日記:2005年7月
7月31日(日) ニセコ町内ツアー
朝6時ころ起床し、一風呂浴びてサッパリする。
午前9時にホテル4階の会議室で逢坂町長によるニセコ町の説明があり、9時半に40名余りで大型バスに乗って、町内を案内してもらった。高橋牧場〜役場〜図書館〜ニセコ生活の家〜道の駅「ビュープラザ」と回って12時に散会となる。
私の方は、散会後「有島武郎記念館」に足を運んだ。有島武郎は、大正12年に亡くなっているのでその文学作品に触れる機会は少ないが、高邁な理想を追求し続けた求道者としての生き方には強く惹かれるものがある。有島武郎記念館は、『生まれ出づる悩み』のモデルと言われる木田金次郎氏が有島武郎を訪ねた農場事務所の跡に建っている。そして有島武郎は、大正11年(1922年)7月18日、444ヘクタールを越える有島農場の総てを、小作農民全員に共有の形で無償解放したのだ。そうしたことを偲びながら、館内の展示物を眺めているうちに1時間余りがアッと言う間に過ぎてしまった。
午後2時にニセコ町を出発し、中山峠を通って午後4時半ころ野幌に帰り着いた。
7月30日(土) ニセコ・シンポジウム〜フォンデュ・パーティー
午前9時半過ぎに自宅を出発してニセコ町へ向かい、12時過ぎに到着する。
午後1時からシンポジウム「徹底討論!北海道を斬る」に参加する。基調講演は、慶應義塾大学経済学部の金子勝教授で、その後、ニセコ町の逢坂町長、札幌市の上田市長を交えての鼎談があった。金子先生の熱のこもったお話には圧倒されたが、中でも「二分法の危険性」に関する指摘は、先生の言う「粉飾国家」を見抜く鍵を示すものだろう。
午後6時ころ、JRニセコ駅にある喫茶店「ヌプリ」に足を運ぶ。ここの経営者は、北海道自治体学会の会員なので、一度お会いしたいと思っていたのだが、今回はちょうど良い機会だった。
午後6時半から、ホテル「甘露の森」で開催された懇親会に出席する。8時45分ころ懇親会が終了してから、蘭越町湯の里にあるWさんの別荘に足を運び、チーズフォンデュを囲んでのパーティーに参加する。そのまま夜なべ談義に流れ込んだが、午前0時過ぎにWさんの別荘を出てホテル「甘露の森」に引き返し、午前1時ころ就寝した。
7月29日(金) 白老町の星さんと昼食
今日は気温が下がって、朝から肌寒い一日だった。平成5年の冷害の年は、夏の間ずっと今日のような肌寒い日が続いていたことを思い出す。
昼前に、白老町の星さんから電話があり、札幌に来ているので一緒に昼食でもということで、大丸8階にあるイタリアンレストラン「ミア・アンジェラ」でパスタランチをいただく。久しぶりに足を運んだが、開店当初の方が落ち着いた雰囲気で良かったように思う。お客さんに合わせて工夫した結果、現在のような接客スタイルになったのだと思うのだが、店内に入るとスタッフが「アミーゴ!いらっしゃいませ!」と声をかけてくるのだが、どうもなじめない。
明日は朝からニセコへ行くことになっている。夏の観光シーズンにニセコに行くのは初めてなので、とても楽しみである。2時間余りの運転になるので今日は早く帰って早めに休もうと思ったが、結局同僚4名と「天壇」で飲むととになり、いつもの通り夜更かししてしまった。
7月28日(木) 人口減少社会の到来
一昨日の夜から昨日まで、台風7号の影響で不順な天候が続いていたが、今日は台風一過、良く晴れた空が広がった。気温もそれ程上がらず、今の時期にしては過ごしやすい一日だった。
今朝の北海道新聞の第一面に、次の記事が掲載された。
男性人口、初の減少 道内総数、1万8000人減で最多
総務省は二十七日、住民基本台帳に基づく今年三月三十一日現在の全国の人口動態を発表した。男性人口は前年比一万六百八十人減の六千二百七万六千六百五十八人で、一九六八年の調査開始以来、初めて減少した。総人口は一億二千六百八十六万九千三百九十七人。前年より四万五千二百三十一人増えたが増加率は0・04%で、増加数、率とも過去最低となった。
北海道の人口は五百六十三万二千百三十三人で、前年同期より一万八千四百四十人、0・33%減少。人口減は九九年から七年連続。道によると減少数、減少率とも八五年以降で最大だった。減少数は全国で最も多い。
