日記:2008年7月
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7月31日(木)  『オールニートニッポン』

 薄い雲を通して柔らかな日差しが降り注ぎ、街路樹の葉を揺らして吹く風も涼しく、この時期にしては過ごしやすい一日だった。
 最近は、貧困問題についていろいろと考えさせられることが多い。昨夜は、午前0時過ぎに帰宅後、2時近くまで『フリーターズフリー01』(フリーターズフリー編)を読んだりしていた。
今日は、『雨宮処凛の「オールニートニッポン」』(雨宮処凛編著)を読み終えた。「オールニートニッポン」はインターネットラジオという新しいメディアで、この本はその番組で話し合われたことを活字にしたものである。貧困問題を様々な角度から取り上げた興味深い内容である。私が貧困問題に関心を持つのは、貧困問題に様々な社会問題が集約されているためである。雨宮処凛さんは、ファッションこそ奇抜だが、現代の貧困問題を鋭く分析し、問題のポイントを的確な言葉で表現している。特に「生きづらさ」という表現は、核心を突いている。同じ時代を生きる者の一人として、貧困問題に無関心ではいられない。


7月30日(水)  反グローバリズム組織としてのG8

 朝6時半に起床すると、外は既に明るく良い天気だった。
 宿直明けなので頭が冴えないが、仕事が詰まってきているので昼休み返上で事務処理を行う。以前の私なら、こんな状況だともっと精神的にへこたれていたと思うが、少しは精神的に成長したようで自制できるようになった。正直なところ、もう少しスムーズに行かないものかと思うが、現実はうまくいかないものだ。
 午後6時半から、自由学校「遊」で開催された「反グローバリズム組織としてのG8」に出席する。講師は北海学園大学講師の平野研氏。話しの内容は、概括的で特に印象に残るものはなかった。参加者は10名余りで、この程度の参加者で赤字にならないのだろうかと不思議に思う。
 午後8時45分ころ学習会が終了後、近くにある創作料理の店で講師の平野氏を囲む懇親会に出席する。参加者は私を含めて6名で、G8サミットのような外交セレモニーに醒めた考え方を持っている点では気持ちが通じており、午後11時半過ぎまで盛り上がった。


7月29日(火)  宿直当番

 朝から良く晴れてはいたが、それほど暑くはならず、過ごしやすい一日だった。本州は日中の最高気温が35度を超える猛暑日になり、そのことがニュースになっている。北海道も暑い年は真夏日が続くのだが、今年は本州に比べて気温が上がらず、「北海道の夏はやっぱり涼しい。」と思える日が続いている。
 午後5時半から「宿直当番」に入る。4回目の当番なのでようやく勝手が分かり、午後10時半過ぎに就寝した。


7月28日(月)  焼き鳥「きよた」

 朝は晴れていたが、昼からは曇って時々雨が降った。
 仕事の方は、朝から各方面の調整に追われ、慌ただしい一日だった。昨夜はまあまあ良く寝た方なので、気力が保ってなんとか一日過ごすことができた。
 午後8時から、焼き鳥「きよた」(北17西4)で一杯やる。昔はからある店だが、しばらく前に現地に移転して大きくなった。移転後に足を運ぶのは初めてである。2千円飲み放題コースは、料理は少ないが手軽で、学生向けにはちょうど良いだろう。午後10時過ぎに散会して帰路についた。


7月27日(日)

 今日も朝から良く晴れていたが、風が吹いて涼しく感じられる一日だった。
 昼過ぎに床屋で散髪し、スッキリする。以前は面倒くさく感じられた床屋が、最近では気分転換にちょうど良いと感じられるようになってきた。
 夕方、生協北12条店で食材を購入し、ヘブライ風のパンを焼く。考えて見れば、調理がこれ程バラエティー豊富になったのは最近のことで、主食であるパンなどは毎日欠かせないものだからそんなに手の込んだものであったはずがない。レシピを見ても、薄力粉、すりゴマ、卵、長ネギ、オリーブオイルのみのシンプルなものである。ウスターソースで味付けすると、韓国料理の「チヂミ」に良く似た味だ。
 いつも日曜日は夜更かししてしまうが、今日はいつもより早く、午後10時半過ぎに就寝した。


7月26日(土)

