奈良 済美地区社会福祉協議会
第362回 12月のご案内


日 時 12月22日(日) 午前9時 御霊神社(薬師堂町)集合 
行 先 興福寺南円堂と東大寺二月堂
★9:10出発  午前中に終わります。
★今月は、皆さまのご負担はありません。
★三月堂前「東大寺茶所」で大和がゆを召しあがって頂きます。

途中の小祠や謂れのある遺跡のお話
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中新屋辺りに、元興寺鐘楼があつた、毎夜鬼が現れて悪戯をして困っていた、ある夜元興寺の小僧が鐘楼で鬼を待つていて鬼と争った、夜明けになり鬼が逃げたので小僧は追った、現在の不審ヶ辻子(フジガズシ)町の辺りで鬼の姿が消えた、その辻子を不審ヶ辻子という、また奈良ホテルの小山を鬼が隠れた山「鬼薗(隠)山」(キオン)と呼ぶ、鐘に鬼の爪痕が残っている、現在の新薬師寺の鐘である。

今御門町(イマミカド)の道祖神(賽の神・博打の神・衝立の神)猿田彦を祀る、昔御霊神社の神と博打をして道祖神が負けたので、今御門町の氏子のみを残してもらって氏子全部取られた、破れ蚊帳まで質に入れたので毎年の9月7日の例祭に破れ蚊帳を型どったものを持った「蚊帳やぶれ」という神儀が行われる、境内に荒神と呼ばれる大石がある、勝負事に行く際この石を欠いて持っていると負けないと云われ勝負師が石を欠いたので各所が欠けている。

同じ今御門町の北、尾花谷川に架かる橋の袂に二基の常夜灯篭があり、明治2年3月吉日、大正9年再建とある上街道(上ツ道・長谷・伊勢街道)の起点出発点に当たるところから街道の道中安全を祈願して建てられたもの、また道祖神社も同じ意味に依る、猿田彦は天孫降臨の際の道案内を勤めた神として交通安全の守護神とされる。

昔帝の愛が薄れたのを歎き猿沢池に身を投げた妥女(ウネメ)がその後に祀られた妥女社が池恨めしと一夜のうちに社が池に背を向けた、また投身のとき衣を掛けた柳を衣掛柳(キヌカケ柳)とした噺は、誰もが知る、話には続がある、池に住んでいた龍神が死人で池が汚れたと春日山い移ったがここも人間が近づいて煩い(ウルサイ)と室生寺の龍穴に隠棲した、また中筋町の医者、宗仙が春日参りの帰途降ってきた霰が猿沢池に沈むのを見て「あられ酒」を考案、菊屋が製造し、大阪冬の陣のとき奈良に泊った家康に献上して有名になった。
「澄まず濁らず 魚七分に水三分」という不思議な案内話も今は昔の物語

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