経済はヒト、モノ、カネの循環で回っているが、先ずヒトが動かないことにはモノもカネも回って行かない。定住人口が減少すれば、モノやカネの流れも減少するから、北海道経済は縮小の連鎖に向かって行くことが懸念される。これからは、経済がどんどんダウンサイジングしていくことを当たり前として受け止めなければならないのではないだろうか。
帰宅途中、同僚のFさんと札幌駅地下街の居酒屋「海へ」で一杯やる。なかなか雰囲気の良い店で、これからまた使うこともあると思う。
7月27日(水)
昨夜から降り始めた雨は、今日になっても降り続いている。時々強い風が吹いて、いかにも台風によって刺激された前線の様相だ。
仕事の方では、9月に大きな会議を開くため、朝から会場の確保や主要メンバーの連絡調整に追われる。この手の準備は日ごろからやっているので、簡単にできそうなものだが、なかなかスムーズにいかない。それでも、昼前に日程調整ができて9月1日(木)の午後に開催できる見通しとなったのでホッとする。
ところが、一息入れる間もなく条例及び規則のチェックを依頼され、午後3時近くまでかかって現在所属のセクションが所管している条例及び規則の全文に目を通した。それ程膨大なものではないが、一つとして見落とすことが許されないので気の抜けない作業となった。
それでも今日はノー残業デーなので、午後5時半には職場を出て帰路に着いた。
7月26日(火) フォーラムin札幌実行委員会
昼過ぎまでは天気が良かったが、夕方から雨が降り始め、雨模様の天気となった。久しぶりの雨なので、多少水気が不足しているように見えた街路樹も、生気を取り戻したように感じられる。
午後6時半から、北海道自治体学会フォーラムin札幌の実行委員会に出席する。8月中旬に発行するニュースレターに参加案内を同封しなければならないので、打合せは9時半過ぎにまで及んだ。終了後、「はねもん屋」で一杯やってから午後11時25分にJR札幌駅発の電車で帰路についた。
7月25日(月)
先週21日(木)の旭川出張と、先々週14日(木)・15日(金)の函館出張の報告書を作成しているうちにどんどん時間が過ぎてしまった。土日に片づけようかと思っていたのだが、もし手を付けていたら休みが丸々潰れてしまい、今日は朝から疲れた状態で過ごすことになっただろう。
帰宅途中、「i−cafe」(北6西5)で一息入れる。HBCのテレポート6(1チャンネル)を見ると、武田明子さんが出ていた(ニュースキャスターなので当然だが・・・。)。5月29日(日)の夜、懇親会でお会いして話をさせていただいたが、とても温かい雰囲気のある方でテレビを通してもその雰囲気が伝わってきた。普通の人とは違った特別な存在感があるので、こういう方を別嬪と呼ぶのだろう。
7月24日(日) お茶会〜大麻・文京台市民祭り
午後1時過ぎに、道庁赤れんが庁舎2階に足を運びお茶会に参加する。一昨日の夜、山本博巳さんから招待されたので半ば義理で参加したようなものだが、何もしなければ特に記憶に残ることもなく過ぎてしまう日曜日の昼下がりに、茶道とはおよそ縁のなさそうな場所で一服のお茶をいただいたことで、何となく心楽しい思い出として記憶に留めることができた。
午後4時半過ぎに、大麻中央公園で開催中の「大麻・文京台市民祭り」に足を運ぶ。大麻団地の近辺は、普段は人通りが少なく商店街も閑散としているが、祭りの会場はどこから出てきたのかと不思議に思うほど大勢の人手があり賑わっていた。「文京台小学校おやじの会」の屋台を探し出して、同僚のSさんから鳥串と揚げ芋を購入すると、チキンナゲットをおまけとして付けてくれた。昨日今日と願ってもない好天なので、かなり売り上げも伸びるのではないだろうか。
7月23日(土) 北海道自治体学会事務局会議
今日は朝から天気が良く、お昼ころにはじっとしていても思わず「暑い」とつぶやきたくなるような陽気になった。
午後4時から、札通ビル(北5西6)8階の会議室で開催された北海道自治体学会の事務局会議に出席する。名簿やメーリングリスト、ホームページの管理などについて5人で話し合ったがそれだけでも2時間かかってしまう。組織を運営するということは、なかなか難しいものだと改めて痛感させられる。