 朝から天気が良く、その割には涼しい一日だった。
 昨夜は夜更かししたため、起床時間が遅くなった。「みんたる」の店主は、毎日3〜4時間の睡眠時間でがんばっているそうだが、よく体がもつものだ。最近読んだある本で、「仕事をしていて休日がほしいなんて思うなら、その人は本当はその仕事を好きではないのだ。」と書かれていたが、「みんたる」の店主は、日祝の休日にもいろいろなイベントに出店しているのだから、本当に「フェアトレード雑貨&カフェ」という仕事が好きなのだろう。


7月25日(金)  火山噴火予知特論〜四川大地震の報告

 朝から晴れてはいたが日差しは穏やかで、暑苦しさを感じないさわやかな一日だった。
 午後6時半から、北海道大学理学部4号館で開催された「地震・火山噴火予知特論」に出席する。今夜は、火山噴火に関する講義の第1回目だった。大島准教授による講義があり、その中では、大正3年(1914年)の桜島噴火について、桜島に残る石碑の教訓が示された。「住民ハ理論ニ信頼セス 異変ヲ認知スル時ハ未然ニ 避難ノ用意尤モ肝要トシ 平素勤倹産ヲ治メ何時変災ニ遭フモ 路頭ニ迷ハサル覚悟ナカルヘカラス」。噴火のときは、自助努力が最も大切だというのである。
午後7時半過ぎに特論が終了した後、「みんたる」に足を運び、「四川大地震」のボランティアで1ヶ月半現地で活動した東条雅之氏(北大農学部4年生)から体験談をうかがう。成都の日本人ゲストハウスに集まったボランティアの人たちが、勝手に被災地に足を運んで、がれきの片付けや井戸掘りなど必要と思われることを被災者に申し出てボランティアをやっているとのことだ。
 午後9時過ぎに報告が終わってから、10名余りで懇親会を開催する。インドやパキスタンに旅行した経験のある人が多く、旅行体験談で盛り上がる。パキスタンは人が親切で優しいという人が多く、テロが多く物騒な国だと思っていたので意外に感じた。午後11時に散会して帰路についた。


7月24日(木)  個人経営の喫茶店は儲けるのが難しい

 昨日は雨が降ったり止んだりで、不順な空模様だったが、今日は朝から薄い雲をとおして柔らかな日差しが緑を照らす穏やかな天候の一日だった。
 昨夜は就寝したのが午前2時近かったので、頭がスッキリしなかった。以前は終電まで飲んでから帰宅することも多かったが、よく体をこわさなかったものだ。
 最近まで風邪が治り切らない感じで不調だったのだが、ようやく体調が回復してきたように思う。体調が悪いと気力が低下して楽しく過ごせないので、健康が何よりだと思う。午後9時ころ「みんたる」に足を運ぶと、岩見沢市のM珈琲のマスターが来店していた。 有機栽培の珈琲を輸入したり、民芸品や食材を販売しており、最近は北15条西4丁目に札幌店もオープンしたのだが、全然儲からないので、食材を売るなどして穴埋めしたいとのこと。正直言って場所が目立たないので、誘客が苦しいだろうと思う。コーヒーも量は多いのだが、特に美味しくはない。個人経営の喫茶店は、簡単に儲かるものではないということを痛感させられる。


7月23日(水)  DO!21例会

 朝から雨が降ったりやんだりの不順な天候だった。
今日は、全道戦没者追悼式があったが、天候が不順だったので、駐車場の担当者などは大変だったことだろう。
 午後6時半から、「DO!21」の7月例会を開催する。今日の講師は、北大教育学部助手の日置真世さん。「たまり場」に集まった人々の中から切実なニーズが発せられ、それに応える形で新たな事業を展開してきたこと。事業を拡大する中で不動産業者の信頼を得て、岩盤浴の店の運営まで持ち込まれたこと。NPO法人地域生活支援ネットワークサロンの活動拡大のプロセスは、壮大な社会実験だったことが分かる。
 例会終了後、炭火焼き鳥「八方(はっぽう)」で開催された懇親会に出席する。毎週札幌と釧路を往復するほか、全国を飛び回っている日置さんとゆっくり話す機会があって良かった。日置さんが釧路で作りあげてきたような活動を、札幌でも広げていけるよう、できる限りお手伝いしたい。午後10時半に散会後、Tさん、Yさんと3人でアスティ45の1階にある居酒屋「ととと」でさらに一杯やる。
 午前0時半ころ、岩手県で震度6強の地震があり、札幌も震度3の揺れだった。



