日記:2007年9月
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9月30日(日)

 今日は、朝からよく晴れた一日だった。午前中は気温が下がって寒かったが、昼過ぎにはちょうど良い暖かさになった。
 夕方のテレビ番組で、躍進する中国経済の様子が報道されていた。上海の様子など、経済的な活力で沸き返るような感じで、昨夜のテレビ番組で見たドバイもそうだが、今の日本ではすっかり失われてしまった経済的活力を思い起こさせるものだった。
 経済的活力が失われ、少子・高齢化が急速に進むわが国は、今後どのような姿になるのだろうか?想像はつかないのだが、少し考え込んでしまった。


9月29日(土)  日本ハム2年連続リーグ優勝

 今日は、すっかり涼しくなり、夏がすっかり過ぎ去ったことを痛感する。
 大きなニュースとしては、日本ハムファイターズが2年連続でリーグ優勝したことがある。小笠原、新庄というスター選手が抜けた後でも、安定した強さを発揮してリーグ優勝を決めたのだから、その強さは本物と言えるのではないだろうか。
 NHKの深夜番組を見ていると、中東のドバイで働く若者が紹介されていた。ドバイは、奈良県ほどの面積に人口120万人程度が暮らす小さな国だが、現在世界のクレーンの3分の1が集まっていると言われるほどの建設ラッシュで、地上800メートルの超高層ビルも建つ予定とのことである。産油国はこれまで産業振興に熱心だとは思えなかったが、石油枯渇後の生き残りを賭けて、これまでに蓄積したオイルマネーを注ぎ込んで壮大な都市建設を行っているようだ。今日の日本ではすっかり失われてしまった沸き返るような経済的活力が画面からも伝わってきて、かって日本にも「兎小屋に住む働き中毒」、「エコノミックアニマル」と呼ばれながら、ひたすらに「経済大国」を目指していた時代があったことが思い出された。


9月28日(金)

 今日が期限の調査物が多く、朝からずっとその処理に追われた一日だった。前向きな調査物なら良いのだが、前向きな仕事が減っているために内向きになるというわけではないのだろうが、内部管理を徹底するための調査物が増えているような気がする。このように斜めから物事を見るようになったのは、単に年を食ったためばかりではないだろう。
 それでも、午後5時半過ぎに職場を出て、「i−cafe」で息抜きをしてから帰宅した。帰宅後は、午後7時50分から蠍座で「アポカリプト」を見ようと思っていたのだが、洗濯をしているうちに時間が経ってしまい、面倒くさくなったので日を改めることにした。


9月27日(木)  「不良少女モニカ」

 朝から小雨がぱらつき、どんよりと曇った一日だった。
 午後6時5分から、蠍座で「不良少女モニカ」を見る。1952年のスウェーデン映画で、イングマール・ベイルマンという映画監督の作品である。蠍座では、これから年末まで13回連続でこの監督の作品を上映するようだ。この作品はその第1番目の作品である。1952年といえば戦後7年、スウェーデンの庶民も当時は貧しかったと見えて、主人公も貧しい家庭に嫌気がさしている17歳の少女である。今日の感覚では不良と呼ぶに相応しいかどうかは疑問だが、健気なところは一切なく、勝って気ままに生きているタイプである。最初から育児を完全に放棄し、家を出ていくのだが、実際にこのような少女がいたとすれば、その後はどのような人生を送っただろうか?


