奈良 済美地区社会福祉協議会
第376回2004年2月のご案内


日 時

2月15日(日) 午前9時 近鉄奈良駅集合

コース

奈良9:16発{急行難波行}ー西大寺9;24発ー郡山・・・歩く・・・郡山城跡・・・柳沢神社・・・鎌足神社・・・荒木又右衛門道場跡{屋敷跡}・・・大納言塚・・・永慶寺・・・浦上切支丹流配の碑・・・源九郎稲荷神社・・・薬園八幡神社・・・外堀公園・・・JR郡山ー奈良

費 用

近鉄奈良〜郡山250円 JR郡山〜奈良160円  計410円 

歩行距離

3Km弱                                                     

食 事 西友ストア 5F 食堂街にて  弁当の方三の丸会館ロビーで {お茶ありません}

郡山城跡

 (柳沢神社)

古くは筒井順慶、桃山期は豊臣秀長百万石、江戸時代、中期以降は柳沢15万石の居城
天主閣の規模 幾層であつたか記録一切ないので不明

先祖 吉保を祀る 天主台石垣のさかさ地蔵が有名

鎌足神社

藤原鎌足を祀る 神社氏子の猛反対にも拘わらず秀長が郡山城の鎮守として淡山神社の影像を城の東方小丘に移し新多武峯大識冠宮とした 秀長の死後 家康の命により後に元の多武峯に戻されたが その後も社としては残されて 250年前この地に移された このあたりを大識冠として地名にその名をとどめる 

荒木又右衛門道場跡

郡山藩本田家の指南役として召し抱えられていた当時の屋敷跡{道場跡}で今は表黒門が当時のものとして唯一残る

大納言塚

秀吉の義弟 郡山城主 大納言 豊臣秀長の墓 

その墓の東側に俳人の鬼貫「おにつら」を詠んだ句碑がある その場所は鬼貫の屋敷跡であることが句のなかに伺える

永慶寺

柳沢吉保が甲斐の国甲府の城主のとき甲府に菩提寺として創建 その子吉里の時代幕府から大和郡山に国替を命じられたとき寺をここに移転 山門は秀長居城の南門を移したもの

浦上切支丹流配の碑

明治2年長崎浦上のキリスト教信者3,416名が新政府に捕えられ 名古屋以西の各藩に流配 郡山藩に76名預けられた この碑はその内4名の墓碑です 郡山は柳沢藩主の配慮により情けある待遇を受けたとある

源九郎稲荷神社

秀長築城の時城の守護神として吉野川畔{大淀町}にあつたのを城内に遷座 その後280年余前ここに移された 天智天皇の御代大伴氏と平郡氏が戦つた時この稲荷神が白狐を遣わし平定につとめた また源義経の重臣佐藤忠信の化け義経の愛妾静御前を無事義経に送り届けたことにより義経から源九郎の名が贈られたのが社名の由来である

薬園八幡神社

祭神 応神天皇・比盗_{ひめがみ} 奈良時代東大寺の八幡を勧請 このあたりは東大寺の荘園であり平城京の薬草園であつた

外堀公園 郡山城に残る外堀の一部を近年公園化したもの
{参考」

浦上切支丹流配の地 雲幻禅寺は外堀公園北200mのところにある 現在は良幻禅寺という 郡山城主 本多家の菩提寺で城主及び一族の墓石等近年発掘された

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