奈良 済美地区社会福祉協議会
第363回 1月のご案内


日 時 1月12日(日) 午前9時 御霊神社(薬師堂町)集合 
行 先 興福寺南円堂と東大寺二月堂
★9:00出発  午前中に終わります。
★今月は、皆さまのご負担はありません。
★神奈備の千古不斧,原始の森深く春日奥の院から本社へ、例年に倣い初詣をします、この度は、あまり知られない隠れた古跡や伝説をご紹介いたします。
コース 御霊神社・・・・破石町(破石)・・・・安部晴明塚・・・・赤穂神社・・・・隔夜寺・・・・紀伊神社・・・・大国社・・・・若宮社・・・・春日大社(解散)
★本社の内拝殿にて参拝後ご神酒を頂きます
★解散後白藤の滝茶屋にて甘酒を召し上っていただきます

1破石(わりいし)  約2メートル立方の石が町名の由来になっている。
 奈良時代西大寺の心礎石を造る時、酒30余石この石にかけて割ったので破石という町名がついた。
 一説に藤原氏は東南、吉備氏は南西、安部氏は東北と三豪族の領域を石の表面溝で境界明示した、その境界石だという、石に触れると祟りがあると恐れられ云い伝えられているのは、動かすと境界が変わるのを防いだためではないか。
2晴明塚(せいめいつか)  ひと抱え程の石、数個無造作に積み重ねられていて傍らに大きな十三重の石塔と思われる、上半分と下半分が別々に不安定に立っている。
安部の晴明の遺髪塚か、供養塚であろう平安京は、一条堀川に住んだ陰陽師(おんみょうじ)が何故ここに、古書の記録に今はその昔陰陽師がここ高畑と紀寺付近に多数住んでいたとある。
 後に現在の陰陽町(いんぎょ町)に集められその町に17人がいたと記録されている、今も二軒存在する。陰瘍師が住んだことから陰瘍町の名となったのであろう。
 町の中程に天御中主神社(あめにみなかぬしじんじゃ)=鎮宅霊符神(ちんたくれいふしん)またその名を天御中主神というを祀る。
 この神は天地創造の神、陰陽師の信仰神で奈良教育大キャンパス内北西に小さな森がある、この森に霊符神坐すと恐れられ、晴明塚と森の中間に閼伽井庵があり、楠正成由来の霊符神像が祀られている、この庵はそろばんによる占いをされていてかつては多くの人達が訪れた。
 一蓮の関係から晴明塚の存在が頷けるのではないでしょうか。大学内塚は吉備塚と案内板にある。
 戦後進駐軍がキャンプとしたとき森を伐採しょうとしたその夜関係者が腹痛で苦しみその為恐れて取りやめになった話がある。
3赤穂神社  祭神 天児屋根尊、平安時代の記録にある古社、二月堂お水取り行法に全国の神々の名を 読誦される神明帳に赤穂明神の名があることから平安期には既にあつたのでは、この神域は幕末のころ数百坪あつた。 天武帝の御代十市皇女(といち)また氷上(ひがみ)の夫人赤穂に葬るとあるは、この辺り、また幕末にはこの辺り200戸の社家を形成していたと、神社絵図にある。近年天満宮,弁財天の社が併社されたと記録にある。
4隔夜寺  念仏踊りで佛教を広めた一遍上人が百日の長谷寺参りの際この寺に隔夜宿泊したことからその 名がついた、軒瓦それぞれにに一遍と名が刻まれている。


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