9月26日(水)

 出勤時は雨が降っていたが、昼過ぎからは晴れて、蒸し暑い午後となった。昨日は、残暑が厳しい東京の都心を3万歩も歩いたので、運動疲れが残っているのか眠気が差して辛い状態だったが、それでも仕事の方が次々と入ってきたため、アッと言う間に仕事時間が終わってしまった感じである。
 帰宅後、東京で買ってきたDVDを視聴して過ごした。田月仙さんはオペラ以外にもコリア民謡や日本の歌曲などレパートリーが幅広いので、声楽家と呼ぶのが一番相応しい感じだ。単に声が美しい、歌が上手いというレベルの問題ではなく、歌声に表現しがたい情感があって惹きつけられる。日本語で歌っているものはほとんどないが、ネイティブの言語は日本語とのことである。


9月25日(火)  夏季休暇−3日目

 昨夜は前後不覚の眠りについて、目を覚ますと午前8時10分過ぎだった。
 9時過ぎにホテルを出て、神田神保町を経て九段下まで歩き、そこから皇居周辺をぐるりと一周することにした。皇居は広いが周囲を一周するのはさほど困難ではない。午前10時半ころには皇居外苑に到着し、そこから二重橋をとおってJR東京駅に足を運んだ。午前11時過ぎに大丸東京店8階のイタリアンレストランで早めのランチをいただいてから、再び歩いて神田神保町へ行き、喫茶「さぼうる」で一服する。その後、再び歩いて神田駅まで行き、さらに山手線に沿って浜松町まで歩いて、午後3時40分ころ東京モノレールに乗って羽田空港に向かった。
 午後5時10分、羽田空港発のANA73便で新千歳空港へ向かう。JR札幌駅には午後7時半過ぎに到着し、その後はDVDを見ているうちに午前1時を過ぎてしまった。


9月24日(月)  田月仙リサイタル


 朝5時半に起床し、6時20分にマンションを出た。6時34分にJR札幌駅発の電車で新千歳空港に向かい、7時50分に新千歳空港発のANA50便で羽田空港へ向かう。定刻の9時20分に羽田空港に到着してから、京急で横浜へ行き、そこからJRに乗り換えて小田原へ。小田原からは箱根登山鉄道で箱根湯本行きの電車に乗り、11時半ころ箱根湯本に到着した。箱根湯本の温泉街を歩き、ガイドブックに紹介されていた喫茶「ユトリロ」でカレーセットをいただいたが、他に見る物もなかったので、箱根湯本には1時間余り滞在しただけで小田原に引き返した。小田原では、小田原城を見物しただけで、大宮行きの快速電車に乗って東京に向かった。大崎駅で山手線に乗り換え、神田駅で降りて、午後3時過ぎにホテルユニゾ神田にチェックインした。
 チェックイン後すぐにホテルを出て、徒歩10分余りで神田駿河台の日本大学カザルスホールに到着する。事前にメールで予約しておいた「田月仙リサイタル」のチケットを受け取ったが、入場は午後4時半からとのことだったので、古本屋街のベローチェでコーヒーをいただいてから再びカザルスホールへ。最前列から3番目のステージが見やすい席が指定されており、ラッキーだった。田月仙さんは在日の声楽家であるが、一昨年の暮れにNHKのテレビ番組と、今年1月に出版された『海峡のアリア』で、壮絶な半生と南北統一を願う心を込めた歌にかける思いを知り、是非歌声を聞きたいものだと思って足を運んだ。リサイタルの内容は期待を裏切らないものであり、繰り返し聞くためにDVDを2枚購入した。
 午後7時半過ぎにリサイタルが終了後、ホテルに帰る途中、ネットカフェで買ったばかりのDVDを見ているうちに午後10時近くになった。帰宅後、汗を流してから就寝した。


9月23日(日)


 3連休の中日だが、明日は上京するのでゴミを出したり洗濯をしたりして、不在中に何かあっても恥ずかしくないよう身辺を整理した。これで本当に何かあれば、「虫が知らせたのでは・・・。」と言われるだろうか?
 明日はJR札幌駅6時34分発の始発電車に乗るため、早く寝ようと思うがなかなかそうはいかない。結局、忘れ物がないかチェックしたり、目覚ましを早めにセットしたりしているうちに就寝は午前0時近くになってしまった。


