奈良 済美地区社会福祉協議会
第388回
2005年2月のご案内
日 時 | 2月20日(日) 午前8時40分 JR奈良駅集合 |
コース | JR奈良駅9:00発ー快速ー久宝寺・・・歩く・・・太川神社・・・大聖勝軍寺・・・守屋池・・・守屋墓・・・鏑矢塚・・・弓代塚・・・樟本神社(北)・・・舟板壁蔵・・・平野川船使い場・・・樟本神社(南)・・・樟本神社(1丁目)・・・光漣寺(稲城跡)・・・地下鉄八尾南駅ー天王寺ーJRー奈良 |
費 用 | JR奈良〜久宝寺450円 地下鉄八尾南駅〜天王寺270円 JR天王寺〜奈良450円 計1,170円 |
歩行距離 | 3Km弱 |
食 事 | 売店・食堂なし 弁当・お茶・敷物ご持参ください |
太川神社 |
素戔鳴尊・保食神を祭神とし、将軍寺の守護社 |
大聖将軍寺 |
聖徳太子 植髪像が太子堂(本堂)に安置 椋の木の太子作 太子建立の寺 太子堂・下の太子・椋の木寺等とも呼ばれる |
(毘沙門堂」 | 太子作の毘沙門天安置、戦功のあつた信貴山毘沙門天をまつる |
(椋の大木) | 敗戦の時この木の洞に太子は隠れて助かつた |
(馬啼石)「ばていせき」 | 太子の愛馬の啼址「ひずめあと」がある 戦勝の遺跡としたのであろう |
(将軍鐘) | 楠公引き摺りの鐘という 正成が陣鐘として使つた釣鐘「現在は泉南の道教寺にある」 |
(四天王堂) | 太子の四天王と呼ばれる四大臣(迹見「ちみ」・秦「はた」・蘇我「そが」・小野「おの)の頭にそれぞれの四天王を乗せ戦わせた時の像である その太子作の四天王を安置 |
守屋池「もりや」 | 物部守屋「もののべのもりや」の首洗い池 |
鏑矢塚「かぶらや」 | 迹見赤梼「とみのちび」が放つた鏑「かぶら」矢が樹上にいた守屋を射抜き矢が落ちた所 鏑矢が埋められている塚 |
弓代塚「ゆみしろ」 | 迹見赤梼が矢を射た場所(矢の発箭地)弓が埋められている |
舟板壁の蔵 | 江戸時代柏原から難波へ物資を運搬した船の船板を土蔵の壁に貼られている珍しいもの |
柏原船使い場 | 平野川の運搬船、八尾(木の本)の船着場(荷上場)近年復元された |
樟本神社「くすもとじんじゃ」(三座ー三社あり) | 物部氏の祖神(氏神) にぎはやひめを祀る稲城「いなき」の近くに樟「くす」木があつたことから樟の元の意味で社名となり付近を木の本(元)という |
(北木の本にある社) | 祭神 にぎはやひめ |
(南木の本にある社) | 祭神布都大神 境内に太子作の薬師如来を本尊とした日羅寺がある 今はないが木の本町にはこの寺の他多くの寺があつたこれらの寺は元将軍寺の一院で将軍寺は大寺であつたことが伺える |
(一丁目にある社) | 稲城の守護社(神)として創建 この社は三社の内始めに創建された社ではないかと思える 境内も建造物も最も大きな立派な社殿である |
光漣寺 | 浄土真宗・一向衆の寺院としては大名と大寺との争いが全国各地で起り1向衆として名を馳せた 城としての考えから城郭「じょうかく」のような構えで櫓「やぐら」が威容な傾がある 守屋が戦いに備えて稲城はこの地に築かれた 寺の門前の碑に稲城址とある 木の本の地名になつた樟がこの稲城の近くにあつたので稲城を橦本城「くすもとじょう」といつた |