7月22日(火)

 朝から曇って、日中の最高気温も20度くらいまでしか上がらず、この時期にしては涼しい一日だった。関西方面では35度を超える真夏日になった所が少なくないようで、ネットニュースなのでは酷暑の状況が盛んに報じられていただけに、本道の涼しさが際だつ一日となった。ただし、大通りではビアガーデンが商売にならないだろうと思うと、気の毒ではあった。
 帰宅後、「みんたる」に足を運ぶと、7月14日(月)の夜に開催された「フードバンク」の活動紹介に参加したメンバーが、札幌でのフードバンク活動の実現に向けて検討するための集まりを持とうとしているとのことだった。
 正直言って、今の北海道に最も必要なのは、東京の「NPO法人もやい」がやっているような、賃貸住宅入居のための保証人引き受けと生活保護の受給支援を含めた生活相談の場である。本来は生活保護行政がきめ細かく行き届いていれば不要な活動だが、現実には生活保護費の膨張を押さえ込もうとする国家財政の締め付けが、こうした活動の必要性を高めている。
 一方、フードバンクは、生産や流通又は家庭から出た不要な食料品をそれを必要とする貧しい人々や福祉施設に配布する活動であり、生存に不可欠な「食」に特化した支援である。「食」はたしかに不可欠だが、それだけで生存に関わるすべてをカバーできるものではなく、中途半端な気もするのだが、それでも「何もしないよりはずっとマシ。」というところだ。ただ、実際にフードバンク活動を始めることになれば、車を使っての食料品の収集・配送やデポジット、仕分け作業などかなりの作業量が想定され、参加者のほとんどが漫然と他人任せで指示待ち状態では、活動がまわっていかないと思う。いったいどうなるものか、まあ一度話しを聞いておきたいとは思う。


7月21日(月)  海の日

 朝から良く晴れて、日中の最高気温は27度まで上がるという予報だったが、この時期にしては暑苦しくなく過ごしやすい一日だった。
三省堂札幌店で『「生きづらさ」について』(雨宮処凛、萱野稔人著)を購入する。バブル崩壊後の就職氷河期に社会に出て、安定的な就労の場が用意されておらず、不安定労働に身を晒さざるを得なかったロストジェネレーション世代の言論は、人間性の本質を鋭くついていて面白い。なぜ「生きづらい」と考える若者が増えているかと負えば、金銭的に恵まれないことに加えて、高いコミュニケーション能力が求められる現代社会では、周囲の人々に認められ、受け入れられる機会も少ないから生きづらいのだという。本質的な問題提起で、とても興味深い。今後は、「生きやすい」社会づくりを追求することが自分のライフワークになろのではないかという気がする。


7月20日(日)  某セミナーに出席

 全国的に暑い一日さったようで、関西では日中の最高気温が35度を越えたところが多かったようだ。札幌の最高気温も25度まで上がったが、関西に比べればしのぎやすい暑さである。
 午後1時半から某セミナーに出席する。有名講師の割には参加者が少なく、札幌ではこの手のセミナーに参加する層が少ないのだろうかと寂しく感じた。午後4時半ちょうどにセミナーが終わり、札幌ドラッグストアーで買い物をして帰宅した。


7月19日(土)

 今日から三連休なので、明け方まで起きていたため、日中はボーっとして過ごした。
 それでも浴室の掃除を入念に行い、洗濯をしてサッパリする。先週までは風邪が治りきらない感じで体調が優れずなかったのだが、ようやく体調が回復してきたようだ。
 午後6時過ぎに、「岳」でコーヒーをいただいたくらいで、特筆することもなく過ぎた一日だった。


7月18日(金)

 朝から良く晴れて、夏らしい一日だった。
 午後6時半過ぎに、かでる2.7に足を運び、「サウンドデモ抗議集会」に出席する。
 7月5日(土)の反G8サミットデモで逮捕者が出ているが、それを不当逮捕であるとして抗議する集会である。私は、7月5日(土)に沿道からデモ行進を見ていたが、デモ参加者よりも警備の警察官の方が多いような状態で、あまりのものものしさに衝撃を受けた。あのような警察力が日常的に行使されれば、自由な言論など完全に封殺されてしまうだろう。


