EF62 Last Days
1997.7〜9
峠を越える最後の週末の朝。 神保原 1997.9.28
この年も、梅雨が明けた。まだ水の張られた田園に影を落としながら、「くつろぎ」が静々とやってきた。
安中−磯部 7.6
夏の朝は早い。高崎支社仕立ての団臨は、高崎線内の始発駅まで、早朝回送されることが多かった。
新町−神保原 7.6
高崎−長野を走破する最後の"マヤ検”には、ラストナンバー54号機が充当された。天候の悪かったのが残念!
横川−西松井田 7.11
この頃多かったのが、トイレ対策に、旧客に12系を併結した、この編成。何度も通って、やっと日が差してくれた、田圃の夕暮れ。
磯部−安中 7.20
夏の緑に、青い編成が映える。ここで、雪と戦うことは、もうない。
二本木−関山 7.26
黒姫山をバックに望む超有名ポイントを行く、夏季学習の子供たちを乗せた14系団臨。今日は山が上まで見えない〜!
黒姫−古間 7.26
最後の夏の一時期、毎日のように黒姫折り返しで運転された、この14系団臨は、長野以北にEF62のラストページを記した。
牟礼−古間 7.26
高崎線に東京駅が出現!?中線が撤去され、橋上に赤レンガのライトアップ、とすっかり装いを変えた深谷駅に停車中の「やすらぎ」。 深谷 8.2
緑の山と田圃、青い電機にノーマルの12系。この頃はまだこれが当たり前の風景で、高崎にも多くの12系が配置されていた。
御代田−平原 9.7
信越線にロクイチがやってきた!
急な運用なのに、朝ズラリと揃った“知った顔”の面々もいまは懐かしい。
安中−磯部 8.18
後にはイベント列車で多く見られるロクイチの横川入線だが、この頃はきわめて珍らしかった。たしか前例は、昭和39年の御召まで遡るはず。茶ガマどうしの並びも数あれど、この組み合わせはほとんどないはずだ。
横川 8.18
4日後には、同じスジで、今度はEF62の重連がやってきた。ちょっと意外だが、この重連も、末期の信越線ではほとんど見られなかった。
安中−磯部 8.22
重連になると、なお一層、サイドビューの重厚さが強調される。下りの高崎−横川間が重連で、峠はEF62単機牽引+EF63補機で上り下りし、復路横川から再びEF62重連になる、というスタイル。4日前のロクイチ出現の際も、同じパターンだった。
吹上(左)、新町(右) 8.22
この日は、品川発の団臨に、ロクイチが登板。運用は高崎まで。さすがにこちらも毎週末出動の疲れで休養を決め込むと、この列車の復路の峠は、なんと五重連になったとか。
目黒−恵比寿 9.6
横軽に姿を現すことの稀だった、仙台の「オリエントサルーン」を使ったヘッドマーク付きの団臨が、これまた有名撮影地の「安中鉄橋」を行く。
群馬八幡−安中 9,10
今日の浅間山はすでに夕靄に包まれている。「浪漫」など長野支社仕立ての団臨を迎えに行く単機回送も多かった。
御代田−平原 9.13
横川駅にD51がやってきた。この頃はまだ「SL碓氷号」は運転されておらず、DD51に牽かれてゆっくりと回送されてきて、構内のはずれに展示された。横川 9.14
高崎で、「さよなら碓氷峠号」の前回送をバルブしていると、試運転に向かうC58363がやってきて、幸運に打ち震えた,思い出深いワンシーン。
高崎 9.20
爽やかな秋の山、風、空。なのに、カウントダウンが始まった。
(左)横川−西松井田 9.20 (右)横川−軽井沢 9,28
EF63に囲まれて、折り返しを待つ「さよなら碓氷峠号」。真新しい橋上駅も出来上り、新幹線の試運転電車が走り去るのに、目を見張った。
軽井沢 9.21
「レインボー」を使った団臨も、毎週末に運転され、高崎まではパックの牽引だった。この翌年、パックが走らなくなるとは、夢にも思っていなかった。
新町−倉賀野 9.21
軽井沢で留置できず、「レインボー」は毎週、長野まで回送された。3輌のEF62はフル稼働、同じ団臨を軽井沢でカマ替えし、高崎へ別の団臨を迎えに行くこともあった。
御代田−平原 9.21
カウントダウンもあとわずか、バルブ撮影の合間の話題に、ついにEF63の疎開回送が登場した。画面左端に写っているトラも、今思えば、いい小道具になっている。
安中 9.27
秋の気配を感じると、この雲、この風景を思い出す。きっと、これからも…。
中軽井沢−軽井沢 9.28
旧客にマニを連結した短編成の団臨が、浅間山をバックに駆けていく。最後の週末は、秋の好天に迎えられた。
9.28 信濃追分−御代田
週末恒例の「さよなら碓氷峠号」も、この日が最後の運転。サイドライトの夕日が、いつまでも、名残を惜しむ。
9.28 磯部−安中
横川 10.2