂神 根裂神
鎮座地:栃木県佐野市大蔵町2928番地
由緒書:天孫星宮大明神建立記によれば、星宮神社は久安年中(1145年~1150年)の草創で天孫星宮慈照大明神と称する。
 当社はかつて天明宿の氏神であり、明治9(1876)年には合併した旧佐野町の氏神となる。 主祭神は天津日高彦穂迩々杵命 相殿 磐裂神 根裂神 を祀り、神仏分離に至るまで合はせ虚空蔵を合祀し、共に国土開発・地域産業発展の為に功顕せられた神々として敬神の心厚く崇拝され、特に氏子はウナギを食べない伝説(質素倹約を旨とし)あり、華美を謹み質実を奨められた神のおぼしめしを守り、酒を飲み喧嘩口論等を謹む神のいましめとして氏子に伝えられている。
 後虚空蔵菩薩は現在春日岡惣宗寺に移管されている。星宮神社が天明宿の氏神に祀られる前は、犬伏地区富岡にあったという説。これを慶長5年(1600年)佐野修理大夫信吉が現在地に移転させたと伝え、旧社地が七ツ塚と呼ばれ塚を七つ北斗七星の形に配置、この地を星宮妙見大菩薩を祀る地としている。
佐野夏祭りの開催記録
期   間年 番 町
平成30(2018)年7月27日(月)~ 7月29日(水)伊賀町、朝日町、天神町
平成29(2017)年7月--日(--)~ 7月--日(--)   
平成28(2016)年7月22日(金)~ 7月24日(日)高砂町、若松町
平成27(2015)年7月24日(金)~ 7月26日(日)久保町、相生町
平成26(2014)年7月25日(金)~ 7月27日(日)大祝町、金吹町
平成25(2013)年7月26日(金)~ 7月28日(日)金屋仲町、金井上町
平成24(2012)年7月27日(金)~ 7月29日(日)金屋下町、亀井町
平成23(2011)年7月20日(水)~ 7月24日(日)大和町、天明町
平成22(2010)年7月24日(金)~ 7月26日(日)大蔵町、大町、大橋町