7月17日(木)

 今日は、朝から曇っていたが昼過ぎには雨が降り、涼しい一日だった。考えてみればこの時期に涼しいというのはとても贅沢なことである。
 ここのところ、「反貧困」の声をあげる人々と、その対極にある満ち足りた人々の両方と接点があり、「格差社会」ということを強く感じている。これこそが今後のわが国で、徳に大きな問題としてクローズアップされていくに違いないと思う。
 帰宅途中、北のめぐみ愛食フェアーで米(北竜町産おぼろづき)、トマト、トウモロコシ、アスパラガス、納豆(本別町産黒豆使用)、ホタテ入り揚げカマなど食材を購入する。スーパーマーケットで買った方が安いくらいだが、天気が悪かったせいか大量に余っているようだったので同情して思い切り買ってしまった。


7月16日(水)  ソフトボール飲み会

 朝から薄曇りでこの時期にしては比較的涼しく、過ごしやすい一日だった。
 午後7時半から、「黄金の串」(北18西4)で開催されたソフトボール打ち上げの飲み会に出席する。いつもは話すこともないメンバーと話ができて、なかなか面白く過ごすことができた。一昨日のフードバンクの説明会で聞いたその日の食べ物にも困る人々とは、大きな違いがある。「勝ち組と負け組みの差」ということを考えてしまった。


7月15日(火)  サミット打ち上げ

 朝から良く晴れて気温が上がったが、風が強かったので比較的しのぎやすい一日だった。週末は早朝から夜遅くまで、ハードスケジュールの旅行をしたのでまだ疲れが残っている。ボーッとして気力の充実しない一日だった。北九州市の土産として配った「くろがね堅パン」が案外好評でホッとした。あまりに堅いので、歯の悪い人にとっては悪ふざけになることが心配だった。
 午後6時から、「高田屋北3条店」(北3西3)で開催された「サミットご苦労さん会」に出席する。午後9時に散会後、「みんたる」に足を運び、いつものとおりウーロン茶を飲んでから帰宅した。


7月14日(月)  フードバンク

 朝から良く晴れて、暑い一日だった。この時期は、北海道も決して涼しくはない。
 朝6時半に一旦起床したが、今日は夏期休暇を取っているので、もう一度横になって、午前10時間から活動を開始する。JR札幌駅の郵便局で自由学校「遊」の年会費5千円を払い込み、会員となる。これまでは、北海道自治体学会をはじめ自治体職員中心の勉強会に集中していたが、中心となるメンバーは固定化しており、「現代の貧困問題」という私が最も興味を持っている問題に焦点が合っていないので、今後は自由学校「遊」の反貧困プロジェクトに関わっていくつもりである。
 午後6時半に「みんたる」に足を運び、セカンドハーベストジャパンのスタッフから「フードバンク」についてお話をうかがう。製造・流通過程で販売できなくなった食料品を、福祉施設や生活困窮者など安価な食材を求めるところに分配する「フードバンク」の活動は、今後の発展可能性を感じさせるものだった。午後9時に散会後、「みんたる」のテラスで売っていた、反G8サミットキャンプの残り食材を買ってほしいとのことだったので、ジャガイモと乾パン缶を購入した。反G8サミットキャンプは、警戒が厳しかったためか洞爺湖周辺のキャンプ場には人があまり集まらず、準備していた食材が使い切れずに余ったとのことだった。


