日記:2007年8月
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8月31日(金)  8月も今日で終わり

 今日も、9月3日の会議準備のため、朝からずっと関係各方面との調整に追われて過ごした一日だった。
 すべての調整が終わったのは、午後2時ころ。その後は、資料の印刷を行ったが、急ぎの照会ものの処理などもあり、夕方からようやく資料の印刷をはじめた。コピー機を使っての地道な作業となり、すべて片づいたのは、午後8時ころだった。
 8月も今日で終わりだが、ひたすら仕事をして終わった一日だった。


8月30日(木)  涼しい朝

 今朝は午前7時過ぎに屋外に出ると、明け方になって気温が下がったらしく涼しさを感じる。北海道大学の構内を通って出勤したが、正門から構内に入ると、アスファルトの路面に散った落ち葉を、作業員がほうきでかき集めている。「桐一葉、散って天下の秋を知る」というが、残暑が納まってふと気が付くと、既に秋の気配は色濃くなっている。これからは、日増しに秋の気配が濃くなっていく。
 仕事の方は、一日中、9月3日(月)の会議の準備に追われて過ごした一日だった。参集範囲の広い会議なので、準備に手間がかかる。今日は朝からずっと資料の原稿作成に集中していたが、関係者との調整だけで丸一日が過ぎてしまった。大したことをやっていたようには思わないのだが、「一体今日は何だったのだろう?」と疑問に感じるほど、何とも言い難い思いで過ごした一日だった。



8月29日(水)  血管の状態の検診を受ける

 朝6時に起床し、北大構内を散策する。今年の4月にJR札幌駅北口のマンションに引っ越してから、職住接近になったため、職場との往復だけでは歩く時間が余りにも短く、すっかり運動不足になってしまっている。それを補うために、できるだけ歩くことにしたのだ。北大構内だと、車の通行が少ないため比較的安心して歩くことができる。北大に近い場所に住んでいるので、この点も便利である。
 午後から、診療所で血管の状態の検診を受ける。原理としては、手足に血圧計を付けて計測することにより、血管の「硬さ」と「詰まり」の状態が分かるとのことだ。専用の装置で計測することにより、診断結果は10分程度で判明する。その結果は、いずれも正常範囲とのことで、ひとまずホッとした。血管は、一度硬くなったり詰まり気味になったりすると、簡単に元に戻るものではないはずである。検診を受けるまでは、悪い結果が出たらどうしようかと心配したが、思いの外良い結果だったので、検診を受けて本当に良かったと思う。この検診結果を聞いて、心なしか体調が良くなった気がする。
 午後7時20分から、蠍座で「許されざる者」を見る。古参兵による新兵いじめが横行する韓国軍において、その流れに抵抗しようとしたために大きな犠牲を払うことになった青年の姿が描かれている。見終わった感想は、余りにも重くて上手く表現できない。



8月28日(火)  皆既月食

 9月3日の会議の準備が佳境に入っているが、昼過ぎからは9月6日に開催されるイベント手伝いの打合せがあったりして、落ち着かない一日だった。それでも、9月3日の会議の方は、出席者も出そろい、あと一息で何とでもできそうな状況までこぎ着けたので、それほど焦りはない。
 9月12日(水)の午後6時半から、NPO法人楽しいモグラクラブを訪問し、北海道型福祉研究会のフィールドワークを実施することになった。このNPO法人は、喫茶店「楽しいモグラクラブ」(北19西3)を拠点に活動しているので、訪問するのも楽である。
 今日は、6年ぶりとなる皆既月食が見られた。私は、北大の構内から観察していたが、月が完全に地球の影に覆われる直前に雲がかかってしまったが、それでも久々に天体ショーを堪能することができた。


