奈良 済美地区社会福祉協議会
第393回

2005年7月のご案内

日 時

7月10日(日) 午前8時 近鉄奈良駅地下集合

コース

奈良駅8:18発−(急行)−京都−(バス乗場D2・バスNO・50−上七軒・・歩く・・大報恩寺・・・浄土院・・・軽女墓(上善寺墓地)・・・淨福寺・・・聚楽第跡・・・名和長年遺蹟・・・一条戻り橋・・・武者小路千家・・・霊光殿天満宮・・・護王神社・・・菅原院天満宮・・・烏丸丸太町駅−(地下鉄・近鉄)−奈良

費 用

交通費
近鉄 奈良駅〜京都610円
バス 京都〜上七件220円
地下鉄・近鉄  烏丸丸田町駅〜奈良駅840円
合計1670円

歩行距離 3.5km

食事 食堂あります。弁当の売店なし。雨天の日は弁当の場所はありません。




大報恩寺(千本釈迦堂)

清涼寺(嵯峨釈迦堂)と共に釈迦を祀るところから昔は釈迦信仰の中心になっていた寺、比叡山の僧求法上人が小堂を建て、一仏十弟子像を安置したのが起り。上人は母が薬師如来に祈りをして日輪を呑む夢を見て懐妊して生れた子供との説話がある。その後摂津の国の材木商の木材提供があって大堂が完成した。現在の本堂は鎌倉期の遺構、京都では最古の建物

(おかめ塚)本堂創建に際し大工の棟梁高次の失敗で創建不能となった時、妻かめの機知によって完成上棟に先立って自害した亀女の供養塚。

浄土院

秀吉が北野の大茶会に出向いた途中当寺に立ち寄りお茶会を所望したところ、何回所望しても白湯ばかり出されたので「湯たく山茶くれん寺」と呼ばれ、それが寺号となった。

軽女墓 上善寺墓地内に勘平の妻・一力茶屋の遊女おかるの墓(モデルになった娘)
淨福寺

興福寺の僧賢憬が唐より将来した釈迦如来を安置したのが起り。東門(赤門)は天正期(足利時代末期)のもので当寺では一番古い建物で一般に赤門寺と呼ばれている。

聚楽第址

秀吉の京の邸宅。二条城より一周り大きく堀を囲らし壮麗を極め東西600m南北700m。東は大宮通、西は千本通まで一条通から南へ下建売まで
名和長年 足利尊氏と戦って戦死した戦没地。長年の長に因んで「チョウ塚」といわれた

霊光殿天満宮

道真が九州に流される時、途中河内に立ち寄った地に菅公の6世孫菅原定義創祀した社でその後転々と移り現在の地に落ち着いた。天満宮霊地十ヶ所の一つである。

護王神社

和気清麻呂と姉の広虫を祀る。その他清麻呂と関係深い藤原百川・路豊永を配祀。当初神護寺境内に寺の守護社としてあり、明治にこの地に移った。孝明天皇が神号を授けられたのが社名となった。

菅原天満宮 菅公の生誕地、元、歓喜光寺の守護社で明治に寺は他へ移された。菅公生湯の井戸が境内北側にある。

もどる