10月31日(水)
今日は朝から晩まで、新年度の予算に関する調整業務に追われていた。予算に関する作業は、いつも精神的な消耗が激しく苦手だが、今年は予算が逼迫しているため、憂鬱度が何倍にも増加している。これまで長年続けてきた事業が、予算削減のため見る影もなく縮小するのは辛いものだ。
しかも、来年度の収支不足は膨大な数字なので、収支不足を補うために給与カットは避けられない。事業をどんどん廃止すれば人も余ってくるので、いずれリストラも避けられないのではないだろうか。
10月30日(火) 北海道型福祉研究会
睡眠改善薬「ドリーネン」は、「ドリエル」のジェネリック医薬品である。先日、新聞に掲載されていた「ドリエル」の広告によれば、医師の9割近くが「ドリエル」には睡眠改善に効果があると回答しているようだが、私も間違いなく「ドリーネン」は効果があると思う。夜中に目覚めることもなく、明け方まで熟睡することができた。ただ、寝覚めが悪く、ボーッとした感じが抜けないのが難点だ。
午後6時から、北海道型福祉研究会に出席した。講師は北海道医療大学の向谷地生良教授で、長年係わってきた浦河町のべテルの家の活動についてお話をうかがった。ソーシャルワーカーとして勤務した日赤浦河病院で患者たちと作り上げてきた自発的でユニークな活動は、実に素晴らしいものである。
午後8時過ぎに研究会が終わってから、炭火焼き鳥「八方」で講師を囲んで懇親会を開催した。毎週月曜日には浦河町の日赤病院でカウンセリングを行い、午後10時過ぎに散会して、帰路に着いた。
10月29日(月)
今日は朝から、パッとしない空模様だった。昼過ぎからは雨が降り、そのまま夜になっても降り続けていた。
帰宅途中、雷が鳴った。これまでなら、稲光や雷鳴の下で傘を差して帰路に着いただろうが、今は地下街に入りさえすればマンション玄関横までエレベーターで上がることができるので濡れる心配もなく大丈夫である。
ここのところ、どうも夜更かししてしまい寝不足気味である。寝不足の解消を図るため睡眠改善薬「ドリーネン」を飲んで、午後11時半に就寝した。
10月28日(日)
今朝は気温が下がって寒かったが、良く晴れた一日となり、昼ころには火の気が無くても過ごせるほどの陽気となった。
季節の変わり目のせいかどうか分からないが、ここ数日体が重く疲れが抜けない感じである。毎年、冬が近づいてくるとこんな感じなので、バイオリズムの一種なのだろう。
しばらく湯治でもしたい気分だが、そうもいかないので、代わりに午後6時半から、「i−cafe(アイ・カフェ)」のオープンマッサージコーナーで背筋を伸ばすなどして過ごした。
10月27日(土)
今年も残すところ2ヶ月余りとなり、書店の店頭に来年の手帳が並ぶ時期になった。札幌ではまだ雪が降らないが、夕方になって気温が下がり、暖房無しではがまんできない程になった。
今日は、日本シリーズの第1戦が札幌ドームであり、日本ハムが中日に3−1で勝って緒戦を制した。全般的に元気のない北海道の中で、日本ハムだけは特別な存在のように元気一杯といった感じである。
午後11時過ぎから、NHKで「北京のバイオリン」を見ていた。舞台となっているのは、現代の中国のようだが、古さと新しさが入り交じった混沌とした状態の中で、人々のエネルギッシュな暮らしの様子が描かれており、とても興味深い。
10月26日(金) DO!21例会
今日が期限の調査物を処理したり、内部の打合せを行ったりで慌ただしく過ぎた一日だった。
午後7時から、マンション30階のミーティングルームで開催されたDO!21の10月例会に出席する。講師は南幌町のSさんで、「国庫補助金の廃止が国を救う」というテーマで日ごろの研究の成果をお話しされた。国庫補助金の廃止がどうして国を救うことになるのかは分からなかったが、複雑な国の補助金を分類整理したエネルギーには感心させられた。
午後9時に例会終了後、近所の居酒屋「燔(ばん)」(北8西1)で懇親会を行う。この店は、JR札幌駅から少し離れているため知られていないが、とてもお買い得感のある穴場的な店である。午後11時ころ散会して、帰路に着いた。
10月25日(木)
今日も朝から良い天気だった。この時期に朝から晴れると、放射冷却現象のため明け方はグッと冷え込むものだが、今朝はたしかに寒かった。暖かい時期には、晴れた朝には朝日を浴びながら職場まで歩くこともあったが、底冷えする日が続くと、そうした気持ちにはとてもなれない。