8月27日(月)  内閣改造

 昼休みに、北海道自治体学会の会計処理のため北海道銀行札幌駅前支店に足を運ぶ。朝晩はずいぶん涼しくなってきたが、日中はまだまだ残暑が厳しく、思わず「暑い」という言葉が口をついて出る。正に、「言うまいと 思えど 今日の暑さかな」である。
 ここのところ多少夏バテ気味なので、つくづく健康が大事だと思う。9月3日(月)の会議の準備が気になるところではあるが、健康管理を優先し、午後6時前には職場を出て帰路に着いた。
 今日は参議院議員選挙の自民党大敗を受けての内閣改造があり、閣僚が入れ替わった。しかしながら、新鮮味のない顔ぶれで、人心一新とはとてもいきそうにない。次の総選挙まで、低空飛行しそうな感じである。


8月26日(日)  キムチを売る女

 夏の甲子園も終わり、日々秋の気配が色濃くなってきている。それでも今日は、昼から気温が上がり、じっとしていても薄っすらと汗ばむような陽気となった。
 午後8時10分から、蠍座で「キムチを売る女」を見る。昨日の午後3時35分からの上映は、会場が満員のため諦めたのだが、流石に夜遅い時間帯だと空いている。主人公は32歳になる朝鮮族の女性。息子と二人、キムチを売りながら暮らしている。夫は、人を殺したというから、収容所にでも入っているのだろう。最初は、周囲との接触を避けていたような彼女が、終盤ではいきなり愛憎関係に巻き込まれる。最後に彼女が取った手段には、踏みつけにされ追いつめられた者の抵抗と感じられる。
 午後10時に映画が終わってから、歩いて2〜3分でマンションの部屋に到着する。現在のマンションは、私の生活空間から考えて、本当に便利な場所にあることを、改めて実感する。


8月25日(土)

 昨夜は、午後8時過ぎに帰宅して、一度はそのままゴロリと横になって寝てしまったが、10時過ぎに覚めて入浴したりしているうちに夜更かししてしまった。そのせいか朝は寝覚めが悪く、一日中寝不足を引きずる感じですごした。
 午後3時35分に蠍座に「キムチを売る女」を見にいったところ、何と!、満員で入れなかった。蠍座が狭いせいもあるのだが、こうした地味な映画が好きな根強いフアンがいるのだろう。
 夕方、JRで野幌へ。今年2月に閉店したヨーカドー江別店の前を徹ると、以前から国道12号線に面した1階の玄関横で営業していた「ロッテリア」だけが残っている。もう半年以上テナントが入らないのだ。長年ヨーカドー江別店を愛用した者として、寂しい限りである。


8月24日(金)  「魚民」で一杯

 今日はいつもより早めに出勤して、午前9時半からの某審査会の準備をする。会場のかでる2.7は、時間の余裕を持たせてくれないので、8時45分なるのを待ちかまえて鍵を受け取り、すぐに会場設営に入る。9時10分過ぎにテーブルと椅子のセッティングが終わり、後は資料を並べたり、早めにきた出席者の対応をしたりしているうちに9時半近くなり、メンバーもそろったので審査会がスタートする。その後は、午前中一杯かかって、某案件に係る審査を終了した。
 午後6時から、審査会の事務を担当した4人で「魚民」に足を運び、軽く打ち上げを行った。最近飲んでばかりいるような気がするが、アルコールとつまみは健康に害となることも多いので、ほどほどにしたいと思う。今日の飲み会はそれほど長引かず、午後8時ころ散会して、帰路に着いた。


8月23日(木)  暑さも一服

 今日は朝からよく晴れた一日となったが、涼しい風が吹いて、昨日までとは違ってさわやかだった。日差しも、真夏のギラギラとしたものとは違って、柔らかな秋の気配をおびている。良い季節になった。
 9月3日(月)の会議資料を準備するため、午後11時半過ぎまで残業となる。流石にこの時間になると、残っているのは私と一緒に明日の会議資料を準備していた3名だけである。11時半を過ぎると、JRの終電はどの方面も11時59分なので、JR組みはそわそわし始める。私も、以前はそうだったのだが、今はJRも地下鉄も気にする必要がない。それでも、体がもたないので、一緒に職場を出て帰路に着いた。