先週末からホームページサーバーへのアクセス障害が発生し、日記の更新も滞っている。そのうちに解決するだろうと思っていたが、いつまでたっても事態が改善しないのでプロバイダ「ぷらら」の技術サポートにその旨通知したところ、今夜になって対処方法がメールで送られてきた。その内容は、アンチウイルスソフトのファイヤーウオールの働きでホームページサーバーへのアクセスが阻害されることがあるので、その場合はファイヤーウオールを外すことというものだった。さっそく指示どおりに作業したところ、無事ホームページのアップロードができるようになった。
7月22日(金) DO!21例会
今週は月曜日が休みだった上に、会議の出席や出張で回答期限の迫った調査物などが溜まってしまい、朝からその処理に追われる。
昼休みに同僚のSさんと、大丸8階にある「宮川」で柳川定食をいただく。さらに、アスティ45の4階にある喫茶店「マークコーヒークラブ」でターキッシュ・コーヒーをいただきながら、北海道型福祉研究会のフィールドワークとして8月6日(土)に実施される北海道難病連主催の日ハム観戦ツアー・ボランティアへの参加について打合せを行う。
大通公園では昨日から毎年恒例のビアガーデンがオープンしている。今日は、午後6時から職場の飲み会がそこで予定されていたのだが、以前からスケジュールに入れていたDO!21の例会とぶつかっていたので、先約を優先する。
DO!21例会では成田真利子さんを講師として、各種審議委員としての活動についてお話をうかがった。彼女は、札幌市や道庁などの審議会で委員としての活動を数多く経験している。現在中心となっているのが札幌市の「市役所改革委員会」の活動とのことで、そのお話が中心だったが、一昨年の10月からスタートした委員会をとおして市役所職員と接触する中で、職員の意識も変わってきているとの積極的な評価だった。
終了後はいつものとおり「はねもん屋 北4条店」で飲み会に参加し、午後11時過ぎに散会して帰路に着く。
7月21日(木) 旭川出張
朝10時半にJR札幌駅発の特急ライラック3号で旭川市へ向かい、12時ちょうどにJR旭川駅に到着する。久々の旭川市は、良く晴れて駅前通りも思いのほか歩いている人が多く、先週訪ねた函館の駅前に比べると、ずいぶん賑やかに感じられた。
まずは昼食ということで「まるかつ」に入る。昔は、「まるかつ」の食堂が小さな町から旭川に来るときの目当てになっていたのだが、それはずっと過去のことだ。「まるかつ」の中にある小さな喫茶コーナーでドライカレーをいただく。期待していた以上に美味しく、また食後のコーヒーも酸味のある私好みの味で満足だった。
その後、12時50分に旭川市役所のロビーで上川保健福祉事務所の職員2名と合流し、一緒に旭川市役所を訪問する。思いの外打合せが長引き、午後3時近くになる。次の約束があることを説明してようやく旭川市役所を出て、今度は旭川運輸支局を訪問する。ここで40分程度打合せをしてからJR旭川駅に送ってもらい、午後4時発の特急スーパーホワイトアロー22号で札幌に向かう。
午後5時20分過ぎにJR札幌駅に到着し、「みんたる」でミカンジュースをいただいてから帰路に着いた。
7月20日(水) 北海道型福祉研究会(第1回)
午前中、某町の中心市街地活性化基本計画(素案)説明会に出席する。この手の計画は日ごろから目にする機会が多いが、どうしてもハードの整備が具体的な施策展開の中心に据えられるので、国や地方の財政が厳しい中でどれだけ実現の可能性があるのだろうかと考えてしまう。
午後6時から、北海道型福祉研究会に出席する。今日が、研究そのものを目的とする集まりとしては第1回目で、私が「北海道の地域特性と福祉」というテーマで話題提供を行った。前のセクションにいたときに、地域分析の手法や社会福祉施設整備の経済効果についてかなり調べ上げたので、その知識を総動員して話しているうちに、アッという間に2時間が経過してしまった。午後8時ころ散会し、その後飲み会が用意されていたのだが、父が入院したばかりであるため、飲み会はパスして帰路に着いた。
7月19日(火)