私が会員登録をしているネットカフェでは、経済関係の新聞や雑誌が充実している。午後6時半から、そのネットカフェで、経済関係の新聞や雑誌をいろいろと読んでいると、米国のサブプライムローン問題に端を発する金融不安や原油をはじめとする資源の高騰などで、今後の世界経済は不安定な要因を数多く抱えているようだ。
北海道経済は、特に全国の景気に左右されやすいので、再び「失われた10年」のような不況感が地域を覆い尽くすかと思うと、うんざりしてしまう。
10月24日(水) 「処女の泉」
今日は、朝から良く晴れた一日だった。風は無いのだが気温が低く、屋外でじっとしていると底冷えがして辛い状況だった。
午後2時半から消防総合訓練があり、30分以上寒い屋外に立っていると、底冷えする寒さを感じた。天気が良く日差しがまぶしくても、冬に向かって寒さが厳しい季節になっているのだ。
午後4時から、ロビーで開催していたパネル展の撤収を行う。設営よりは撤収の方が早く終わるので、午後5時前には片づけを終えることができた。
午後6時から、蠍座で「処女の泉」を見る。イングマール・ベイルマン監督作品の第5作目である。どの作品も人間の本質をえぐり出す作品だが、この作品も人間が犯す悪事を見ているはずの「神の沈黙」に対して、「何故?」という問いがなされている。それに対して、死んだ乙女の頭を持ち上げると、その下の土から泉が湧き出すという奇跡が起きる。そのことは神の実在を示すものではあるが、既に様々な悪事が現実のものとなってしまったことには、いったいどんな意味があるのか?見終わった後で、そうした疑問が頭を離れなくなってしまった。
10月23日(火)
朝一番で、昨日から3日間開催しているパネル展のアテンドを行う。
午後1時から、知事会議室で開催された感謝状贈呈式に立ち会い、写真撮影を行う。あまり得意な役回りではないが、こういう場合は一人何役もこなさなければならない。撮影した写真を取捨選択し、使えるものを残すと、それを見ただけで一連の流れが分かる。写真の記録能力は素晴らしいものだ。
帰宅すると、マンションの郵便受けに、ミーティングルームの使用許可書が入っていた。私が関わっている様々な学習会や打合せの会場として、特に問題なく使えるようだ。26日(金)に使ってみて問題ないようなら、今後適当な会議室が確保できなかった場合の予備的手段として考えるようにしたい。
10月22日(月) 北海道自治体学会経営改善会議
ここ数日寒い日が続いていたが、今日は昼過ぎから気温が上がり、部屋の中で上着を着て座っているとじっとりと汗ばむほどの陽気で、まるで初秋のような感じだった。
昼休みに、マンションに引き返し、10月26日(金)夜のDO!21例会で使う30階のミーティングルームを申し込む。昨夜ネット上で仮予約しておいたのだが、夜はかなり空いているようだ。使用料は1時間当たり500円と安いので、他の会場が取れないときはねらい目だと思う。
午後6時半から、澄川まちづくりセンターで開催された、北海道自治体学会の経営改善会議に出席する。午後7時半過ぎに終了後、Iさん、Wさんと3人で、地下鉄澄川駅前の居酒屋で一杯やってから帰路に着いた。
10月21日(日) 寒い一日
今日もまた、寒い一日だった。この先もう暖かい日はこないまま、雪が降って冬になってしまうのだろうか。この秋は、いつまでも暑い日が続いたが、今ではもう一度あの暑い日を過ごしてみたいものだと思う。
夕方、大通の証明センターで住民票を取得する。休日も午後5時までやっているので便利だが、大通までいかなければ手続ができないので面倒だ。JR札幌駅近辺にあれば良いのにと思う。
10月20日(土) 農業はどうなるのか
冷たい雨が降って、寒い一日だった。
午後7時半から、NHKのテレビ番組で、日本の農業に関する特集番組をやっていた。農業については、私も平成11年度には、空知支庁管内の市町村職員を中心とした自主研究グループのテーマとして研究していたので、当時実地で学んだ農業の現状に関する知識がよみがえった。
当時から8年が過ぎて、農業を取り巻く環境はいよいよ厳しくなっているようだ。特に、米価の値下がりは深刻で、当時も「1俵1万3千円を切ったらやっていけない。」という声が多かったが、今はそれどころではないようだ。耕作放棄地もどんどん増えて、今では東京都と同じくらいの面積になっているそうだ。
いったいこの先、日本の農業は、そして農村地帯はどうなってしまうのだろうか?
