奈良 済美地区社会福祉協議会
第386回

2004年12月のご案内


日 時

 

12月26日(日) 午前9時 御霊神社集合

コース

御霊神社出発・・・歩く・・・餅飯殿町(宗像神社・大師堂)・・・橋本町(樽井・手力雄神社・・・三重塔(窪の弁財天社跡・摩利支天石)・・・南円堂・・・興福寺(宝蔵院跡)・・・二月堂(解散)

費 用

なし

歩行距離

3Km弱  

その他

昼頃終ります、二月堂へは三三五五ご自由に参詣下さい。 東大寺絵馬堂茶屋にて大和粥を食して頂きます。


宗像神社(むなかた)

藤原氏の北家、冬嗣が南円堂建立の際、弘法大師が興福寺に吉野天川村の天河弁財天を勧請した時この町にも8つの弁財天を勧請したとある。 大師が高野山を開くとき天河弁財天に千日参篭した縁によるもの。

理源大師堂

醐醐寺の開祖理源が東大寺に修学していた時大峯山に入峯修業するに際し、餅飯殿の箱屋勘兵衛他数人が随行、天川村人が先達を勤めた。その因縁から尊像を安置した、成就の時餅飯の御祝をさしあげたことから、大師の礼状に「餅飯の殿へ参る」とある。これが餅飯殿の町名由来となつた。 また大峯に入る時大師の通行道を整備したことから明治まで大峯の鍵を預かることになり、全国最初の山上講(餅飯殿講)が出来盛時には100人を越える盛況ぶりであつた。 理源大師像の他役の小角(えんのこづぬ)行者像・千体地蔵(長さ30cm程の鉛筆のような木に地蔵を彫り千本が小さな箱に納まっている)傍に箱屋勘兵衛の霊位祀る。

樽井(弘法井) 弘法大師が橋本町に井戸を掘つたが水量不足で更に樽井町に掘つたので足(たるい)または南円堂の神水がこの井戸に垂れことから垂井また、その水で僧が酒を造つたことから樽井となつた。 これが町名に由来である。
窪の弁財天 弘法大師が天河弁財天をこの窪地に勘請した。現在は三重塔に祀られているが当初三重塔北側に小祠があつたようだ。いまは小さな窪弁財天と言つた石柱二本とその間に低い二段程巾50cm程の石段が残つている、その北側が社のあつた場所とおもわれる。
摩利支天石(まりしてん)」 三重塔北東向い側に1m四方の丸みのある石が霊石で摩利支天石の銘がある。宝蔵院流槍術の胤栄(いんえい)の守り本尊で元は菩提町石崎医院の邸内にあつたが近年宝蔵院保存会がここに移した。因に宝蔵院は国立博物館西北角県庁前交差点東南向い角である。

 

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