今朝の北海道新聞社説で、道内の市町村職員の間で地方自治を考える新たな動きが出ていることが紹介されていた。具体的には、十勝管内、南空知、ニセコ周辺の3カ所だ。いずれも北海道自治体学会のメンバーが中心となって始めた取組である。国も地方も危機的な財政状況の中、気持ちも萎縮しがちだが市町村職員レベルで意欲的な取組が生まれていることに、僅かながら希望の光を見るような気がする。
今日は朝から抜けるような好天で、気温もぐんぐん上昇し黙って座っていても汗がにじむ暑さとなった。先週末に出張したため仕事が溜まっており、午前中は片っ端からその処理をする。
昼休みに電話があり、父が免許更新のための実技試験の際に倒れて入院し、車が試験会場に置きっ放しになっているため取りに行ってほしいとのこと。そのため、速攻で帰宅し啓盛自動車学校に足を運んで車を引き取ってきた。父の容態については、命に別状はなく後遺症が残る心配もないものの念のため一週間ほど入院して健康の回復を図るとのことである。最近は飲み会が続いて夜遅くまで帰宅しない日々が続いているが、これからしばらくは付き合いを控えなければならないだろう。
7月18日(月) 海の日
明け方は、かなり激しい雨音が響いていたが早朝にその雨はやみ、昼過ぎからは薄い雲を通して柔らかな日差しが差し込む天気となった。かなり強い風が吹いたので、屋外での体感気温は涼しく感じられ、秋風の中を歩いているような気がした。
大丸札幌店のオーダーサロンで、クールビズ用のワイシャツを注文する。月曜から金曜までの5日間のうち4日間は、淡いストライプかチェックのシャツで過ごし、1日だけは少し目立つ濃色のシャツにしてアクセントを付けようと思う。今日の注文で淡色のシャツが4枚そろうので、後は少し改まった席に出るとき用のジャケットをあつらえれば今年のクールビズ対応は完成である。
狸小路3丁目のマツモトキヨシで、サプリメント「セサミンE」を3箱(120日分)購入する。これはサントリーの製品で、ゴマの有効成分であるセサミンを凝縮したものである。1箱3,500円と安くはないが、1日当たりゴマ3千粒分のセサミンを摂ることができるので、それを考えると高くはないだろう。
7月17日(日)
今日も暑い一日だった。目がショボショボするので休養に努める。
昼過ぎに札幌に出かけ、「アイ カフェ」でマッサージコースを利用する。1時間フルに首筋や肩を揉みほぐしているうちに、心なしか疲れがとれた感じがする。
大丸札幌店6階のオーダーコーナーで、カラーシャツ2枚を受け取る。これは7月1日(金)の夜、クールビズ用に注文したもので、淡いチェックとストライプのボタンダウンのシャツは、一応クールビズの定番だと思う。
「ぷらら」のホームページサーバーの障害は、深夜になってようやく復旧した。
7月16日(土)
今日から3連休である。日ごろの睡眠不足を解消するため寝溜めをしようと思ったが、気温が上がって暑苦しく、ゆっくり寝ていられる状態ではなかった。
「ぷらら」のホームページサーバーに障害が発生しているらしく、13日(水)の夜を最後にデータのアップロードができない状態になっている。ホームページサーバーにアクセスする度にエラーメッセージが出るので様子を見ているが、なかなか復旧しないので疲れてしまう。
夕方、涼しくなってから車で札幌に向かい用を足す。空がだんだん暗くなって、星が瞬き始める。それを見ていると、昨夜の「星めぐりの歌」を思い出した。
7月15日(金) 函館出張(2日目)
昨日に引き続いて、今日も朝から快晴である。午前8時ころ朝食後チェックアウトし、以前住んでいた五稜郭公園の辺りを散策する。
10時過ぎに函館美術館を訪問し、施設を見せていただく。ここは、以前良く足を運んだものだが、施設は当時と全く変わらずタイムスリップしたような感覚になる。
昼食は函館山の麓にある「五嶋軒」でパスタランチをいただき、午後1時過ぎに函館中部高等学校を訪問して施設を見せていただく。
その後お土産品を購入してから、午後3時24分、JR函館駅発の特急北斗15号で札幌に向かい、午後6時59分にJR札幌駅に到着する。