8月22日(水)  DO!21例会

 午後6時半から、北海道自治会館(北4西6)で開催された、DO!21の8月例会に出席する。今日の講師は、旭川高等看護学院のS氏で、「医療政策の経緯、現状、課題」というテーマで、主に地域医療に関係する様々な問題についてお話しをうかがった。厚生労働省から出される医療政策が、どんどん変わって現場が翻弄されていること。医師の偏在が進み、地域では産科や小児科がなくなっていっていることなど興味深くうかがった。
 S氏とは、10年来の知り合いであるが、昔と変わらない熱意ある話しぶりである。午後8時半に学習会終了後、炭火焼き鳥「八方(はっぽう)」で開催された飲み会に出席する。午後10時半過ぎまで歓談し、久々に心地よく酔って帰路に着いた。


8月21日(火)  「天壇」で飲み会

 午後6時から、「天壇」で開催された飲み会に出席する。名目は私の福祉住環境コーディネーター検定試験合格のお祝いだが、実際は最近グループで飲み会を開いていなかったのでその埋め合わせのようなものである。
 午後8時過ぎに店を出て、帰路に着いた。帰宅後は、そのまま寝てしまったが、ふと目覚めると午後10時半ころになっていた。少し酔いが醒めていたので、入浴してサッパリしてから、午前0時過ぎに就寝した。


8月20日(月)  バリアフリー情報発信WG

 朝7時前に自宅を出て、「i−Cafe」でリフレッシュしてから、8時前に出勤する。午後1時半から開催する会議の配席図を作成するためである。エクセルで配席図を作成し、手話通訳者(2名)に会議資料と進行要領を届ける。手話通訳をする場合、会議の流れが頭に入っていないと、上手く通訳することができないそうだ。
 昼前に会場に資料を運び込み、ビデオプロジェクターなどを準備する。午後1時半から会議を開催し、午後2時半ころ終了した。
 その後は、今日の会議準備のために後回しになっていた仕事を片付けているうちに時間が過ぎてしまった。



8月19日(日)  秋の気配を感じる

 連日猛暑の記事が新聞をにぎわせているが、今日の札幌は比較的涼しい一日だった。日差しの色も、心なしか秋の気配を帯びてきたように感じる。秋というものは、不意にその訪れを感じさせるものだ。だからこそ古人も、「桐一葉、落ちて天下の秋を知る。」とか、「秋きぬと、目にはさやかに見えねども、風の音にぞ驚かれぬる。」と言葉に残しているのだろう。
 まだ少し残暑を感じるが、十分がまんできる程度だったので、久々に北大の構内を散策した。何年か前に台風で倒れた、中央食堂前のポプラの根に緑が芽吹いている。天を突くポプラの巨木は、見る者の心に何かしら畏敬の念を呼び起こすものだ。後何十年かかるか分からないが、再びかっての雄姿を取り戻してほしいものだと思う。


8月18日(土)  センチュリーロイヤルホテル

 昨夜は就寝時間が遅くなったので、今日は起床時間が遅くなった。夜更かし体質になっているためか、寝覚めが悪く、起床後もスッキリしないままに過ごした一日だった。
 今日は暑さも一段落し、残暑といった感じだったので、午後3時過ぎからセンチュリーロイヤルホテル1階の「i−cafe」でリフレッシュする。センチュリーロイヤルホテルを経営する札幌国際観光(株)は、つい先日民事再生法の適用を申請したばかりだが、ホテルそのものは営業を続けるようだ。新しいホテルがどんどんオープンする一方で、老舗ホテルが競争に敗れて倒産していく。石屋製菓という北海道を代表する菓子メーカーが不祥事を起こしたばかりだが、今度は老舗ホテルが倒産の憂き目に遭う事実に、厳しい現実を感じる。


