奈良 済美地区社会福祉協議会
第398回

2005年12月のご案内

寒くなりました、気忙しい師走の最中、ご多忙な日々をお過ごしのことと存じます。
この一年無事息災に過ごさせて頂きました喜びに、感謝のお礼と新年を迎えるにあたり、
幸多き佳き年でありますよう、例年に倣い観音様詣でを致します。  

日 時

12月25日(日) 午前9時 御霊神社へ集合

コース

御霊神社(9時10分出発)…南市・元林院町…南円堂…二月堂(解散)

費 用

交通費 無し

拝観料 無し

歩行距離  3km以内  午前中に終わります。

三月堂下、東大寺絵馬堂にて「大和粥」ご賞味頂きます。  二月堂へは各自ご参詣ください。




南市町・元林院町

由来とその町に在る社やありし昔の色里の面影残す跡、この町は興福寺、元興寺の一院がそれぞれにあった寺域で元林院はその地名に南市は江戸中期以前に市(市場)のあったところから町の名となった。現在奈良市内の5箇所に市の名が残る。

(四室神社・ヨノムロ神社) 春日大社第4殿の比売大神を祀る。この社の由緒年代は詳らかでない。
(恵比須神社) 春日大社の末社で大社の管理、1月5日の恵比須さん(祭)に春日大社が祭を司るが吉兆笹の販売は町が、その収入は町の収益になる。祭神は事代主とある。由緒は市場の神として祀ったのが今に残る。
(絵屋橋) 昔、春日の絵師が橋の袂に住んでいたことからその名がついたのであろうと文書(もんじょ)にある。
(四室辻子・ヨノムロズシと芸妓温習会館跡) 町の中頃に餅飯殿通りに通じる細い路地(小路)がある、神社に因んで付けられた。その路地を辻子と言い、辻子とは道幅の狭い道で奈良7辻子の一つである。その中頃北側に芸妓連の一年に一度開かれる芸者の芸の競演会場、温習会館があった。
(芸者町南市・元林院、界隈) 元林院は甲種の芸者町で相当古く最盛期の昭和中頃には、置屋16軒、芸妓200名また、南市は乙種でやはり最盛期は置屋10数軒、芸妓50名で酌人(やとな)さんさんと呼ばれた。元林院町は常に三味線の音が流れ、太鼓持ちや芸妓見習のおちょぼがいた。この付近は小料理屋、お茶屋、料亭、うどん屋、飲み屋、寄席、映画館等、色町として、また、繁華街として賑わった町であった。江戸時代芸妓の事で郡山藩と奈良奉行所が争った末一時芸妓が廃止された事もあったそうな、また、木辻町の遊郭は興福寺の茶店として茶酌女が春を売ることになり女郎屋の発祥地がここと言う。

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