7月13日(日)  下関市へ

 朝から良く晴れて、暑い一日だった。
 朝9時にホテルをチェックアウトして、下関市へ向かう。JR下関駅までは、JR小倉駅からの乗車時間は15分である。JR下関駅前は、立体交差で整備されているが、山が海に迫った複雑な地形なので、道路も真っ直ぐではなく分かりにくい。20分ほど歩いて割烹旅館「春帆楼(しゅんぱんろう)」へ。ここは日清戦争の講和条約である下関条約が締結された場所であり、敷地内の記念館に当時のテーブルと椅子が保存されている。
 ここは、長州藩の志士にゆかりの場所も多いが、一々見て歩く気にもなれず、JR下関駅構内で「ふぐ天うどん」をいただいて、
12時間47分にJR下関駅発の電車に乗ってJR小倉駅に引き返す。土産に名物「堅パン」を買い、午後1時34分にJR小倉駅発の特急に乗って午後2時10分過ぎにJR博多駅に到着する。そこから、地下鉄で西新へ行き珈琲「伊藤」で名物のサラダセットをいただく。
 その後は、午後5時半に福岡空港発のANA264便で羽田空港へ向かう。午後8時20分に羽田空港発のANA便に乗り継いで新千歳空港には午後9時55分に到着した。午後1014分にJR千歳空港駅発の快速エアポートに乗って、午後11時ころ帰宅した。


7月12日(土)  自治体合同法務研究会

 早朝6時のJR電車で新千歳空港に向かい、羽田空港経由で午後1時過ぎに北九州市のJR小倉駅前に到着する。直ちに北九州国際会議場に足を運び、「第14回自治体合同法務研究会」に参加する。公開セミナーでは、町内会・自治会の実態が千差万別であることを確認することができた。午後5時半ころ「ホテルアパンダ」にチェックインしてから北九州国際会議場に引き返して分科会1に出席する。
 7時40分から会議場2階の「レストラン ラ・ブラージュ」で開催された懇親会に出席する。その後、9時から「カフェ ボンゴ」(小倉北区魚町1−3−2)に移動し、反省会に出席した。午後10時半に散会後、「一蘭」でラーメンをいただいてから「ホテルアパンダ」の部屋に入り就寝した。


7月11日(金)  自由学校「遊」会員登録

 どんよりと曇って蒸し暑い朝を迎えた。どれだけ暑くなるかと思ったが、昼前から雨が降り出すと次第に気温が下がって、案外過ごしやすい一日だった。
 今週は7日(月)〜9日(水)まで洞爺湖サミットがあり、そのため6日(日)の昼過ぎから急に出張が入り、8日(火)の午後11時半〜9日(水)午前8時15分まで仮眠なしの宿直当番で、9日(水)が代休という変則勤務を経験したが、夜勤、三交代勤務などの厳しさを痛感し、自由学校「遊」の「反貧困プロジェクト」に申し込む気になった。
 明日は早朝から北九州市に向かうので、チャイムが鳴るとすぐに職場を出て帰路に着いた。


7月10日(木)

 昨日に引き続いて、今日も朝から薄曇りで比較的涼しい朝を迎えた。
 今週は、6日(日)の昼過ぎから急に室蘭に出張することになり、昨日は夜勤があったので生活のリズムが崩れ、疲労感が強い。早く一日が終わってほしいと思った。いつもなら、早く週末になってほしいと思うのだが、今回は週末がハードスケジュールなので、一層気疲れしてしまう。
 午後6時に帰宅して、8時過ぎには珍しく居眠りしてしまった。午後10時過ぎに目覚めて、自由学校「遊」の「反貧困プロジェクト」連続講座の受講申込みをした。


7月9日(水)  洞爺湖サミット(3日目)、代休

 午前2時半過ぎまではそれほどきつく感じなかったが、2時45分過ぎから起きているのがきつくなってきた。ちょうどそのころ、北海道電力から電話が入り、連絡調整の責任を果たすことができたので良かったが、これがなければさらに徒労感が強かっただろう。午前3時半過ぎから次第に明るくなって、カラスの鳴き声が聞こえはじめた。疲労感はピークに達し、8時15分の日直明けを迎えたときは、「これで家に帰って寝られる。」という安堵感で一杯になった。夜勤というものは、本当に身体にこたえて辛いものだということを痛感した。
 i−Cafeで凝りをほぐしてから帰宅し、午前10時に就寝する。目覚めると午後1時になっていた。3時間熟睡しただけでも、疲れはかなり軽減している。その後、洗濯したり食材を購入したりしているうちに午後3時を過ぎてしまう。「みんたる」でウーロン茶をいただいてから帰宅し、午後6時半からエルプラザで開催中の「戦後責任を考える」シンポジウムに出席する。講師は、オーストラリア尾国立大学のテッサ・モーリス・スズキ教授。ただし、午後7時半までの講演の間、ほとんど寝ていた。私は良く講演会に足を運ぶが、多くの講演会は眠たいものだ。今夜も、早く寝た方が正解だったかも知れない。