8月17日(金)  週明けの会議資料作成

 今日も昨日と同じく薄曇りの一日だったが、昨日は涼しい風が吹いていたのに、今日は蒸し暑く、炎天下の暑さとはちがったじっとりとした暑さを感じる一日だった。
 週明けの20日(月)午後から開催する会議の準備で、一日中忙殺された。この会議は、障がい者や高齢者の社会参加を促進するために、情報面で支援しようとするもので、これまで一年間、様々な調査や検討を続けてきた。最近になってようやく考え方がまとまり、ポータルサイトの作成と報告書の作成を行うことに方針を固め、8月20日の会議はそのことを提案して、ワーキンググループメンバーの承認を受けることにする。
 午後8時までかけて資料を仕上げたので、あとは週末の2日間で、しゃべり原稿を完成させようと思う。
 帰宅してマンションのメールボックスを開けると、福祉住環境コーディネーター検定試験(2級)の結果通知が入っていた。結果は「合格」であった。


8月16日(木)  涼しい一日

 ここのところ暑い日々が続いたが、今日は一転して夏の終わりを思わせる涼しい一日となった。薄曇りで強い日差しが遮られた上に、涼しい風が吹いて、暑さに疲れた体に爽快である。考えてみれば、既に8月も半ばとなり、夏至のころに比べれば日没の時間も確実に早くなっている。
 本道を代表する土産品である石屋製菓の「白い恋人」が、賞味期限を改ざんしていた問題で、石水社長が記者会見し、改ざんの事実を把握していたことを認めたとのことだ。石屋製菓では、アイスクリームからブドウ状球菌も検出されており、衛生管理もずさんだったと思われる。ミートホープよりもはるかに有名な企業だけに、北海道の食品に対するイメージダウンは大きいだろう。「白い恋人」は利益率も高く、かなり儲かっていたというから、石水社長という人は、強欲でモラルの欠けた人物だったのだろうと思う。後は潔く、身を処していただきたい。


8月15日(水)  終戦記念日

 今日も朝からぐんぐん気温が上がり、暑い一日となった。昼、屋外に出ると、サウナに入ったように空気が熱い。ただ、今日は比較的カラリとしているので、蒸し暑い日に比べると格段に過ごしやすい。
 終戦記念日の今日、東京では全国戦没者追悼式が開催されている。終戦の日を、当時の人々はどんな思いで迎えたことだろう。当時の記憶を書いた記事をネット検索したところ、1945年(昭和20年)の8月15日を「暑い日だった」と書かれていた。盛夏のことだから、暑い日だっただろうということは容易に想像できるが、実際にそう書かれているものを目にして、過去と現在がつながったような記がして嬉しく思われた。
 8月20日の会議の準備をする必要があるため、残業を余儀なくされたが、冷房のない部屋の中はサウナ風呂のように暑くなり、午後9時半過ぎまで汗だくで残業した。


8月14日(火)  暑い一日

 夜中に目覚めて、午前2時過ぎにマンション1階のローソンと、JR札幌駅北口前のセブンイレブンに足を運ぶ。JR札幌駅北口にはコンビニが林立しているので、真夜中でもコンビニのハシゴができる。ふとマンションを見上げると、幾つかの部屋には蛍光灯の明かりが点いている。道をはさんで東向かいにあたる国の第一合同庁舎に目を転じると、こちらも幾つかの窓から蛍光灯の明かりが点いていた。国の職員も、午前2時過ぎまで残業しているのだろうか。
 日が昇ると一気に気温が上がり、暑い一日となった。北海道新聞のネットニュースによれば、札幌市内の最高気温は33.1度に達したそうだ。昼休みに屋外に出ると、アスファルトで熱せられた空気が熱風となって襲ってくるような感じで、暴力的に暑かった。明日は終戦記念日だが、玉音放送のときもやはり今日のように暑かったのだろうか。


8月13日(月)