10月19日(金) イベント打ち上げ
午前中は、10月13日(土)にアクセスサッポロで働いた振替休暇を取得し、午後から出勤した。午後3時までかかって、発言要旨を仕上げ、北翔大学のS教授にメール送信してから、1階ロビーで週明けの22日(月)から24日(水)までの3日間開催するパネル展の設営を行った。
終業後は、先週末のイベントの打ち上げの飲み会を行った。会場は、大通公園の南側にある「ロード」という店で、いろいろな種類の芋焼酎を取り揃えている。ここのところ寝不足が続いているのと、大きなイベントが終わった安堵感で眠たくなった。午後9時に散会して帰路に着いたが、風が強い上に気温が下がっていて寒く、コートなしで歩くのは辛く感じられるほどだった。いつの間にか、秋が過ぎて冬が近づいていることを感じた。
10月18日(木) 会議の準備で残業
昨夜苦労して仕上げた作文は、何とか担当者も納得してくれたので、ホッと一息ついた。その後は、来月18日(日)午後2時15分から、北翔大学ポルトホール(南1西22)で開催されるシンポジウムの発言要旨作成を行う。2時間足らずのシンポジウムなので、アッという間に終わってしまうはずだが、自分の発言要旨となると案外手こずるもので大体は出来あがったのだが仕上げることはできなかった。
そうこうしているうちに午後6時を過ぎて、同僚が明日の会議資料作成に四苦八苦していたので、机上札の作成を手伝っているうちに午後7時半を過ぎた。その先、さらに発言要旨を仕上げる気力が失せたので、その後は残らずに帰宅した。
10月17日(水) 予算資料作成のため残業
ここのところ、仕事が立て込んでいるので、片っ端から仕事を片付けているうちに一日が過ぎてしまう。それでも、今日はようやく面倒な調査物をすべて片付けて、昼過ぎには提出期限を控えた書類は手元に残っていない状態となった。
ところが、夕方になって、急に明日が提出期限の予算資料作成の宿題が降りてきた。大抵のことについては作文に苦労しないが、今回は根本的な考え方の整理が付かず、いろいろと考えを巡らして、最終版を仕上げたときには午後9時になっていた。
10月16日(火) 「野いちご」
今日は朝から小雨が降り、肌寒い一日だった。出勤時に気がついたのは、コートを着ている人が急に増えたことだ。つい最近まで、秋がずっと続くのではないかと思うほど暖かかったのだが、年末に向かって確実に底冷えする時期を迎えた。これから冬が終わるまでは、暖かいと思える日は少なくなることだろう。
仕事の方は、毎日1〜2件のペースで期限の迫った照会物などを片付け、その代わりに毎日1〜2件新しい照会物が入る状態だ。片っ端から片付けても、一向に減らないのでうんざりしてしまう。職場全体として外向きの仕事が減っているせいか、内部に向かって管理を強めるようなタイプの仕事ばかりが増殖している感じがする。
午後6時10分から、蠍座で「野いちご」を見る。イングマール・ベイルマン監督作品シリーズの第4作目で、名誉博士号の授与式に向かう老医学博士が主人公である。晩年を迎えた主人公の、若き日々の回想が主な内容だが、一見して悠々自適の満ち足りた人生を送ったような主人公が、様々な場面で葛藤してきたことが見事に描かれていてとても面白かった。
10月15日(月)
先週末からグッと冷え込んだが、今日も引き続き寒い一日だった。
土曜日も朝から仕事をしたため、十分に休んだような気がしないが、今日が提出期限の調査物を2件抱えているので、昼過ぎまでかかって処理する。その間にも、新しい調査物が入ってくる。17日(水)が提出期限の調査物も抱えているので、内心では少し焦りを覚える。