7月8日(火)  洞爺湖サミット(2日目)、宿直当番

 今日は朝から薄曇りではあったが、気温が上がって午前中から一気に暑くなった。
 午後11時半から明朝8時15分までサミット警戒期間中の宿直当番で、仮眠も許されない(つまり、一晩中起きていなければならない!)ので、午後3時半から年休を取得して、休養に努めた。
 午後6時から8時までは寝ていたが、その後は目がさえて寝られず、午後11時過ぎに庁舎に入り、宿直当番に入る。今回は仮眠が許されないので、作業をしながら夜通し起きていた。通常の宿直当番と違って、今夜は仮眠が許されないので、「夜勤」というものがどれだけ身体に影響を及ぼすものなのか確かめてみようと思う。


7月7日(月)  洞爺湖サミット(1日目)

 朝から雨が降っており、しかも気温が高くてじめじめしており、梅雨の最中のような不快な天候だった。
 朝6時に起床してチェックアウト後、6時半からホテル1階のレストランで朝食をいただき、7時ころ出勤する。全員出払っており、車に朝食を積んで室蘭インターチェンジまで運搬する。昼ころ交代要員が到着したので、JR東室蘭駅で交代し、札幌へ引き返す。
 『貧困襲来』を読み終え、JR東室蘭駅の弘栄堂書店で『偽装請負』(朝日新聞取材班)を買って、帰りの特急の中で読む。キャノンやトヨタなど大企業が、どうして「偽装請負』をするのかを知りたいと思ったためである。ざっと半分弱読み終わったところで、JR札幌駅に到着した。
 急な出張で疲れが溜まっているため、終業のチャイムが鳴ってすぐに職場を出て、帰路に着いた。帰宅後、洞爺湖サミットに関する報道を聞きながら『偽装請負』を読み終えた。
 「偽装請負」については、大手メーカーが派遣労働者をあえて請負という形で使いたい理由は、間に請負会社が入ることで、メーカー側が労働者に対して負う責任が希薄化され、生産のための道具として必要なときだけ使うという行為を徹底しやすいからである。労働者の権利が徹底的に無視されていた初期資本主義の時代に戻っているようだ。だからこそ、1929年に書かれた『蟹工船』がベストセラーになったりしているのだろう。


7月6日(日)  急遽室蘭市へ

 朝から晴れて気温が上がり、おまけに湿度も高くて蒸し暑い一日だった。
 昼ころ、形態に電話があり、急遽室蘭市に出張することになった。身辺を整えて、午後2時37分にJR札幌駅発の「すずらん4号」に載って、3時59分にJR東室蘭駅に到着した。その間、『貧困襲来』(湯浅誠著)を読み、3分の2ほど読み終えた。
 ホテルサンルート室蘭にチェックンしてから、午後6時半まで仕事をする。
 その後、Tさんと「鳥辰」で室蘭焼き鳥をいただき、「ラーメン十八番」でカレーラーメンをいただいた。午後10時ころ入浴後、一旦眠ったが夜中に目が覚めて寝付かれず、『貧困襲来』を4分の3まで読み進めた。


7月5日()   反G8デモ

 今日は、朝から良く晴れて、暑い一日だった。北海道は涼しいと期待して来道した人は、本州と変わりなく暑いのでがっかりするのではないだろうか。
 昼過ぎから大通公園の8丁目広場で「反G8サミット集会」が開催され、午後3時から大通の北側を通って西4丁目まで歩き、そこから中島公園のゴールに向けて南下するコースでデモ行進が挙行された。
 私は、沿道で見ていたが、警備の警察官の数が尋常ではなく、警備当局がいかにこのデモを警戒しているかがうかがわれた。特に目立つ一団が徹底的にマークされており、機動隊との小競り合いで4名が逮捕されたとのことである。権力者にとって都合の悪い言動が徹底的に押さえ込まれるのは、今も昔も変わらないのだと、妙に感心してしまった。