 今日も朝からグングン気温が上がって、暑い一日となった。今年は、ラニーニャ現象の影響とかで猛暑になると言われていたのだが、その割に7月は暑い日がほとんどなかった。お盆の時期になって、ここ3日ほど暑い日が続いている。札幌管区気象台によれば、正午までの気温は、札幌で33.6度を記録したとのことだ。
 エコ・サータイムの早朝出勤は、先週で終わったのだが、今日も普段より早く目覚めて、余裕を持って出勤した。朝30分間の余裕があると、ゆったりとした気持ちで過ごすことができる。
 昼過ぎに、NPO法人交通倶楽部ゆうらんに電話をかけ、事務局のMさんと、札幌市内のバリアフリー情報について意見交換する。けっこう苦労していることが分かる。
 その後は、8月20日の会議の準備をしているうちに、午後8時近くになってしまった。


8月12日(日)  暑い一日

 朝からぐんぐん気温が上がり、じっとしていても汗が噴き出すような暑い一日となった。昼過ぎからは、涼を求めて「i−Cafe」で過ごす。
 しかし、考えて見れば盛夏の今、暑いのは当然である。「暑さ寒さも彼岸まで」というが、このように暑い日があることは夏の証であり、間もなくこのように暑かった日々を懐かしく思うようになる。夏至のころには午後7時半でも明るかったが、今日は午後7時でも暗かった。日はだんだん短くなっており、秋は確実に近づいている。


8月11日(土)  「加藤隼戦闘隊」

 昨夜は帰宅後そのまま寝てしまったが、夜中に目が覚めて、午前2時ころ再び眠りについた。
 午前11時から、蠍座で「加藤隼戦闘隊」を見る。1944年の東宝作品で、第二次世界大戦の初期に活躍し、後に「軍神」と呼ばれた加藤健夫氏と配下の部隊の活躍を描いた作品である。戦闘機「隼」を駆使して、制空権を握り、日本軍の緒戦における軍事行動を優位に導いたことが分かる。映画の冒頭、「エンジンの音 轟々(ごうごう)と・・・。」ではじまる「加藤隼戦闘隊」の部隊歌が披露される。作詞は加藤隼戦闘隊のメンバーによるもので、作曲は陸軍軍楽隊によるものである。この作品が上映されたとき、既に加藤健夫氏は戦死していた。
 帰宅後、ネット検索すると、加藤健夫氏は旭川市出身で、父親は京都から屯田兵として北海道に移住したのだが、日露戦争の奉天会戦で戦死している。戦前は、壮絶な人生を運命づけられた人たちがいたものだと思う。


8月10日(金)  M次長を囲んで飲み会

 今日は、夏らしく暑い一日だった。夏の暑さと冬の寒さのどちらが辛いかと言えば、私にとっては圧倒的に冬の寒さの方が辛い。夏の暑さは日中であれば何とかしのげるものであり、夕方になって涼しくなってきたときには快さが一塩である。
 今日は、エコ・サマータイムの最終日である。午後4時半過ぎに職場を出て、一旦マンションに帰って荷物をおいて身軽になってから、5時40分にマンションを出て居酒屋「土間土間(どまどま)」(北2西2)に向かう。午後6時少し前に到着して、予約していた部屋に通されたがまだ誰も来ていない。一人で待っているうちに、5分ほど過ぎてから他のメンバーも集まってきた。今日は、N保健所のM次長を囲んでの飲み会である。総勢9名で、午後8時過ぎまで飲む。その後、「デンバー」(北4西2)に席を移しての二次会に参加したが、ここのところ寝不足が続いているため猛烈に眠くなり、午後9時過ぎに帰宅した。