その足で、「みんたる」に向かい、「宮沢賢治 カタリとオンガク」に出席する。これは、民族音楽のアーティスト4人によるコラボレーションで、サンポーニャ(ペルーの竹笛)やウドー(土瓶を使った楽器)、馬頭琴などを使って様々な音楽が演奏された。プログラムの最後に「双子の星」(宮沢賢治作)の朗読、そして馬頭琴やギターに合わせて「星めぐりの歌」(宮沢賢治作詞・作曲)が歌われて、アッと言う間に時間が過ぎてしまった。
午後9時半過ぎからは、打ち上げの宴会が用意されていたがそれには参加せず帰路に着いた。
7月14日(木) 函館出張(1日目)
今日と明日の二日間、函館に出張である。K町役場から派遣で来ているOさんと二人、午前9時19分にJR札幌駅発の特急北斗8号で函館に向かい、12時48分にJR函館駅着。さっそく、JR函館駅前にある中華料理店「王(おう)さん」で「あんかけチャーハン」をいただく。これは、一昨年の11月に出張で函館に来たとき、七飯町出身のKさんが一押しの一品だったが、何故か「塩ラーメン」を注文してしまい、Kさんから不興を買ったメニューだ。今回初めていただいた「(あん)かけチャーハン」は正に絶品で、知られざる逸品と言えよう。
午後2時から、渡島支庁のUさんにも同席してもらって、函館市役所の関連セクションと打合せを行い、3時半から函館運輸支局の担当者と打合せを行った。
午後6時ころ、スパゲッティの専門店「パスタリア」で美味しいスパゲティをいただいてから「ホテル法華クラブ函館」にチェックインした。
南アフリカのダーバンで開催中のユネスコの世界遺産委員会で、「知床」が世界自然遺産に登録されることが決まったとのことだ。これでしばらく「知床観光」に弾みが着くことと思うが、「知床」は秘境であることに最大の価値があるような場所なので、観光客が激増するとかえって魅力を損なってしまうようなところがある。知床五湖、フレペの滝はしばしば熊が出没する場所だし、カムイワッカの湯の滝や知床大橋も観光客で雑踏していたりすれば興ざめだろう。何とも微妙な気分だ。
7月13日(水) 日仏地方分権セミナー打上げ
今日は天気が良く、昼過ぎからは気温も上昇して夏らしい一日となった。朝10時から、1184通の郵便物を発送するための作業に取りかかる。同じ課の大勢に手伝ってもらって、午後2時には大量の郵便物を地下の終発室に持ち込み発送作業を終えることができた。
午後6時から、ホテルポールスター札幌のラウンジで日仏地方分権セミナーの会計に関する監査を受ける。セミナーそのものは昨年8月31日に開催したものなので、1年近く後始末に時間がかかっているわけだ。監査そのものはすぐに終わり、午後6時半から同じホテルの4階で開催された打上の宴会に出席する。会計処理が長引いて精神的な負担になっていたので、ようやく重荷を下ろしてホッとした気分になる。
午後8時半過ぎに散会後、北海道新聞の山崎論説員が馴染みの店で二次会に参加し、午後10時半過ぎに散会して帰路に着く。
7月12日(火)
今日も一日中、NPO関係の名簿を整理し、昼過ぎになってようやくタックシールに打ち出して封筒に貼る作業に取りかかることができた。明日はいよいよ、大量の資料を一気に郵送することができそうだ。
午後6時ころから、同僚と4人で「蝦天」で晩酌セット(1,500円)をいただく。7時半ころには散会し、夕暮れが迫るJR札幌駅前で他のメンバーと別れる。
酔い覚ましに「みんたる」で中国茶をいただいてから、北海道自治体学会2005年度会費(法人分)の請求書を封筒に入れて発送の準備をする。午後8時過ぎに店を出て帰路に着く。
7月11日(月) フォーラムin札幌実行委員会
今日は朝から雨が降っていた。通勤途中、最近センチュリーロイヤルホテルの1階にオープンした「アイ カフェ」でマッサージチェアを試してみる。今のところ朝の時間帯は空いているのか、私以外にお客さんはなかった。ここのところずっと、首筋が凝っているので20分程度揉みほぐして少し楽になった感じがする。
少し残業して、午後7時半から、北海道自治体学会フォーラムin札幌の打合せに参加する。第9回目の打合せなのですんなり行きそうなものだが、いろいろな立場の人が集まっているので考え方もまちまちであり、ちょっとしたことにも簡単には一致点が見いだせない。こうした打合せをとおしてつくづく思うのは、「民主主義とは時間のかかるものだ。」ということである。こうした意見調整の場に参加すること面倒がって、多くのことを他人任せにするとそのときは気楽かもしれないが、気が付かないうちに思いがけない不利益を被るおそれもある。国や地方の財政がこれほど危機的な状況にあるのも、多くの人々が目の前の利益に目を奪われて、将来における財政危機を甘く考えたツケであるとも言えよう。
