奈良 済美地区社会福祉協議会
第377回
2004年3月のご案内
日 時 | 3月14日(日) 午前7時50分 近鉄奈良駅集合 |
コース | 奈良B8:18発{急行京都行}ー丹波橋(乗換)ー七条・・・歩く・・・蓮華王院南大門・・・(法住寺)・・・(御白河法皇陵)・・・(養源院)・・・蓮華王院・・・(十三重石塔)・・・豊国神社・・・方広寺・・・耳塚・鼻塚・・・専定寺・・・三島神社・・・新日吉神宮・・・豊国廟・・・妙法院・・・京阪七条駅ー丹波橋(乗換)−奈良 |
費 用 | 運賃 奈良〜京阪七条740円 往復1、440円 拝観料(団体) 蓮華王院550円妙法院550円 ○ 小銭ご用意ください |
歩行距離 | 3Km弱 |
食 事 | 食堂あります 弁当の方神社境内にて、お茶ご持参ください ただし雨の日は場所ありません |
蓮華王院南大門(れんげおういん) |
桃山時代豊臣秀頼の建立 |
法住寺(ほうじゅうじ) | 後白河天皇陵守護のため建立、赤穂義士47の像安置されている |
養源院(ようげんいん) |
淀君が父浅井長政の追善のため建立、火災後 妹、徳川2代将軍秀忠夫人の再興により徳川菩提所となった。 伏見城の血天井がある |
蓮華王院(三十三間堂) (夜泣き地蔵・夜泣き井戸が境内にある)
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妙法院の仏堂、御白河上皇の法住寺殿御所内仏堂で1千1体千手千眼観音安置、平清盛の造営、通し矢が有名 毎夜井戸が鳴動したので傍に地蔵尊を安置すると止んだ |
十三重石塔(二基) |
高さ6m 源義経の臣 佐藤継信・忠信兄弟の墓碑 |
豊国神社(とよくにまたはほうこく)
(お馬塚 本殿背後にあり) |
祭神秀吉 徳川家康のより社殿は取り払われ、明治政府により再興 唐門は伏見城の遺構、門前左右の八基の石灯篭は諸大名の奉献 幕府に隠れて密かに京都の民衆が建立した追悼碑 |
方広寺(ほうこうじ) 大仏殿 |
秀吉が東大寺にならい高さ16丈の木造大仏を建立、その後地震、雷火。失火のため7回も建立、焼失、倒壊を繰り返した豊臣家滅亡の因となった銅鐘は今もある 高さ4,5m 口径2,8m 重さ8,3m 300mに及ぶ大石の石垣は見事で2間に4間の巨石があり、なかでも巨石は加賀藩前田公の献石泣き石が見応えある |
耳・鼻塚 | 征韓の役の首級の代りに耳・鼻をそぎ塩漬にし本国に持ち帰ったのを供養のため土中に埋めた所、また一説には大仏の鋳型の土を埋め御影塚(みえつか)としたのを耳と間違えて伝わったとも言われる |
専定寺(せんじようじ) | 専定という旅僧が松の下で「熊谷蓮生坊の往生を二羽の烏が知らせた所、烏は熊野権現であった、この地を霊地とみて専定は、ここに草庵を結んだのが起こり |
三島神社 | 祭神は大山祇神他三神 祈願により後の高倉天皇出産しお礼に勧請された社、また安徳天皇出産祈願の社でもある |
新日吉神宮(いまひえ) 木下社(このした) |
大津の日吉社より勧請され家康が豊国廟参詣の妨害を目的に今熊野より移建した 明治に参道より社は後退移建された 木下藤吉郎秀吉を祀る
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豊国廟(とよくに又はほうこくびょう)
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秀吉の遺言によりここに埋葬、造営された 豊臣家滅亡後家康が破壊し300年間荒廃していたのを明治に修築された 秀頼の子国松丸と秀吉の側室松丸殿の墓がある |
妙法院(新日吉門跡 いまひえもんせき) | 元比叡山西塔にあった子院で祇園に移建京に進出、400年前この地に移された 豊臣家親縁の寺院で蓮華王院(三十三間堂)の本寺 |