奈良 済美地区社会福祉協議会
第373回11月のご案内
日 時 | 11月16日(日) 午前8時40分 近鉄奈良駅前バス停南側8番乗場集合 |
コース | 奈良 8:53発六条山行〜四条大路五丁目・・・歩く・・・尼ヶ辻地蔵堂・・伏見之崗・・垂仁天皇陵(田道間守墓=たじまもり)・・・・喜光寺・・・菅原神社・・・天神堀・・・八幡神社・・・西大寺奥の院・・・野上神社・・・十五所神社・・・西大寺・・・石落神社・・・近鉄西大寺駅〜奈良 |
費 用 | バス(近鉄奈良〜四条大路五丁目)180円 近鉄(西大寺〜奈良)200円 拝観料(西大寺1、000円(大茶盛拝服含む) |
歩行距離 | 約 3km強 |
弁当ご持参下さい・お茶あります 西大寺興正殿にて昼食 |
尼ヶ辻地蔵 |
殆んどの石仏の作期は明らかではないが、この像は鎌倉期で、左手に宝珠を持つのは一般的、然し右手に錫杖を持たないのは珍しい、錫杖を持つのは後期の作となることからこの像は、初期の作、鎌倉期といえるのでしょう |
伏見之崗(おか) | 東大寺大仏建立の時、老翁に化身の文殊菩薩が無言、無食でこの岡に3年間大仏の創建から開眼まで2度述6年に亘り臥し、開眼には鯖売り翁として現れ華厳会において読師をつとめた。 この崗は菩薩影向の霊地といわれる。 大仏建立の勅願から9年後の開眼である |
垂仁天皇陵 |
前方後円墳で周囲に陪塚が散在、特に池中の陪塚は田道間守(たじまもり)の墓という |
喜光寺 | 行基菩薩創建、伏見之翁との縁りある寺で菅原寺とも、また現金堂は、東大寺大仏殿の雛形として建立、従って試みの大仏殿ともいう |
菅原神社 | 天穂日命(あめのほひ)野見宿弥(のみのすくね)菅原道真を祭神とし、天穂日命は天照大神の子、他の祭神はその後裔、宿弥は快力の持主で埴輪(はにわ)でもって天皇の殉死に代えた功績により土師(はに)の臣(おみ)を賜り土師氏(はにし)となり菅原のこの地に住んで菅原氏となる |
天神堀 | 菅原道眞産湯(うぶゆ)の池とある |
八幡神社 | 誉田別命(ほんだわけ)=応神天皇 母、気長足媛(おきながたらし)=神功皇后 比売神(ひめ) 左殿は、玉依姫命(たまよりひめ)=神武天皇母 神社は奈良時代の創始、八幡神は僧形像、西大寺大茶盛由来の社であり、同寺の鎮守社 |
西大寺奥之院(法界体性院) | 西大寺中興の祖、興正菩薩叡尊の墓と周辺に代々の長老墓がある 本堂に興正菩薩叡尊の座像安置されている |
野上神社
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別雷神を祀る、大正3年十五所神社に合祀されたが、近年付近住民により再祀された |
十五所神社 | 西大寺の鎮守、西大寺創建当時に祭祀、現在十六神を祀る |
西大寺 | 称徳天皇の勅願、天平神護元年創建、再三の火災により殆んど焼失、鎌倉時代興正菩薩叡尊により再興された、東の大寺(おおてら)、東大寺に対し、西の大寺(おおてら)として建立、東大寺同様国寺(こくじ)であった、今はないが当初西大寺創建時は、東大寺同様七重の塔の計画であつたが途中五重塔に変更された、東西二塔があつたがいまは、東の礎石のみが残る
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石落神社 | 石落神祀るとあるが、西大寺の鎮守社で東塔建立のとき心礎の石、破却の際、欠け石がそのまま道に敷かれ、時の天皇、称徳天皇がその後病気に患られ、誰言うとなく石の祟りだとの噂が広がりその道に敷かれた石を祀ったのがこの社の起りである |