以前は、時間内に仕事が片付かないと当然のように残業しようと考えたものだが、最近では残業は最後の手段だと思うようになってきた。何年も同じ仕事をしてきて、未だに残業しなければ日常的な業務をこなせないようでは、要領が悪すぎるのではないかと思う。実際に、残業を前提に仕事をしている人の多くは、自分で気づいているかどうか分からないが、要領が悪いか手抜きしている面がある。以前は私も、週末に出勤していたことがあるが、今考えると愚かなことをしていたものだと思う。
10月14日(日)
一昨日は一気に冷え込み、道北で初雪が降ったが、今日も引き続き寒い一日だった。
健康のためできるだけ歩くようにしているのだが、さすがに寒いと屋内に閉じこもり勝ちになる。昨日は、アクセスサッポロからJR新札幌駅まで歩いたせいもあるが2万歩も歩いたのに、今日は5千歩ほどだった。
午後7時半過ぎから、「i−cafe」で肩凝りを揉み解してから帰宅し、入浴したりブログを書いたりしているうちに時間が過ぎてしまった。明日から一週間は、仕事が詰まっているので、健康に留意して過ごしたい。
10月13日(土) いきいき福祉2007(2日目)
朝9時から午後1時までアクセスサッポロで、「いきいき福祉2007」に出展しているパネル展の会場アテンドを行う。
午後1時半ころアクセスサッポロを出て、同僚のK氏とJR新札幌駅まで歩き、そこから電車に乗ってJR札幌駅で降りた。大丸7階の「イノダコーヒー」で雑談して別れた。
夕方5時20分から、蠍座で「第七の封印」を見る。現在、蠍座ではイングマール・ベイルマン監督の作品を連続上映しているが、この作品は3作目である。物語の舞台は中世のヨーロッパで、10年間にわたる十字軍遠征から帰還する騎士が主人公である。疲れ果てたこの騎士には死神が取り付いているが、その騎士は死神にチェスを挑む・・・。「神は実在するのか、それとも実在しないのか。」そうした深遠な問いがベースになっているので、この作品のメッセージは上手く表現できないが、旅芸人の家族を逃がした後、騎士が浮かべた安堵の表情からは、作品全般の悲壮感が一気に拭い去られた感じがする。死神=死は避けられない現実だが、それでも死が訪れるまでに過ごす人生には、何らかの意味があるということだろうか。
10月12日(金) いきいき福祉2007(1日目)
朝7時半ころマンションを出て、地下鉄で大谷地駅へ。8時過ぎに大谷バスターミナル発のシャトルバスで、アクセスサッポロへ。
8時半ころアクセスサッポロに着いてからは、今日から3日間アクセスサッポロで開催される「いきいき福祉2007」の一環として開催するコンクールの準備に追われる。受付〜リハーサル〜本番〜記念写真の撮影という一連のプログラムが終わったときは、11時を過ぎていた。11時半にアクセスサッポロ発のシャトルバスに乗って、職場への帰路に着いた。昼過ぎに職場に出てから、溜まっていた仕事を片付けているうちに半日が過ぎてしまった。
午後6時半から、同僚のSさんと二人で、「NPOとの意見交換会」に出席する。NPOと協働していこうという「NPOとの協働」を具体化する新しい取組で、今回は6つのNPOが参加して、普及啓発をメインテーマに第一回目の打合せを行った。午後8時45分ころ終了し、屋外に出ると思わず身震いするような寒さだった。NPOとの意見交換会は、年内にあと2回あるが、実りある議論を行い一つでも二つでも具体的な取組に結び付けたいものだ。
10月11日(木) うなぎ「宮川」で夕食
明日から3日間、アクセスサッポロで開催されるイベントの準備のため、職場のメンバーが出払っているところに急ぎの照会物などがあって、その対応に追われて過ぎた一日だった。さらに、マスコミ対応あって、綱渡り状態でなんとか日中の時間をしのいだ。
午後6時から、Oさんと大丸8階レストラン街の「うなぎの宮川本店」で夕食の約束をしていたのだが、明日のイベントの挨拶作成に追われ、最終の打合せを終えて職場を飛び出したときは6時50分になっていた。午後7時からうなぎ料理のコースをいだだいた後、JRタワーホテル日航25階の「スカイJ」でカクテルをいただく。午後9時55分まで歓談してから帰路に着いた。