午後9時過ぎに実行委員会が終わってから、米一さん、渡辺さんと3人で「はねもん屋北4条店」で一杯やってから帰路に着く。今日もJR江別駅まで乗り過ごして、タクシーで帰るハメになった。
7月10日(日) 北海道の借金
九州北部では大雨による災害が発生しているようだが、本道も今日は朝から雨が降っている。先週の日曜日は大雨の中、熊野古道を歩いていたことを思い出す。ただし、今日の気温は肌寒いほどであり、同じ雨でも本州の梅雨とは違うことに気づかされる。「えぞ梅雨」の日は、梅雨の日のように蒸し暑くはないのだ。
朝、テレビ番組の「報道2001」を見ていると、長野県の田中康夫知事が「長野県では昨年度、県民一人当たりの借金の減少額が都道府県の中で一番になった。」と誇らしげに話していた。一方、借金の増加額トップは何と北海道で、道民一人当たりの借金は5万4千円以上増えているという。総額では300億円ほど増加したことになる。なるほど、なりふり構わぬ歳出削減策が必要になるわけだ。
7月9日(土) 「ミクニ サッポロ」でフルコース
今日は、朝から薄曇りでちょっと肌寒い天気である。
11時半からステラプレイス9階にあるフレンチの店「ミクニ サッポロ」でフルコースをいただく。本格的なフランス料理のフルコースをいただくのは今回が初めてだったが、事前に『ホテルオークラ「橋本流」大人のマナー』(橋本保雄著)を読んで勉強して、ナイフとフォークのセットは外側から使うことくらいは頭に入れていた。実際には、箸も用意されており心配する必要はなかった。オードブル、魚料理、肉料理、口直し用のデザート、メインのデザート、食後のコーヒーと続いた。どれも手が込んでいたが、圧巻はメインのデザートで、桃のシロップ煮にゼリーをコーティングしてバニラアイスを詰めた上から、さらにシロップをかけて美しく盛ったもので、金箔がトッピングされていた。スタッフのサービスも申し分なく、流石に高級店だけのことはある。
午後1時過ぎに店を出て、北海道NPOサポートセンターに北海道自治体学会の事務所使用料を納め、環状通東駅の近くにある理容ベックで散髪して帰路に着く。
7月8日(金) 「よみがえれ!スリランカ アンコール上映会」
今日は久々に青空が広がり、気温も上がって夏らしい一日だった。自分の仕事の方はかなりせっぱ詰まっているのだが、グループ員の仕事をフォローする必要が生じたため、昼過ぎからはそれにかかり切りになった。
午後7時半から、「みんたる」で開催された「よみがえれ!スリランカ アンコール上映会」に参加する。写真家の伊勢さんが、スリランカ津波の被害状況を撮影したスライド写真を上映しながら被害後の現地の状況を報告するという内容で、参加者も20名を超えて、店内は一杯になった。昨年12月26日(日)に発生したスマトラ沖地震、そしてその直後に発生した大津波によってスリランカも大きな被害を受けたことはニュースで知っていたので、現地の状況には関心があった。ただ、撮影時期が津波から3ヵ月後のためかスライド写真からは悲惨な被害の状況は伝わってこず、少し拍子抜けしてしまった。午後8時20分ころ休憩時間に入る。遅れてきたお客さんで店の中はますます混雑し始めたので、休憩時間に店を出て帰路に着く。
今週は、熊野古道の旅の疲れが残っていたため、疲れをしのぎながらようやく過ごした一週間だった。仕事の方は今ひとつはかどらなかかったものの、何とか週末の休みに滑り込めてホッとした。
7月7日(木)
今日も朝から雨が降っている。少し肌寒く感じたので、久々にブレザーを着込んで出勤した。
仕事の方が少しせっぱ詰まってきたので、昼休みを潰して処理することになった。
朝は肌寒いくらいだったのに、夕方には一転して気温が上がり蒸し暑くなった。熊野古道を巡った疲れが今になってドッと出て、頭がボーッとする状態になった。
