奈良 済美地区社会福祉協議会
第367回 5月のご案内


日 時   5月11日(日) 午前7時50分 JR奈良駅集合 
コース   JR奈良 E 8:17発〜六地蔵バス〜小野駅・・・歩く・・・観修寺・・・仏光院・・・宮道神社・・・随心院・・・
       醍醐寺(三宝院)バス=京阪六地蔵〜JR六地蔵〜中書島(乗り換え)〜丹波橋(乗り換え)近鉄〜奈良
運 賃   奈良(JR)〜六地蔵570円 六地蔵(バス)〜小野駅210円  醍醐(三宝院)〜(バス)京阪六地蔵210円 
                                              同上     〜(バス)JR六地蔵 210円
       京阪六地蔵〜近鉄連絡切符新田辺まで490円 奈良駅清算240円  計1、720円   
       JR六地蔵〜奈良570円                                 計1,560円
拝観料   観修寺 320円  随心院350円  三宝院400円  いずれも団体割引料金額です  計1,070円
食 堂   そば処1軒あり  雨天のとき弁当の場所ありません
歩行距離   約 3km. 
 
   ※  バス代・拝観料の小銭ご用意ください..   


観修寺(かんじゅうじ) 後醍醐天皇の母の御願により天皇等身大の千手観音を安置したのが起こり、天皇の外祖父の諡号を寺名とし、後伏見天皇の皇子が入寺されてから代々親王が住持、門跡寺となる。 その後戦乱の火災、秀吉の寺領縮小等で衰退、徳川氏によって再興、庭園の芝生が美しい、秀吉が醍醐の三宝院作庭にこの庭園の石を移したので320年前藤原様式により再造されたが現在の庭園。・
仏光院 昭和11年大石順教尼が身体障害者の更生施設を創設、昭和26年、ここ元観修寺塔頭の跡に建立したのがこの寺である。  順教尼は大阪堀江の芸者妻吉で、17才の時、養父の狂刃により6人斬り事件のまきぞえで両手を落とされ苦労の末、出家し被災者の追善供養をし、身体障害者救済に余生を送った。 口に咥え筆で書画を描き日展入選、昭和43年奇しくも受難と同じ日80才で入寂した。
宮道神社(みやじじんじゃ) 二所明神(日本武尊やまとたける・稚武王わかたけのみことを祀る。 観修寺の鎮守社
随心院(ずいしんいん) 正暦2年仁海僧正の建立、上人の母が牛に生れ変っている夢を見てその牛を探し求め養ったが死んだので皮をはぎ曼荼羅絵を描き、本尊としたので曼荼羅寺と称した。 五世がその寺の子房として建立したのが随心院、七世の時後白川天皇より門跡の宣旨を賜る。  本尊は如意輪観音、脇壇に小町の艶書で造られた小町文帳地蔵立像がある。  境内に小町の屋敷跡と化粧井戸、化粧橋、深草少将の通い路跡や小町えの多くの公家達の恋文塚がある。
三宝院 醍醐寺塔頭の一つで永久3年建立、門跡寺で醍醐寺の実権を有す。  山門(唐門)扉に五・七の太閤桐、左右に復弁十二葉の菊花紋を配す。 
醍醐寺 貞観16年理源大師が山上に准胝(じゅんてい)・如意輪観音を奉安したのが起りで山中に湧く醍醐水に因み寺名となった。  50年後釈迦堂(現金堂)を建立して上と下の醍醐の基礎が定まり、皇室、貴族、豊臣、徳川の寺領寄進により大寺となるが明治の廃仏令により多くの塔頭・子院が廃亡した。   慶長3年3月秀吉の盛大な花見の宴が山頂の千畳敷といわれる広場で設けられ、秀吉の権勢を天下に知らしめた、豊臣家一族多くの愛妾、家臣、全大名が参席し、絢爛豪華を極めたものであったという。  秀吉は、この為多くの桜を植え、亭や数奇屋を建てた。 同年この宴の後、間もなく亡くなった。 

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