10月10日(水)
朝からよく晴れた一日だった。心地よく目覚め、出勤の途についた。
今週もまた、期限の迫った照会物の処理に追われて過ぎた一日だった。短い時間で打合せを終え、次々と意思決定しなければならないため、とてもスリルがある。
昼過ぎから、人事異動の面談があった。人事異動については、どういうものかが自分なりに理解できるようになってきたので、期待もしないが絶望もしていない。面談も淡々として終わり、特に印象に残ることもない。来年の今頃、どこでどう過ごしていようと大した問題ではない。そう思うようになった。
10月9日(火)
昨夜は早く寝ようと思って睡眠改善薬「ドリーネン」を飲んだのだが、目が冴えて熟睡できなかった。
仕事の方は、朝から調査物を片っ端から片付けたり、打合せを行っているうちに一日が過ぎてしまった。週末に大きなイベントを控えているため、けっこう慌ただしい状況である。それでも、ずるずると職場に残ることもなく、平常通り帰路に着いた。以前なら当然のように残業してこなした仕事も、最近では優先順位が判断できるようになったので、余程のことがない限り残業することなく、日常業務の中でこなしている。
夜は気温が下がったため、夏以降初めてパネルヒーターを暖房モードに切り替えた。ただ、気温の低下はそれ程ではなかったと見えて、一時は温度が上がったパネルヒーターも、就寝時には自動的に温度が下がっていた。
10月8日(月)
秋の天気は不安定で変わりやすいが、今日はいつ雨が降ってもおかしくないような安定しない空模様の一日だった。
NHKのテレビ番組で、北朝鮮への帰国事業の悲劇が取り上げられていた。先月、田月仙さんのコンサートに足を運んだのだが、そのきっかけとなった『海峡のアリア』に書かれている悲劇的なエピソードを思い出した。彼女には4人の異父兄がいたのだが、彼らは1959年に帰国船で北朝鮮に渡っている。彼女が1985年に北朝鮮に招かれ、金日成の前で歌ったときに再開を果たしたが、彼らはそれまでの長い年月を収容所で過ごしその間に次兄は亡くなっていたという。その後、残る兄たちも次々に死亡し、今ではその家族とも連絡が取れなくなっているそうだ。
コンサートで歌われた一曲に、「兄を思う」という曲があった。韓国の代表的な童謡だそうだ。その歌の折り返し部分で田月仙さんは、「私のお兄さん 船に乗って 平壌に行くとき 絹の靴を買って帰るよと 言ったのに」と歌詞を変えて歌い、兄への思いを託しているという。オリジナルの歌詞は、「私のお兄さん 馬に乗って ソウルに行くとき 絹の靴を買って帰るよと 言ったのに」である。
10月7日(日)
今日は3連休の中日である。ここのところ睡眠不足が続いているため、せいぜい体を休めて過ごすことにする。
ただ、体調を整えるためできるだけ歩くことにしているので、昼過ぎから一時間余り歩いているうちに万歩計の数字は1万歩を超えた。老化は足から来るというが、実際に老化による筋力の低下が著しく現れるのは足の筋肉だということである。
健康を維持するためには、適度な運動が不可欠なことを痛感する。
10月6日(土) 夏の夜は三度微笑む
今日は朝から良い天気で、さわやかな風が心地よい。
10時20分から、蠍座で「夏の夜は三度微笑む」を見る。イングマール・ベイルマン監督作品の第二弾目である。1955年のスウェーデン映画であり、私が知らないのは当然であるが、なかなかすごい監督がいたものだと思う。当時の映画はモノクロだし、社会全体が貧しかったことを反映してか現代の感覚では内容が暗すぎる作品が多い(特に日本映画)中で、不思議な明るさとユーモアを秘めた作品に心引かれるものがある。これから年末まで13作品が連続で上映されるが、この先が楽しみである。
10月5日(金) ザ・シューター
