奈良 済美地区社会福祉協議会
第415回

2007年5月のご案内

初夏の薫風空を泳ぐ季節となり今年は春も足早に去りました。日本書紀や古事記の舞台として堺は百舌野、
今も50の指に数える数々の古墳、日本有数の古墳群、散在する古墳、古社寺を訪ねますご参加下さい。

日 時

5月13日(日) 午前7時50分 JR奈良駅集合

コース

JR奈良《@8:15発》…JR…天王寺《F9:15発普通》…JR…百舌鳥…歩く…百舌鳥八幡宮…仁徳天皇陵…大仙公園(日本庭園)…履中天皇陵…上野芝…JR…鳳…歩く…大鳥大社…歩く…鳳…JR…三国ヶ丘…南海…堺東…歩く…方違神社…反正天皇陵…堺東…南海…なんば…近鉄…奈良

料金

運賃 : 合計2,000円 【詳細は以下の通りです】
奈良〜(JR780円)〜百舌鳥、上野芝〜(JR120円)〜鳳〜(JR160円)〜三国ヶ丘〜(南海150円)〜堺東〜(南海250円)〜なんば〜(近鉄540円)〜奈良

日本庭園入園料 : 160円 (団体料金)

●日本庭園入園料60才以上無料 但し年齢を証明するもの持参ください。

歩行距離

4km余

食事

弁当・水筒持参下さい。 飲食店ありません。




百舌鳥八幡宮

(もずはちまんぐう)

応神天皇・神功皇后・仲哀天皇を主神とし、春日・住吉大神を配祀、神功皇后外征の帰途、永久の天下泰平を祈願この地を万代(もず)とし、斎(し)き祀られた。『 ※斎(し)き祀られたとは、潔斎し祀られたこと』 光明皇后の発願によって僧行基が開基、約1,260年前石清水八幡宮の別宮として同宮の荘園であったとの記録がある。

仁徳天皇陵

陵の長さ480m、巾305m、世界三大陵墓の一つ、三重の周濠を含めると東西656m、南北793m、周囲2,718m面積14万1千余坪生前天皇67才の時ここに行幸、自分の墳墓を定め直ちに工事を着手、20年後87才で亡くなった。築造中鹿が草むらから走り出て倒れた、すると耳の中から百舌鳥が飛び出したので調べてみると、鹿の耳の中が喰いさかれていた。そのことからこの地を百舌鳥耳原と名付けられた古事記にある。

参考:世界三大陵墓とは、中国秦の始皇帝陵、エジプトのピラミッド、とここ仁徳陵である。

大仙公園(日本庭園) 公園の広さ42,652坪、緑地と種々の施設がある。日本庭園、大規模な茶室、図書館、博物館、自転車博物館、観光案内所、遊園地等があり、堺市政100年記念事業として造られた。日本庭園の広さは7,865坪、日本の庭園、渓流や池瀧、中国風建物や日本式建造物の中に四季の草木等見事な庭園。

履中天皇陵

(りちゅうてんのうりょう)

仁徳天皇第一皇子陵、規模は仁徳陵の約5分の1、

大鳥大社

(おおとりたいしゃ)

祭神、日本武尊(やまとたけるのみこと)、伊勢能褒野(のぼの・現八日市)で薨去(むきょ・みまかられること)、白鳥と化して大和御所に飛来再び飛び立ち、ここが最後の飛来地、1,850年前社が建てられたとある。併祀されているのは藤原氏(中臣氏)の同族、大鳥連祖神(おおとりむらじのみおやのかみ)、天児屋根(あめのこやね)の後裔、奈良時代聖武天皇の勅願により行基の開基した神鳳寺(しんほうじ)の鎮守社であった。建物は出雲大社造に次ぐ酷似した古い形式である。

方違神社

(ほうちがいじんじゃ)

方違幸大神(ほうたがいのさちおおかみ)と申し、素盞鳴命(すさのおのみこと)、神功皇后、住吉大神合祀の祭神は仁徳、履中、反正他。

反正天皇陵

(はんせいてんのう)

仁徳天皇第3皇子、履中天皇の弟君、陵の規模は履中陵の6分の1仁徳陵の約20分の1弱少とある。

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