9月22日(土)  What’s建築士inえべつ

 午後3時40分ころ、JR野幌駅裏の江別市グレシャムアンテナショップに足を運び、社団法人北海道建築士会江別支部主催のイベント「What’s建築士inえべつ」のセミナー「子どもを育む住まいづくり」に出席する。グレシャムアンテナショップに足を運んだのは本当に久しぶりだが、以前とほとんど変わっていない。当時は、インターネットを無料で使うことができるのが魅力だったが、今では高速回線が普及したので、きちんと集客できているだろうか。
 午後4時40分過ぎにセミナーが終了し、記念品として「紅白のもち」をいただいた。ログハウスの喫茶店「岳」で一服してから帰宅した。


9月21日(金)  猛暑ぶり返し札幌で30度超

 今日は朝からよく晴れて、暑い一日となった。札幌では日中の最高気温が30度を超えたのだが、これは観測史上最も遅い記録だそうだ。風が強かったので、幾分暑さはやわらいだが、それでも9月下旬になっても気温がなかなか下がらないのは、地球温暖化の不安があるだけに気持ちの良いものではない。
 週明けに1日だけ休暇を取って上京するつもりなのだが、仕事の都合で休暇を取りにくくなるのではないかとヒヤヒヤしていた。何とか無事休暇を取ることができたので、ホッと一安心である。夕方、JTBで東京行きのチケットを受け取った。


9月20日(木)  北海道自治体学会経営改善委員会

 今日は朝からどんよりと曇って、蒸し暑い一日だった。期限の迫った照会物を片付けるために、午後6時半近くまで忙殺された。
 午後6時半から、ホテルポールスター1階のラウンジで開催された、北海道自治体学会の経営改善委員会に出席する。出席予定者5名のうち3名しか集まらなかったため、一時間足らず意見交換しただけで散会し、次回は10月に開催することにする。
 終了後、Wさんとアスティ45ビル1階の「ととと」へ。午後9時ころまで飲み、かなり酔った状態で帰路に着いた。帰宅後は居眠りをしてしまい、気が付くと深夜になっていた。


9月19日(水)  DO!21例会

 今日も朝から晴れてはいるが、上空に所々薄い雲がかかり、涼しい風が吹く秋らしい一日だった。
 議会の質問が当たっているため、なかなか打合せもできない状況の中、期限が迫った仕事を順番に片付けている。何とか、週明けの24日(月・振替休日)・25日(火)に心おきなく上京できるようにしたいと思う。
 午後6時半から、澄川まちづくりセンターで開催されたDO!21の例会に出席する。澄川まちづくりセンターは、地下鉄澄川駅から歩いて2〜3分程度のところにある。今年4月から所長になったIさんから、まちづくりセンターの現状についてお話しをうかがった。今日は10名余りが出席し、久々に賑やかな例会となった。8時半過ぎに例会が終了してから、近くの居酒屋で一杯やる。午後11時前に散会し、地下鉄に乗って帰路に着いた。


9月18日(火)

 今日は朝からよく晴れて、秋晴れの空が広がった。早朝の空気は涼しいというよりは一寸肌寒く、秋らしい気配の深まりを感じさせられた。
 出勤時に1階ロビー横にあるロッカーを利用して、夏の服を総てクリーニングに出した。今のマンションは、昼間から夜にかけては受付の人がいてクリーニングの取り次ぎをお願いすることができるし、それ以外の時間でもロッカーを使ってクリーニングに出すことも受け取ることもできるので、とても便利である。
 仕事の方は、朝から調査物の処理に追われた一日で、総ての処理が終わったのは午後7時半を過ぎてからのことだった。それでも、ハッキリと見える形で成果を出すことができたので満足だった。
 すっかり暗くなった屋外を歩くと、涼しい秋風が心地よい。長く厳しい冬を迎える前に、ほんのつかの間、札幌は一番良い時期を迎える。今日はその予兆を感じる夜だった。