昨夜飲んだ睡眠改善薬「ドリーネン」が効いたのか、ふと目覚めると午前6時半の起床時間をとっくに過ぎて午前7時17分ころになっていた。慌てて出勤の準備をして、7時半少し前にマンションを飛び出したのだが、地下街に降りたときに1時間勘違いしていたことに気が付いた。普段より50分近くも寝過ごしたため、すっかり慌ててしまったのだ。もう一度部屋に戻り、身の回りの整理をしてから出勤した。
出勤後は、急ぎの仕事が次から次へと入って、慌ただしくしているうちに丸一日が過ぎてしまった感じである。
午後7時15分から、「ザ・シューター 極大射程」を見る。2007年の米国映画である。完全な娯楽映画で、到底あり得ない派手な殺戮シーンの連続である。わざわざ蠍座で見るような作品ではなかったように思う。
10月4日(木)
朝は天気が良かったが、昼過ぎから雷が鳴りみぞれが降った。短時間に急変する天候も、秋らしいと言えば秋らしい。
読書の秋なので、帰宅途中、三省堂で本を2冊買って、帰宅後は気になる部分に付箋を付けながら読んだ。
ここのところ寝不足気味なので、寝不足を解消するため帰宅後は睡眠改善薬「ドリーネン」を飲んで、午後11時には床についた。しかしながら、すぐには眠くならず、帰宅途中に買った本を2冊とも、ほとんど読み終えた。
そのうちの1冊に、200年前、南ルイジアナでクリオール人(フランス系移民の子孫)の雑貨店主が「ランニャップ」というものを習慣にしていたという話しはとても面白かった。「ランニャップ」とは「オマケ」という意味で、客から注文を受けると、雑貨店主はベーコン一切れなり、1ポンドのコーヒーなるのオマケを一つ付けたものだと言う。今でもそんな牧歌的な雰囲気が残っているかどうかは分からないが、米国文化の奥深さを見たような気がしてとても面白かった。
10月3日(水) 職場グループの飲み会
今日も朝から、よく晴れて、昼過ぎには黙って座っていてもうっすらと汗ばむほど暑くなった。10月は例年なら下旬には雪が降っても不思議ではない月だが、この暑さでは本当に雪の時期が来るのだろうかと疑問に感じるほどだ。
午後6時から、読売ビル(北5西4)の「笑笑」で開催された職場グループの飲み会に出席する。午後8時過ぎに散会し、一部の人はススキノに向かったが、私は睡眠不足気味で体調が良くなかったため二次会には出席せず、そのまま帰路に着いた。
10月2日(火)
今日も、昨日に引き続いてさわやかな秋晴れの一日となった。こんな日は、屋内に閉じこもって仕事をしているのはもったいない気がする。例年なら、9月下旬に夏季休暇を取得すると、美しい秋の一日を満喫できるものだが、今年はなかなか気温が下がらず夏のような暑い日が続いているため、10月にずれ込んでしまった。
夜は飲み会があるはずだったのだが、急遽取り止めとなったので、三省堂に立ち寄っただけで早めに帰宅した。
10月1日(月) 「アポカリプト」
朝から秋晴れの空が広がる心地よい一日だった。休日なら、きっと札幌の秋の美しさを満喫できたことだろう。例年であれば、9月下旬にこのような絶妙の天候の日が数日あるのだが、今年は全体に気温が高いためこの時期までずれ込んだ。
午後6時半ころ一旦帰宅し、ホームページの更新をしたりする。
午後7時50分から、蠍座で「アポカリプト」を見る。毎月1日の映画の日なので、温かい飲み物が一杯サービスで付く。上映時間のスタートが遅いためか、館内はガラガラで好きな席に座ることができた。コロンブスのアメリカ大陸発見(1492年)ころの中南米が舞台で、森に暮らす狩猟民の村が文明化した都市国家の兵士たちによって奴隷狩りの対象とされる。残虐な生け贄の儀式の舞台から村に残した家族の元に逃げ帰る若者が主人公であるが、実に残虐でグロテスクな描写が多く、寝覚めの良くない作品だった。午後10時過ぎに映画が終わってから帰宅したが、歩いて2〜3分で帰宅できるので、その点は本当に楽である。
帰宅後は、ブログを書いて過ごした。