8月9日(木)  「不都合な真実」

 先週から、いつもより1時間早く出勤している。最近はそのリズムが身に付いたため、午前中は仕事の能率が上がる。ただし、就寝時間は早まっていないため睡眠時間が短くなっており、昼過ぎからは能率が下がる感じだ。一日を通して考えると、仕事の能率に大きな違いはないようだ。
 午後5時45分から、蠍座で「不都合な真実」を見る。未だに世界各国が足並みを揃えての本格的な対策がスタートしていない「地球温暖化」について、警鐘を発する映画である。人類の経済活動によって大気中の二酸化炭素が増加し大気層が厚くなることにより、太陽から運ばれる熱が宇宙空間に逃げずに大気圏内に留まるようになり、それによって地球の温暖化がもたらされること。その影響は、北極圏及び南極大陸の氷が溶けるという現象に端的に表れており、グリーンランドや南極の地上にある氷が溶けると海面が6mも上昇すること。これらのことが、一時は米国大統領になる可能性があったゴア氏によって、次々と示される。もし、ゴア氏が大統領になっていたら、米国は地球温暖化対策の急先鋒に立っていただろうか?


8月8日(水)

 朝一番で、某コンクールの審査会の開催準備を行う。9時半から審査会がスタートし、12時過ぎに終了した。この審査会で久々に、ボラナビ倶楽部の森田さんと会った。彼女と知り合って10年になるが、「もうそんなになるのか?」と思うほど、森田さんという方は見た目も話し方もほとんど変わらない。審査会でも、始終話しを仕切っていたので、本当に大したものだと感心してしまう。
 帰宅後メールチェックすると、昨夜のメールに懇切丁寧な回答がきていた。ただ、昨夜は絶妙のタイミングだったものが、今日は若干タイミングを逃しているので、ノウハウは分かっても実行に移せない。本当に上手く行かないものだ。


8月7日(火)

 今日はいつもより早く朝6時過ぎにマンションを出て、JR札幌駅のすぐそばにある「i−Cafe(アイ・カフェ)」に足を運び、あることについて思索を巡らせる。思っていたよりも考えがまとまり、さっそく具体的に取り組んでみようと思う。
 仕事が終わって帰宅後、そのために必要なソフトをダウンロードし、実践に取りかかる。しかしながら、実際にやってみるといろいろと分からないことが出てきたので、ブログで知り合った方に照会のメールを出した。夜中に出したので、当然メールに返信はない。明日、どんな答えが返ってくるのか期待する。


8月6日(月)  大通ビアガーデンで飲み会

 朝6時にマンションを出て、北大構内を散策してから出勤した。札幌駅北口のマンションに引っ越すときは、夏の朝など朝早く起きて北大構内を散策してからゆっくり出勤することをイメージしていたのだが、現実には起床後、出勤まで時間の余裕が無くこれまで実現できなかった。実際にやってみると、通勤カバンを持って散策するのではリフレッシュできない。休日の朝ならその問題も解決するが、朝起きることが難しいだろう。
 今週一杯は、「エコ・サマータイム」とかで定刻より1時間早く出勤しているので、職場を出る時間も1時間早く、午後4時半に職場を出る。ただし、今日は真っ直ぐ帰宅ではなく、職場のメンバーで大通公園のビアガーデンで一杯やるため、場所の確保とビールの用意をする。午後5時前に大通公園の西8丁目に着き、サッポロビールのコーナーに場所を確保し、10リットル入りの樽とつまみを注文した。
 大通公園のビアガーデンには、こうした機会がなければ行かないだろう。今回は、ちょうど良い機会だった。13名で午後9時近くまで飲み、10リットル入りのビア樽2つを空けて散会となった。


8月5日(日)  参議院議員選挙後の政局

 早いもので、参議院議員選挙の投票日から一週間が過ぎてしまった。この間、自民党において歴史的惨敗の責任が問われており、今月中に内閣改造を行うらしいが、それ以外の動きはまだハッキリしない。今朝のテレビ番組でも、参議院議員選挙後の政局がどうなるかについて取り上げられていたが、今回の選挙結果が直ちに政権交代に結びつくわけではないため、緊迫感のない話しか聞けなかった。
 むしろ、昼過ぎから、戦時中の「泰麺鉄道」建設の際、イギリス人捕虜を強制労働させたことから、BC級戦犯として処刑された百名余りの旧日本軍関係者に関するドキュメンタリー番組の方が余程印象に残った。人間は、極限状況に置かれると、人道に関する罪を犯してしまうものだ。しかしながら、そうせざるを得ないような極限状態に置いた者の責任が問われなかったことに、何とも言えない割り切れなさを感じた