9月17日(月)  「東京タワー」

 今日も朝から雨が降っている。ただ、まだ冷気が加わらず、秋雨という感じはしない。
 午前10時半から、蠍座で「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」を見る。数年前に話題になった小説だが、1960年代の北九州・筑豊にはじまる家族の様子を描いた作品で、明るく勝気な母、いい加減な父、そしてシャイで怠惰な主人公を中心として心温まるドラマが展開される。東京タワーには、建設中の東京タワーを背景にした若き日の父親の写真が出てくる。そして、15歳で母親のもとを離れ、30歳のときに癌を患った母親を東京のアパートに引き取り、それから7年後に東京タワーの見える病室で最後を迎える母親との別れの場面が出てくる。東京タワーは現代と過去をつなぐ、キーワードなのだ。
 作品の中で、オカンとオトンが初めてダンスホールで出会ったときの思い出の曲として、「キサス・キサス・キサス」が紹介されている。サーチエンジンで検索すると、「軽いテンポの明るいボレロ。 オリジナルの歌詞はスペイン語。タイトルは『ええ、多分ね』というようなニュアンスらしい。」とのことだ。
 いずれにせよ敬老の日に相応しい、とても良い作品だった。


9月16日(日)  福田VS麻生

 9月12日に安部総理が突然辞任を表明し、9月23日(日)の自民党総裁選に向けて連日報道がなされている。最初に次期総裁候補として名前が上がったのは、昨年の総裁選挙にも出馬した麻生幹事長だが、その後、福田元官房長官の名前が上がり、ここ数日では全派閥の票を8割固めたという福田氏が圧倒的に有利といわれている。今日は朝から、テレビで福田氏と麻生氏の生討論を見ていたが、両者に政策の相違はほとんどなく、どちらが総理になっても大勢に影響がないと思われる。
それにしても、福田=元総理の息子、麻生=元総理の孫ということで、安部=元総理の孫という顔ぶれから見て、戦後60年余りの間に、わが国の政治の世界ではすっかり世襲制が根付いてしまったようである。民主党は確かに頼りないが、権力は腐敗しやすいものだから、政権交代による新陳代謝が是非とも必要だと思う。


9月15日(土)  雨の休日

 今日は朝から雨が降っていたが、先日「万歩計」を買って、運動不足解消のため歩くことにしたばかりなので、地下街を歩き回った。マンションの玄関のすぐ横に、地下街に通じるエレベーターがあるため、札幌地下街やJRタワーを雨に濡れることなく歩き回ることができる。2010年には、札幌駅から大通まで地下街が通じるので、そうなれば、雨の日でもススキノや大通バスセンターまで傘の必要がなく歩いて行けることになる。
 夕方、大丸地下1階の果物コーナーでフルーツ詰め合わせを購入し、野幌の実家に持参する。敬老の日の贈り物である。



9月14日(金)  100年前の914日〜啄木来札

 今からちょうど100年前の1907年(明治40年)914日、札幌の駅頭に降り立った若き歌人石川啄木は、日記に次のように書いている。「札幌は、まことに美しき北の都なり。初めて見たる我が喜びは何にか例へむ。アカシヤの並木を騒がせポプラの葉を裏返して吹く風の冷たさ。札幌は秋風の国なり。」
 そして、歌集『一握の砂』に次の歌を残している。「アカシヤの並木にポプラに 秋の風 吹くがかなしと日記に残れり」
 今日は、秋晴れの空が広がり、正に啄木が賞賛した美しい秋の一日となった。しかしながら、今年は残暑が厳しく、せっかくの秋風も「風の冷たさ」とはほど遠いものでしかなかった。


9月13日(木)

