奈良 済美地区社会福祉協議会
第374回12月のご案内


日 時

12月21日(日) 午前9時 御霊神社(地域の氏神社)集合

コース

9:15出発・・歩く・・・俊寛塚・・・菩提院(大御堂)・・・御髪塔・・・2月堂(解散)

費 用

今月はご負担ありません 

歩行距離

3Km(帰路大仏前からバスとして)

午前中に終わります。 解散後三月堂下の絵馬堂茶屋で「大和がゆ」をご賞味いただきます

俊寛塚

京都鹿ヶ谷(ししがたに)で密かに平家滅亡の談合をしたとき捕えられ、九州の鬼界島(きかいじま)に流された俊寛僧都が、密かに助けられ、興福寺の興善院に隠れ住んだこの地は、終焉の地、興善院は若き日俊寛が勉学したところ

菩提院(本堂 大御堂)

正親町(おおぎまち)天皇の建立、本尊阿弥陀如来坐像、脇に三作の死後49日目に三作の墓の上に出現した稚児観音が安置されている。 境内に三作石子詰(墓)あり。 墓上に次世は、命長かれとの母の願いの石亀と永遠の供養の供花とした楓が墓前に、植えられている、また「あけの7つと暮れ6つに鐘を撞く」三作供養の釣鐘十三鐘が有名。 供養の楓は、鹿に紅葉の由来である

御髪塔(おはつとう)

東大寺釣鐘を堂に吊るすため多くの女性の髪の毛が使用された、使用後供養のため毛髪を埋められた塚、その上に供養塔十三重石塔が建立されている

二月堂 奈良時代天平勝宝4年高謙天皇の御代1,250年前東大寺の実忠和尚が創建した、現在の建物は334年前江戸時代初期の再建、本尊十一面観音、修二会(お水取り)は、実忠が創始者である

飯道神社(いいどう又は、はんどう)

      二月堂南側手水屋後石段上

祭神いざなみの尊・速玉男尊・事解男尊を祀る、熊野本宮より勧請とある。お水取りの勧神、神社の名前から食堂(咽)の神様として信仰がある  

 

 

 

 

 

 

 

 

 
   
 

 

 

   

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