8月4日(土)  木田金次郎

 台風が近づいているとのことで、どんよりと曇って蒸し暑く、梅雨の時期の本州のような気候である。こんなときは、北海道らしいカラリとした夏は素晴らしいと思う。
 午後10時半から、TVHで「美の巨人たち」を見る。今日の一枚は、木田金次郎作の「春の岩内港」である。岩内港を埋め尽くす船の様子が、木田金次郎らしい荒々しく力強いタッチで描かれている。
 木田金次郎は、有島武郎の『生まれ出づる悩み』のモデルとして知られる画家である。私も、岩内町の木田金次郎美術館に2〜3回足を運んだことがある。代表作として展示されていたのは「春のモイワ」であり、余り良い作品とも思えなかった。しかし、今日の一枚に選ばれた「春の岩内港」は確かに何かを感じさせるものがある。
 テレビの映像の中で、ようやく作品が認められはじめた矢先の昭和29年に岩内大火によって、それまでに描いてきた1千6百点もの作品が一夜にして灰になるという悲運に見舞われたことが紹介されていた。当時61歳になっていた木田金次郎は、「これまでは習作、これからが本当の画業」と述べたという。それから69歳で亡くなるまでの短い間に、今日に残る数々の作品を描き上げた。正に、「巨人」と呼ぶに相応しい堂々とした生涯だったと思う。


8月3日(金)  Oさんと「すし善」

 先月末から今日まで、毎日のように回答期限を切られた調査物を片っ端から処理して、今日ようやく最後の一つを仕上げることができた。それにしても、ここのところ年々調査物が増えているように思う。「パーキンソンの法則」という言葉が脳裏に浮かぶ。
 午後6時から、Oさんと大丸8階の「すし善」で夕食をいただく。Oさんは、ブログを通して知り合った方だが、興味を持って取り組んでいることに共通点があるので、話が弾む。「すし善」からイノダコーヒーに席を移して、話し込んでいるうちにアッという間に閉店時間の午後8時になった。


8月2日(木)  「ハワイ・マレー沖海戦」

 朝方は晴れていたのだが、昼ころから雲がかかって蒸し暑くなり、午後3時ころから雷雨となった。厚い雲に覆われて日暮れ時のように暗くなった空から稲光に次いで雷鳴が轟き、シャワーのような激しい雨が降った。その雷雨も午後4時過ぎには止み、周囲も明るくなった。
 今週からエコサマータイムということで、一時間早く出勤しているため、退勤時間も一時間早く4時半に職場を出た。
 午後5時5分から、蠍座で「ハワイ・マレー沖海戦」を見る。1942年(昭和17年)の作品で、土浦の海軍航空隊に少年兵として入隊した田舎の少年を主人公として、当時の激しい訓練や飛行気乗りとして成長していく様子を描いている。最後に1941128日未明の真珠湾攻撃とその2日日後に、イギリスの戦艦を沈めたマレー沖海戦が描かれているが、当時の軍国日本を象徴する徹底した精神主義や緒戦の勝利に浮かれる当時の高揚した意識を今日に伝える貴重な映像である。


8月1日(水)

 昨夜は一睡もしなかったので、朝からボーッとして頭が冴えない状態で過ごした一日だった。
 それでも、午後1時から、かでる6階の学習室Aで、某コンクールの審査会があったため、昼食をそそくさと済ませ、12時半には職場を出て会場の設営を行う。午後1時から4時まで審査会を運営し、終了後会場を撤収してから職場に戻った。
 昨夜来気になっているある事について、ようやく考え方がまとまった。不測の事態に当面すると、なかなかそれにどう対処すべきか考えがまとまらないことがあるものだが、今回は正にそうした事態だった。考えがまとまると気分も落ち着いて、気持ちよく眠ることができた。