 昨日は雨が降り出しそうな空模様だったが、今日は一転して良く晴れて、秋晴れの空が広がった。
 昼休みに、NPOサポートセンターを訪ね、「NPOとの意見交換会」への出席を案内する。ただ、意外なことに、「同じような話しでこれまでにも何度か意見を述べる機会があったが、具体的に何も反映されないので、NPO側はこういった話しにはうんざりしている。」という本音を聞くことができた。
 午後5時40分に職場を出て、帰路に着いたが、健康のためJR札幌駅付近を散策しているうちに万歩計は1万2千歩を超えた。現在のマンションは職場に近すぎるため、運動不足になっているようだ。これからもできるだけ歩くようにしたい。


9月12日(水)  楽しいモグラクラブ訪問

 睡眠改善薬「ドリーネン」が効いたのか、夜中に目覚めることなく、午前6時半に目覚ましの音で起床した。薬が効き過ぎたのか、その後もずっと眠気が抜けないままで過ごした一日だった。それでも、昨日休暇を取っただけで、仕事が溜まっていたので、片っ端から片付けているうちに一日が過ぎてしまった。
 午後6時半に「楽しいモグラクラブ」(北19西3)を訪問し、平田真弓理事長からお話しをうかがう。ニート、引きこもりが近年大きな問題となってきた理由は、対人関係が苦手な人は、かっては、農家の家庭内労働や、土方仕事など単純な肉体労働で吸収されていたものが、経済のサービス化に伴い、対人関係がつくれないと仕事にならないという状況が進んだ結果、社会に居場所がなくなっているということのようだ。
 午後8時過ぎに「楽しいモグラクラブ」を出て、近くの居酒屋「利尻」で一杯やる。メニューを片っ端から注文したのだが、勘定は一人当たり2千円程度と、驚くほど安かった。午後10時に散会し、歩いて帰宅した。



9月11日(火)  夏季休暇−2日目

 今日は夏季休暇の2日目を取得した。朝は良く晴れていたが、昼前から曇ってわずかに雨のパラついた時間もあった。
 JR札幌駅北口と職場の往復では、運動不足になるので、意図的に歩くようにしようとビッグカメラで万歩計を購入した。16,879歩だった。
 ふと、六花亭の喫茶室に行ってみたくなり、地下鉄で円山公園駅まで行き、そこから歩いて5分くらいのところにある六花亭円山公園店へ。2階にある喫茶室に入り、季節メニューの十勝産小豆を使ったお汁粉をいただく。
 夕方、サッポロドラッグストアーで睡眠改善薬「ドリーネン」を購入する。これは、ジェネリック医薬品で、エスエス製薬の「ドリエル」と同じ成分とのことだ。「ドリエル」は6錠入りで980円だが、「ドリーネン」は10錠入りで980円である。
 帰宅後、万歩計を見ると、16,879歩となっていた。午後11時時過ぎに「ドリーネン」を飲んで就寝した。



9月10日(月)

 朝から雨模様のぐずついた空模様となった。今はまだ夏の気配が残っているが、秋が深まるに連れて、一雨ごとに寒さが加わり、秋の気配が深まっていく。
 お昼休みに、JTBで9月24日(月・振替休日)〜25日(火)の1泊2日で東京のパックを予約する。24日は早朝7時50分にANA50便で新千歳空港を発ち、午後5時から日本大学カザルスホール(千代田区神田駿河台16)で「田月仙リサイタル」に足を運ぶ。その夜は神田のホテルに泊まって、25日(火)の午後6時に羽田空港発のANA73便で帰札する。上京中、空いた時間には東京の名所見物をするつもりだ。


9月9日(日)  残暑

 今日は天気が良く、日中の最高気温は27度まで上がって、残暑を感じる陽気となった。
 夕方、テレビ番組で生活保護の老齢加算廃止に反対する訴訟を取り上げたドキュメンタリー番組をやっていた。余生も残り少なくなって生活保護に頼るギリギリの生活というのは、何かと不如意なものだろう。国の方も、財政に余裕がなく歳出を押さえるため生活保護の加算金を削減しているわけだ。国が財政破綻しては困るが、生活保護の老齢加算や母子加算を切り捨てるというのも残酷な仕打ちだ。何ともやり切れない気持ちになってしまった。


