お元気? そ、よかったwa。 今日は生き方下手の話ね。

妻の  懺悔     生き方下手  夫編
ある夜、 帰宅中に飛び出してきた猫を避け切れず、 急ブレーキも間に合わずひいてしまった。 動物病院に連れて行き、 すぐ入院。 手術の日取りも決めた。 しかし、 手術当日病院へ行ってみると、 前日亡くなったとのこと。 涙が止まらなかった。 

とても美しい猫だった。 おとなしく、 人にも慣れていたので、 本当にかわいがられている猫だということは一目瞭然だった。 

それから半月後、 殺してしまったという自責の念ばかりでいっぱいだった私は、貼り出されているその猫の捜索チラシを見つけた。 心臓が止まりそうになった。 見つかった!


飼い主が見つかった嬉しさと、 殺してしまった加害者の心とが錯そうする中、 すぐさま謝罪に伺った。 どんなに泣かれ、 罵倒されるだろうと覚悟して伺ったのだが、 とても優しい奥様だった。 私を許してくださったと思う。 思いたい。 気持ちは少し楽になったけれど、 ぬぐいきれない気持ちが残る。

私は猫ではなく、人をひいてしまったような感覚でいたのだ。 だから飼い主の方にお会いした時 「代わりに死んで。」と言われればそれもいいとさえ思っていた。 それくらい自分の責任だと思っていた。 

「猫は仕方がないんだよ。 やれることは精一杯やったんだから。」と夫殿は言ってくれる。 しかし私がそう思えるのにはまだまだ時間がかかる。 やっぱり加害者だから、 後悔と自責が強い。 一時も頭から離れない。 人は、なぜそこまでと?と思うかもしれない。 しかしそれが私なのだ。 自分の中で消化し、昇華する時間が人より長い。 人それぞれペースがあって、 直せと言われてもどうしようもないんだ。 
だから私は未だその猫の写真の顔は正視できないでいる。
 私の家族は、私も含めて皆不器用で、人と人との間をヒラヒラとうまーく飛び回れない。 どうもこだわりツッかかりしてようやく前に進んでいく感じなのだ。 だからうーんと時間がかかってしまう。 ある意味、バカなんだろうね。 

ん?あなたもそう?生き方下手なのね。 時代には逆らっているかもしれないけど、人間本来の姿として考えれば当たり前のことで、いいことなのよ、ホントは。

わが夫殿はと言うと、その仕事ぶり、たとえば設計プランがまとまるまでの苦しみは相当なものだ。 お施主さんと長〜い時間かけて打ち合わせをし、その中で徐々にその方の人生観、住宅像が見えてきてイメージが固まっていく。 時に人並みはずれて趣味に興ずるなどしてストレスを取り去り、しかし頭の中では24時間設計のことを常に考えていて、ある時パッとアイディアが浮かぶ。 天使が舞い降りるように。 だから他の建築家よりずっと時間がかかる。時間制限されてプランを練るのはどうも苦手な分野らしい。 不器用きわまりない。 でも、そんな時間の使い方であったとしても、それは決して無駄ではないと思うのよ。 誰であっても人の人生って無駄はないと思う。 必ずそこを通らなければ今はないのだから。

まあ、だからこそ、一人のお施主さんのためだけの、いい家が出来上がるのかもね。 画一化された住宅は驚く程早く出来上がり、けれど万人に合う家などあろうはずもなく、手に入れた住宅に生き方を合わせている人が何人いることだろう。 たった一人のための住宅こそが、住む人を幸せにできるのではないか。 その手助けが出来るんだったら不器用でいいじゃない。 不器用な人ほど信用できるものさ。 しかし・・・生活は大変よネ(ハハハ)
  
家を建てる事って 父の歴史
今、住宅を建てたい方のための窓口になる組織がある。建築家が登録してコンペ形式でプランを提示し、面接をしたうえで自分たちに会った建築家を選ぶすシステムだ。夫殿も登録してあって、最近面接をし、選んでいただいた。その理由は、

 ――自分たちの新しい家での老後の生活が想像できた。
    楽しい生活が送れるであろうことも容易に想像できた。
    なにより老後に希望が持てた。
というものだった。とてもうれしく、感謝の気持ちで涙があふれた。

私も自分や家族の老後を考える年になった今、その気持ちがよーく理解できる。 60歳は、人生折り返しの年だという。 生まれ変わる年だとも。 再出発の気持ちになるんだよ。

しかし、それは不安だらけの時期だ。 次の人生何かできるのか、何が出来るのか、この先どうなるのか、不安材料目白押し! そんな中で家を建てようとする時の心もとないことったらないよ。本当に家を建てていいものか、建てた後どうなるのか、老後も維持できるのか、などなど…ね!

だから、それをわかってくれる建築家と出会えた時の安ど感。 心が通じ、新しい家で暮らしている自分たちの姿、しかも楽しく暮らしている姿が見えた時のうれしさ、安心感、幸福感は計り知れない。 まさに希望。 意欲を持って生きていく力が湧いてくる。 …あ、私だったらね。

建築家によって人生を取り戻してもらったような気持ちになるんだよ。 五里霧中だった老後に光がさし、希望を持って進むことができるんだもの。 テマエミソだけど、建築家のすごさを改めて思う。建築設計って、人の人生そのものなんだね。
夫殿、やりがいのある素敵な仕事だね。アンタはエライ!ガンバ!
90歳を目前にして父が他界した。 私を育ててくれた父だから、思い出はたくさんある。 が、私が生まれる前の父のことって本当に知らないことに気がついた。

父の他界後、母のために年金事務所へ手続きに行った時のこと。
事務所では父の過去の履歴を全部調べてくれた。すると、「同姓同名のこんな記録があるのですが、お父様のことですか?」と聞かれたの。

それは中島飛行機に就職した記録だった。母に確かめると、確かに父の記録だった。その後父は満州へ出征し、終戦後はシベリアへ抑留された。帰国後、その心の傷をいやしたのち、結婚し私が生まれたのだ。

家じゅうの物や書類をひっくり返して父の遺品の整理をしてみると、知らないことがたくさんわかってくる。しかし、私が一番知りたいと思ったことは戦争中のことだ。戦争体験者が少なくなっている現在、ましてや父からは聞くこともできない。生前も自らは語ろうとしなかったが、もう少し聞いておけばよかったと残念に思う。父の親しかった友達に伺ってでも、切れ切れの歴史をつなぎ合わせ、いつかまとめてみたいと思っている。

いつか、ね。でも文才ないからなア…。


..........................................................................................................2012.3

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バイバイまたねこんどはいつ会えるかしら?私はいつもここにいるとは限らないけど…


YUKO KIMIJIM