7月4日(金)  『貧乏人の反乱』出版記念イベント

 朝から薄曇りで、午前中は比較的涼しかったが、昼からは蒸し暑く感じられた。
 帰宅途中、「みんたる」に足を運び、昨夜会った、松本哉氏がなかなか面白い人物だったことを店主に話した。松本哉氏は、当別町の災害防災備蓄センターのキャンプ場に宿泊すると言ってテントを背負ってきていたが、店主によればキャンプ場が今の場所に決まるまでに、かなりの紆余曲折があったようだ。帰宅後、G8メディアニュースを見ると、キャンプ場世話人のHさんが札幌市との交渉の経過を報告していた。道内外の各地からキャンプ場に集まる人々は多様だが、「反G8サミット」を掲げる人もいるので極端に警戒されているようだ。しかしながら、本当に危険なテロリスト集団なら、わざわざマークされるような行動は取らないだろう。キャンプ場を厳しく監視するなど、有害無益なことだと思う。


7月3日(木)  国際プレカリアート映画祭(第2夜)

 朝から薄曇りで、この時期にしては比較的涼しい一日だった。
 今日は「国際プレカリアート映画祭」の第2夜目である。午後6時から「素人の乱」、午後7時半から「東第8病棟(八東病房)」の上映。午後8時半から9時まで、中村友紀監督、松本哉(「素人の乱」主演)他によるディスカッションというプログラムとなっていた。「素人の乱」は5月29日(木)の夜、「みんたる」で一度見ているし、筋書きのない映像なので、会場に着いた午後7時ころには映画も終盤に近づいていたが、内容はよく分かった。この作品の主人公である松本哉氏は、東京都杉並区の高円寺商店街でリサイクルショップを経営しながら、周囲の仲間を巻き込んで型破りな生き方をしている。最近は、6月13日に『貧乏人の逆襲』という本を出したばかりだ。当初の予定とは変わって、7時半過ぎから松本哉氏と中村監督のディスカッションがあった。
 ディスカッション終了後、持参した『貧乏人の逆襲』の裏表紙に松本哉氏からサインをしてもらった。その後若干話しをしたが、想像していた以上にざっくばらんな感じの人物だった。松本氏が、「札幌市内で野宿するつもりでテントを持ってきたが張る場所がない。」と言っていたので、私が持っている「ドーミーイン札幌(狸小路6丁目)」の宿泊券を提供することを申し出た。ところが、その後で当別町の災害防災備蓄センターのキャンプ場に行くことになったらしく、結局のところ「ドーミーイン札幌」の宿泊券を提供することなく終わった。


7月2日(水)  国際プレカリアート映画祭(第1夜)

 今日も朝から良く晴れて、夏らしい一日だった。
 仕事が終わってすぐに「市民メディアセンター天神山(天神山国際ハウス:平岸2条17丁目)」に向かい、「国際プレカリアート映画祭」に参加する。この映画祭は今日から4日(金)まで開催され、新自由主義の下、不安定な労働・生活を強いられる人々をテーマにしたドキュメンタリー作品が上映される。
 今日は午後6時から「遭難フリーター」、午後7時20分から「誰か聞いてください(誰來聽我?)」の2作品が上映されたあと、「遭難フリーターの」岩淵弘樹監督と阿部幸弘氏(市民メディアネットワーク札幌)によるディスカッションの予定だった。午後7時近くに会場の天神山国際ハウスに到着し、会場のホールに入ると、宣伝が行き届いていないためか参加者はスタッフを含めても20名程度である。しかも機材の調整が不十分でDVDが途中で止まってしまうというアクシデントがあり、「遭難フリーター」の上映が終わったのは午後8時近くになってからであった。すべてのプログラムが終わるまでには相当時間がかかりそうだったので、「遭難フリーター」の上映が終わるのを待って帰路に着いた。


7月1日(火)

 朝から良く晴れて、昼過ぎからは気温が上がって暑苦しくなった。風が吹いていたので救われたが、風がなければ凌ぎがたい暑さを感じたことだろう。8月中旬を過ぎれば秋の気配を感じるくらいだからせいぜいあと2ヶ月程度の辛抱だが、マンションの居間にエアコンを付けようかとも思う。
 N町のFさんにメールを出し、7月12日(土)・13日(日)に北九州市で開催される第14回自治体合同法務研究会の申込みをした。久々の北九州市訪問であり、とても楽しみである。