9月8日(土)

 台風9号は、本道に大きな影響を与えることなく過ぎ、今日は良く晴れて昼からは汗ばむような陽気となった。
 毎年この時期になると、ぶらりと旅行がしたくなる。今回は、9月24日(月・振替休日)に、日本大学カザルス・ホールで開催される「田月仙リサイタル」に足を運ぶことにした。田月仙氏は、在日の声楽家で、自らその半生を綴った『海峡のアリア』は、私がこれまでに読んだことのある自伝の中で出色の作品である。著者の歌声を生で聞きたいと思い、上京することにした。ただ、毎年この時期は台風シーズンなので、飛行機が飛ばないおそれもある。こんなとき、北海道に住んでいると不便だと思う。


9月7日(金)  台風9号接近

 台風9号が接近しているため、昨日の昼過ぎから天候不順であり、今日は朝から雨が降っている。明日は本道を直撃するため、大荒れになるとの予報だ。
 このような雨の日は、職場の近くまでずっと地下を歩いていけるため、本当に便利である。現在、地下鉄さっぽろ駅〜大通駅間の地下通路の工事が進んでいるため、これが平成22年度に開通すればススキノまで歩いて行けるようになる。
 午後6時から、大丸8階の「北の麩庵」で季節の麩会席をいただく。麩料理の会席は、いろいろと工夫が凝らされており、飽きが来ない味である。秋の夜長を楽しむのにはちょうど良いコースで、満足だった。午後8時少し前に店を出て帰路に着いた。


9月6日(木)  シンポジウムに関する打合せ

 朝は、地下鉄東豊線さっぽろ駅から福住方面行きの電車に乗り、豊平公園駅で降りて「きたえーる」へ。ここで、12時半まで「北海道戦没者追悼式」の手伝いをする。
 その後、一旦職場に戻ってから、北翔大学北方圏学術情報センター「ポルト」(南1西22)へ向かう。午後2時半から、3階の会議室で北翔大学人間福祉学部の佐藤教授、齋藤教授、NPO法人札幌チャレンジドの加納事務局長、FM三角山放送局の木原代表と5人で、11月8日(日)午後2時15分から、「ポルト」で開催されるシンポジウム「福祉のまちづくりの未来」の打合せを行う。私としては、本道においては行政とNPOの協働が進みつつあることをアピールしたいと思う。
 午後6時から、ジャパニーズレストランテ「シュン」(北5条西5丁目 JR55ビル7階)で開催された、飲み会に出席する。午後8時に散会したが、けっこう酔っていて、帰宅後はちょっと横になったつもりが、気が付くと深夜になっていた。


9月5日(水)  NPOとの意見交換会

 10月12日(金)の夜に開催される予定の、「NPOとの意見交換会」のため、NPOに参加を呼びかける文章を書いた。個別に案内しなければ手が上がってこないかも知れないが、これまでにないユニークな試みなので、何とか上手くいってほしいと思う。
 帰宅途中、JR札幌駅周辺の書店で、『カラマーゾフの兄弟』を探したが、一冊も見つからなかった。光文社文庫からは、ツルゲーネフの『初恋』やゴーゴリの『鼻』などロシア古典文学の新訳版が幾つも出ていることが分かった。次は是非とも、トルストイの『復活』の新訳版が出てほしいものだと思う。



