奈良 済美地区社会福祉協議会
第403回

2006年5月のご案内

鯉のぼりの銀鱗が薫風の空の下その雄雄しさ覚える季節、
南山城の古刹、甘奈備山の麓、京大徳寺派、通称一休寺周辺を訪ねます、
また仁徳天皇の后磐之媛が涙した終焉の地筒城の宮を尋ねます

日 時

5月14日(日) 午前8時 近鉄奈良駅地下集合

コース

近鉄奈良駅C番乗場8時18分発〜(急行・京都行き)〜新田辺…徒歩…棚倉孫神社…一休寺…JR京田辺…同志社前…徒歩…筒城宮址…近鉄興土…奈良 (参考)帰路同志社前から木津経由JR利用も可

料金

奈良〜(近鉄)〜新田辺390円 JR京田辺〜同志社前140円 興土〜(近鉄)〜奈良340円 合計870円 他に一休寺拝観料(団体)450円

歩行距離

2.5km 

食事

レストラン数軒あり、弁当ご持参の方敷物・お茶ご用意を。※雨天の日は神社絵馬堂にて食事しますが、出来るだけレストランご利用をおすすめします。




棚倉孫神社(たなくらひこ)

 棚倉とは、穀物倉庫、また養蚕小屋のこと、湿気を防ぐため、棚を内部に設けたことからで、後のそれを神格化したのが神社の始め、また山の斜面地の平らな低い土地のことを指す。
 祭神は天香語山命(あめのかごやまのみこと)とも高倉下命(たかくらじのみこと)また手栗彦命(てなくりひこのみこと)とも、手栗がなまって棚倉となったとの説も、祭神と創始年代が不明。奈良時代には存在したのでは、記録により伺い知ることから、秋祭りには26種類の穀物、野菜で装飾した瑞饋神輿(ずいきみこし)という神輿が町内を練る。
 瑞饋の飾りは2年毎に新しく取り替えられる。この瑞饋とは穀物の倉が神格化した関係もあるのではと考えられる。絵馬道に88才の祝いに奉納された升掛額絵馬が多くある、これも穀物に影響するものと考えられる。

酬恩庵(しゅうおんあん)・通称 一休寺 京の紫の大徳寺派の寺で一休禅師が晩年隠棲したことから一休寺と呼ばれ、創建は鎌倉時代、兵火で荒廃していたため一休が再興した、88才でこの寺で没し、現在の建物は一部を残し桃山時代加賀の前田家が修復再建した
(本堂)室町の建立
(開山堂) この寺を開いた大応国師の像が安置されている
(方丈)中興の祖一休の座像が安置、三つの額文字は総て一休の筆
(虎丘庵)こきゅうあん 一休の住坊址
(宗純王廟)そうじゅんおうびょう 82才の時自ら建立、自廟となっている(宮内庁の管理管轄)
(薪能金春芝跡)金春禅竹が一休に猿楽を演じて観覧に供した所(惣門前)
筒城宮(つつきのみや) 同志社大田辺分校敷地内にあり、仁徳天皇皇后盤之媛が紀州へ旅行中、天皇が浮気をされたことからこの地に別居、5年間別居生活の末ここで崩じられた。継体天皇が7年間山城の筒城に遷都した記録からこの辺りであろうとされている。

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