奈良 済美地区社会福祉協議会
第371回 9月のご案内


日 時

9月14日(日) 午前7時50分 近鉄奈良駅地下集合

コース

奈良 8:18発京都行急行〜京都・バス乗場C 路線71・72・73〜蚕ノ社・・・歩く・・・木島神社・・・蚕ノ社バス〜有栖川・・・斎宮神社・・・車折神社・・・斎明神社・・・鹿王院・・・(嵐山にて昼食)・・・大井神社・・・小督塚・・・車折神社頓宮(琴聴橋・駒止橋の欄干、社前に保存あり)・架橋は社前の道路を横断する小川「現在道路下暗渠部分」)・・・嵐山(バス)〜京都(近鉄)〜奈良

運 賃

奈良(近鉄)〜京都(610円)往復1,220円 京都(バス)〜蚕ノ社220円蚕ノ社(バス)有栖川220円嵐山(バス)京都240円

拝観料(鹿王院)300円                                       合計2,200円

歩行距離

約 3km弱

食堂多数有り、弁当の方水筒・敷物お持ちください(大堰川畔にて)   但し雨天の時、場所なし

木島神社

(木島坐天照御魂神社
=このしまにますあまてるみたまじんしゃ)

祭神 天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)他四柱。遠方から眺めると木の島が浮ぶが如く見えるのでその名がある。  1,300年以前の創建、本殿の横右に保食神(うけもちのかみ=稲荷神・豊受の大神)と木花開耶姫(このはなさくやひめ)を祀る。この社を蚕の社といって木島神社の代名となっている。左末社の中に三井家の祖神顕名神社(あきなじんしゃ)あり、うしろに下鴨神社糺の森の元糺があってその池中に組石の神座があり、上に三方から遥拝できる珍しい三っ鳥居がある。  

 

 

斎宮神社(さいぐうじんしゃ) 皇女(斎王=神宮に奉仕される高貴な処女)が伊勢神宮に下向されるとき3年間精進潔斎をして禊ぎをされた旧跡に創祀された神社
車折神社(くるまさきじんじゃ)

平安末期当時双びなき儒者(じゅしゃ=儒学を修める者)清原頼業の墳墓地に祀る。後嵯峨天皇大堰川に御幸の際岩石の前で車を引く牛が倒れ轅(ながえ)が折れた、家臣が不審に思い調べると祠(ほこら)があった、祭神の怒りに触れたということで天皇は車折大明神の信号と正一位を贈られたとある、今も拝殿の前にその石が安置する。 末社の一つに天宇受売尊(あめのうずめのみこと)を祀る芸能神社、この地に因んで清少納言社がある、元社司で明治から大正時代の画家富岡鉄斎の筆塚と揮毫による神社碑がある。

 

斎明神社(神明神社) 祭神天照大神、文徳天皇皇女が斎王として嵯峨の野宮の篭られたとき、大神を祀って禊ぎされた旧跡、始めは天竜寺の鎮守社
鹿王院(ろくおういん) 足利義満の建立した宝幢寺(ほうとうじ)の塔頭で足利氏の衰退と火災により退廃、鹿王院のみ残った、嵐山の翠巒(すいらん)を望む三尊仏の石組を中心に苔むした庭園は見所 
曇華院(どんげいん)

足利義詮(よしあきら)の夫人の母が創建した通玄寺の塔頭、皇女の入寺により門跡寺(竹の御所)となる建物は禁門の変(蛤御門の変)に罹災、無住となったが明治に鹿王院塔頭を買収この地に再興された。、

大井神社 大堰川に堰を設けたとき治水の社として祀る。現在は倉稲魂尊(うがのみたまのみこと)=稲荷神をを祀る・
小督塚(こごうつか) 高倉天皇の寵愛を受け、皇后建礼門院の父平の清盛に睨まれ恐れをなして身を隠した住まいの跡
車折神社頓宮(とんぐう) 車折神社の三船祭(船遊)は、この社前大堰川で900年程昔、白川天皇行幸のとき川岸に行幸頓宮(仮御所)が設けられた跡、社の前にある二間程の石造の欄干は、渡月橋北詰(社の前)を南北に流れる小川(今は暗渠)に架かる橋の欄干で黒田節第2節にある駒を止め小督の弾く音を聴いた橋=琴聴橋、駒を止めた橋=駒止橋の遺物である。

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