9月4日(火)  瀬島龍三氏死去

 今朝の新聞によれば、元大本営参謀で伊藤忠商事の会長だった瀬島龍三氏が死去したとのことである。95歳という年齢を考えれば大往生だが、今年は戦後62年になることを考えると、瀬島氏は、30代前半で日中戦争の戦略最前線で活躍していたわけだ。
 終戦後シベリア抑留となり、1956年に帰国するまで約11年間、抑留生活を送ったというから、帰国したときには40代半ばになっていたはずだ。何だか、歴史の証人のような凄い人生を送った人物だと思う。そんな人物でも、時の流れの中でたちまち過去の人になってしまう。人生は短くはかなく、正に「一炊の夢」だ。
 午後7時から、蠍座で「善き人のためのソナタ」を見る。冷戦時代(1984年)の東ドイツが舞台で、冷酷無比な国家機密員がある舞台作家を24時間監視する。そのことを知らない舞台作家は、ピアノでベートーベンの「善き人のためのソナタ」を弾く。それを聴いたとき、その国家機密員は、その舞台芸術家を護る存在となる・・・。不思議にも感動を覚える作品だ。


9月3日(月)  連絡協議会

 今日は、昼過ぎから大きな会議があり、その運営にエネルギーを費やした一日だった。先月からずっと精神的に負担になっていた会議なので、午後4時に無事終了したときには、肩の荷を降ろした気持ちになった。
 午後5時45分ころ職場を出ると、ホームレスの支援誌『ビッグイシュー』の創刊号を発売しているところに出会った。隔週刊で一冊200円。そのうち、110円が販売員のホームレスに支払われることになるそうだ。どんな内容か試すために一冊購入した。
 その足で「北海らーめん」に行き、同僚のKさんと一杯やる。午後8時前に散会したが、かなり酔って、記憶もハッキリしない状態で帰宅した。


9月2日(日)  カラマーゾフの兄弟が売れている

 今日、ネットカフェで読んだ新聞に、『カラマーゾフの兄弟』がベストセラーとなり、30万部も売れているというニュースが載っていた。
 ネットで検索すると、ちょっと8月22日付けの産経新聞にも次のとおり掲載されていた。

 新訳「カラマーゾフの兄弟」異例のベストセラー 混沌の時代、生きるヒント

 ロシアの文豪、ドストエフスキーの名著「カラマーゾフの兄弟」の新訳本が26万部を突破し、古典文学としては異例のベストセラーとなっている。最終巻が出版された7月にはインターネットの文芸本ランキングで4週間連続のベスト10入り。旧訳本も相乗効果で売り上げを伸ばす。ミステリーとしてのおもしろさはもちろん、男女の愛憎や幼児虐待、テロリズムなど現代にも通じるテーマが、混とんとした時代を生きる現代人の心をとらえているようだ。

 新訳は東京外国語大学教授の亀山郁夫氏が担当し、光文社古典新訳文庫から昨年9月、第1巻が出版されたものである。新訳は全5巻で、最終巻が出版された7月中旬以降、インターネット通販「アマゾン」の文芸本ランキングで4週連続のベスト10入りを果たす人気ぶりとのことだ。
 私は、『カラマーゾフの兄弟』を大学に入学した年の春に読んだ。講談社文庫版で3巻に分かれた膨大な作品だったが、内容が興味深かったので一気に読んだ。これまでに読んだ小説の中で最高傑作だと思える作品だ。それにしても、あれほど深遠な作品が現代の日本人に受け入れられるとは・・・。日本人も、まんざら捨てたものではないと感心してしまった。


9月1日(土)

 暑かった今年の夏も終わり、今日からは9月。名実共に秋になった。毎年思うことだが、秋になると、本当に気候がちょうど良く、「美しい」と思える日があるものだ。今年は夏が厳しかっただけに、取り分けそうした日に巡り会える可能性が高いのではないかと期待している。今日はまだ、夏から秋に移り変わる途上の中途半端な暑さが残る一日となり、秋らしさを満喫するまでには、もう少し時間がかかりそうだ。
 午後7時ころ、理容「プラージュ」で散髪しサッパリしてから、「岳」でコーヒーをいただいた。ログハウスの喫茶店「岳」の窓から漏れる灯りは、漆黒の闇の中で見ると幻想的で美しい。秋の美しさは、夜が長く暗いところにもあるのだと思う。