奈良 済美地区社会福祉協議会
第395回
2005年9月のご案内
日 時 | 9月11日(日) 午前8時00分 近鉄奈良駅地下集合 |
コース | 奈良駅C8:18発−(急行)ー京都CD9:20発−(JR明石)ー長岡京−(バス)−光明寺行き薬師堂前下車・・・(歩く)・・・乙訓寺・・・角宮神社・・・向日神社・・・石塔寺・・・南真経寺・・・長岡京大極殿址・・・北真経寺・・・西向日−(阪急)−東向日向日町−(JR)−京都・・(近鉄)・・奈良 |
費 用 | 交通費 |
乙訓寺(おとくに) |
飛鳥時代推古天皇請願、聖徳太子開創、桓武天皇の弟早良親王淡路に流される途、一時幽閉された寺で弘法大師も別当を勤めた。応仁の乱で焼失、桂昌院の援助で再興1300年の歴史がある古刹、弘法大師と八幡大菩薩を合体の太子像を本尊とし、長谷観音を模した十一面観音を脇侍とする。 |
角宮(すみのみや)神社 |
鴨健角身(かものたけつぬみ)命(火雷神「ほのいかづちのかみ」)と玉依姫(たまよりひめ)を祀る。祭神の一字「角」の字に因んで社の名となる。730年前向日社に合祀。近年旧地に再祀された奈良時代の創建と伝えられる。 |
向日(むこう)神社 | 1300年前の創祀向日神(御歳神「おうとしがみ」)と神武天皇、火雷神、玉依姫の四座を祀る、火雷神と玉依姫は角社から730年前合祀。祭日には角社がお旅所となり、角社は下社、向日社は上社という。 |
石塔寺(せきとうじ) | 日像上人の開山、上人の京七口の法華経石塔婆の一つ、後に日成上人が塔婆の傍らに一宇を建て、石塔寺と名付けたのが始め。 |
南真経寺(しんきょうじ〉 | 京都六檀林の一つ。江戸初期僧の講学所と地元鶏冠井村(かいでむら)村民の信仰の場として寺が二分され、ここ南真経寺を鶏冠山(けいかんざん)と号し村民の信仰の場となった。真経寺は日蓮宗弘通(ぐずう)最初の寺である。 |
長岡京大極殿址(蹟地) | 東西4km南北5km。宮地は東西1km南北1.6km。約10年間の都。日夜工事は進められ造営事務を担当した藤原種継が暗殺され、不祥事が連続早良親王の祟りと云われたこともあって都は完成見ずして平安に都は遷された。世に幻の都という。この碑地は宮中小安殿址(天皇の執務される宮)。恒武帝皇后はこの都で崩御、陵は東北700mの竹薮内にある。 |
北真経寺 | 鶏冠井山(かいでざん)と号し、僧徒の講学所であるため、多くの学舎が建ち並んでいたが、明治初め檀林廃止され建物の多くを失った南北両寺共、江戸初期の建物である。 |