明日は遠方から来客があるので、夕食に招待することにした。個人的には一度、ステラプレイス9階にあるフレンチの店「ミクニ サッポロ」に行ってみたいと思っていたので、この機会に利用することにして予約を入れた。フランス料理にうるさい知人からは、「味がくどくて、あまり好みではない。」というコメントをいただいているが、有名シェフの店なので、そのプロデュースになる料理がどれ程のものなのか知っておいて損はないだろう。
7月6日(水) 北海道型福祉研究会
今日も朝から雨が降っている。北海道は梅雨がないというが、この時期は梅雨前線が北上して雨がちな天候になることがあり、「えぞ梅雨」と呼ぶ。今日は典型的な「えぞ梅雨」である。
午後6時から、「高田屋北4条店」で「北海道型福祉研究会」の打合せを行う。今日がメンバーの初顔合わせで、今後の計画を話し合う。Sさんのリードで話が進み、来年までのスケジュールが大体固まった。
午後8時ころ散会し、「みんたる」で酔い覚ましに中国茶をいただいて、午後9時過ぎの電車で帰路に着く。
7月5日(火) ホテルニューオオタニ札幌で飲み会
朝から雨が降っている。熊野から梅雨を連れて帰ったような感じだ。
午後2時40分にJR札幌駅発のディーゼル列車に乗って、北海道医療大学に向かう。午後3時27分に北海道医療大学に到着し、午後4時から看護福祉学部の横井寿之教授と打合せを行う。
午後6時過ぎから、「熊野古道の旅の安着祝い」という名目で飲み会を開催する。場所はホテルニューオオタニ札幌のラウンジで、参加者は職場の同僚6人だった。午後8時ころ散会し、「みんたる」で酔い覚ましに中国茶をいただいて、午後9時過ぎの電車で帰路に着いた。
7月4日(月) 熊野古道の旅(3日目)
午前8時半ころホテルをチェックアウトし、「たな梅駅前店」で「南蛮焼」、辻の餅本舗で「おけし餅」を購入する。ホテルを出たときは雨がやんでいたが、辻の餅本舗を出るころから雨が降り始めた。雨の中をJR紀伊田辺駅に向かい、午前9時37分発の「くろしお10号」で和歌山市へ向かう。
JR和歌山駅には、10時47分に到着する。和歌山市には一昨年も来たことがあるが、あまり見るところはない。和歌山城は壮大だが、JR和歌山駅から少し離れており、雨の中もう一度行きたいと思うほどではない。唯一の目的は、和歌山ラーメンの名店「井出商店」で和歌山ラーメンはそれ程美味しいのかどうか試してみることだった。「井出商店」は、JR和歌山駅から歩いて8分くらいの所にある。太い道路の角地に建っているのですぐに見つかったが、余りにも古ぼけた外観で驚いた。20人も入れないような狭い店内は先客で埋まっており、ラーメン(一杯500円)は博多ラーメンに魚醤を加えたような濃厚なスープに細麺が入っていた。食べてみると、たしかに美味しいことは美味しいが期待したほどのものではない。昨夜のびっくりラーメン(189円)の方が、あっさりして美味しいと思うくらいである。
午後1時ちょうどに、JR和歌山駅東口のバスターミナルからリムジンバスに乗って関西空港へ向かう。関西空港には午後1時35分に到着する。午後4時ちょうどに関西空港発のJAL2507便で新千歳空港へ。午後5時55分に新千歳空港に到着し、JR札幌駅には午後6時40分ころ到着した。
「みんたる」に足を運んでお土産を届け、紀伊田辺でお世話になったWさんには夕張メロンを送る手はずを整えてから午後8時過ぎに帰宅した。
7月3日(日) 熊野古道(2日目)
7時に起床して朝食後、8時ちょうどにJR紀伊田辺駅前発のJRバスで熊野古道に向かう。昨年7月に熊野古道が世界遺産に登録されて以降、観光客が増えているだろうと思うが、意外なことにバスはがらがらで、観光客は私一人だった。
8時40分に滝尻(たきじり)に到着し、滝尻王子の社殿の裏からはじまる熊野古道に足を踏み入れる。熊野詣での旅人が腰を抜かす急な坂とガイドブックに書かれているが、それは誇張ではない。それは現代の「道」というイメージとはかけ離れた驚くほど険阻な山道で、しかも降り続く雨のため滑りやすくなっている。湿度も100%近い中、滝のように降り注ぐ雨をしのぎながら急な坂を登り続けることは無謀と判断し、10分間程度登ったところで引き返した。滝尻王子のそばにある熊野古道館で一息入れてから、10時過ぎに龍神バスに乗って、10時半ころ牛馬童子口(ぎゅうばどうじぐち)に着く。
