奈良 済美地区社会福祉協議会
第380回

2004年6月のご案内


日 時

6月13日(日) 午前7時50分集合 近鉄奈良駅集合

コース

奈良8:18発(急行京都行)ー竹田「乗換・地下鉄」−御池・・歩く・・頂法寺・・・御所八幡・・・弁慶石・・・本能寺・・・天性寺・・・金剛寺・・・瑞泉寺・・・誠心院・・・永福寺・・・安養寺・・・善長寺・・・新京極四条ーバスー京都ー「近鉄」−奈良

費 用

運賃 近鉄奈良〜(京都地下鉄)〜京都御池840円 バス新京極四条〜京都駅220円 近鉄京都〜奈良610円    計1,670円

今月は拝観料なし        ※ バス代小銭ご用意下さい。

歩行距離

2.5Km

食 事

各種食堂多い、 コンビ二有り
弁当の方は鴨川の三条河原又は、高瀬川畔で。 雨天の時は三条大橋下で出来ないことは、ありません


六角堂(頂法寺)

西国十八番札所、聖徳太子が難波の四天王寺建立の用材求めた地で太子の念持仏如意輪観音の夢告により小堂を建立したのが起こり、太子に随行した小野妹子は、本尊守護を太子に命じられ佛に供花の役を勤めたのが基が華道の起りになり太子浴水の池の畔に住坊を構えたので「池の坊」とし、子孫に伝承されたのが今日の華道池の坊家元である。

(太子水浴の池址)は、現在庭園池として改修されている。

(へそ石)直経45cmの伽藍礎石か灯篭の台石か又近年発堀された昔の六角堂礎石か、近年出土した石が近くにある。この石は元六角堂門前の道の中央にあったが京都中央にある所から「へそ石」と云い六角型で中央に小さな穴がある。

御所八幡 祭神応神天皇、母神功皇后、御所内裏焼失の時、御宇陀天皇が一時内裏とした所、その鎮守として石清水八幡宮神を勧請、その後足利氏の高倉殿の地となり、当八幡宮をその鎮守社ともなった

弁慶石

弁慶石町の路傍に青味の岩石があり弁慶の死後奥州高館(たかだち)にあった弁慶遺愛の石「京の京極に帰りたい」と鳴動、また熱病が流行したので京の京極に帰された。一説に鞍馬口にあった弁慶腰掛け石が鴨川の氾濫でここに流されたとの説もある。

本能寺

元広大な寺で信長が京の仮宿所の時、光秀によって信長自刃した「本能寺の変」で有名になった寺

天性寺

中将姫追慕のため建立、同墓地に供養塔がある。

矢田寺(金剛寺)

大和矢田山金剛寺の別院、本尊地蔵菩薩像は火炎を背に高さ2mの立像、開祖満慶(満米)上人が冥土で出会った生身の地蔵を写して刻まれたと云い伝わる。六道珍王寺の迎え鐘と合わせここは送り鐘で有名

瑞泉寺

秀吉の甥秀次一族の墓、秀次は、高野山で秀吉に自刃を命じられその一族、妻妾・子供等三条河原で斬首され、河原の穴に埋められ土盛の上に秀次の首が曝されその後そこに埋葬されたのがこの場所である。

誠心院(じょうしんいん」

一条天皇の皇后上東門院の内侍和泉式部が晩年式部の為に建立された庵(小御堂)が起り、境内に巨大な石造ほうきょういん塔がある。
蛸薬師(妙心寺の別院) 永副寺の僧親孝行善光の母の願に蛸を買ったが薬師如来の助けにより薬師経に変っていた病母は、その後投薬なしに全快した
安養寺 逆さ蓮華で有名。 瘡神地蔵として子供の疱瘡平癒祈願の信仰がある。

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