雨は一層激しさを増し、牛馬童子口に着いたころには地面に叩きつける雨の跳ね返りでズボンの裾がずぶ濡れになるほどになった。バス停から牛馬童子像までは800メートルという標識が立っているのだが、雨脚があまりにも激しいので道の駅「熊野古道館」に入り雨が小降りになるのを待った。11時20分ころ、ようやく雨が小降りになったので牛馬童子像まで一気に歩く。箸折り峠にたたずむ牛馬童子像は想像していたよりずっと小さく、足下をのぞき込むようにして眺めた。
その後、さらに古道を歩いて近露(ちかつゆ)へ。当初は、ここに泊まる計画も考えていたのだが、この雨では宿泊の予約をしていなくて良かったと思った。
12時25分に近露発の龍神バスに乗って本宮大社へ向かう。 近露から先は車一台通るのがやっとの狭い道を1時間近くかかって、午後1時20分ころ本宮大社前に到着する。本宮大社と大斎原(おおゆのはら)を見て、名物の「もうで餅」をいただいてから、午後2時15分本宮大社前発の奈良交通バスで新宮へ向かう。新宮市には午後3時40分ころ到着し、熊野速玉大社を見る。熊野三山とは本宮大社、速玉大社、那智大社であるが、那智大社には平成3年に足を運んだことがあるので、これで三山巡りを遂げることができた。総本家めはりや本店で名物の「めはり寿司」をいただいてから、午後6時ころJR新宮駅発の特急オーシャンアロー36号で紀伊田辺へ。
車中、昨夜購入した『熊の古道』を読む。JR紀伊田辺駅には午後7時45分に着いた。駅前の「ラーメン一幸」でびっくりラーメン(189円)をいただき、喫茶店「べるかんと」でコーヒーをいただいて、午後9時ころホテルに帰った。
7月2日(土) 熊野古道の旅(1日目)
朝6時に自宅を出発し、午前8時に新千歳空港発のJAL2500便で関西空港へ。関西空港には定刻の10時5分に到着し、和歌山市までの空港連絡バスと、くろしお11号を乗り継いで12時44分にJR紀伊田辺駅に到着する。
あいにく雨が降っている。雨の中を歩き回る。曲がりくねった狭い道をひたすら歩いて、午後1時半過ぎに宝来寿司に着く。ここで、名物の「ひとはめ寿司」をいただく。午後2時ころには辻の餅本舗の奥のテーブル席に座って、名物の「おけし餅」をいただく。その後、田辺湾に臨む扇ケ浜に降りたり、闘鶏神社を見て午後3時ころアルティエホテル紀伊田辺にチェックインする。
このとき驚いたのはチェックインの直前にWさん夫妻が私を訪ねてきたとのことで、連絡先の電話番号を書いたメモが残されていた。緊張しながら電話すると、田辺の街を案内したいとのこと。そこで、午後4時半ころからWさんの案内でホテル近くの喫茶店「BC」で一息入れてから、天神崎へ。ここからは、田辺湾の向こうに白浜の温泉街が望まれる。あいにくの雨で眺望は今ひとつだが、晴れた日は夕焼けがとても美しいそうだ。午後6時ころから、料亭「銀ちろ」の本店で夕食をご馳走になり、午後8時近くに別れた。
ホテルに帰る途中、書店「ブックス上野」で岩波新書『熊野古道』(小山靖憲著)を購入する。さっそく読んでみると、熊野詣の時期は10〜11月が最適であり、暑くて雨の多い夏は不向きであると書いてあった。たしかに、梅雨の時期であることを甘く考えていたのは失敗だった。
7月1日(金)
月日が経つのは早いもので、今日から7月である。夏真っ盛りの時期を迎えたわけだが、あいにく今日はどんよりと曇って少し肌寒いくらいの気温である。
いよいよ明日から熊野古道を旅することになるが、現地の天気予報では2日(土)から4日(月)の間ずっと降水確率が50%となっており、どんよりとして時々雨が降る中を、蒸し暑さをしのぎつつ歩き回ることになりそうだ。
本日、函館市の「ユニークショップつしま」が破産手続き開始決定を受けた。ここは函館の地場スーパーで、私が函館に暮らしていたころは市内のあちらこちらに店があってそれなりにお客さんも入っていたように記憶している。函館西武の撤退、ダイエーの再建に伴う棒二森屋の経営不安・・・。これらの現象は、函館の地域経済が地盤沈下していることを反映しているように思う。