奈良 済美地区社会福祉協議会
第416回
2007年6月のご案内
梅雨の候、うっとうしい季節となりました。京は東伏見深草の里、菖蒲の節句発祥の社、藤の森を尋ねます。ご参加下さい。
日 時 | 6月10日(日) 午前7時50分 近鉄奈良駅地下集合 |
コース | 近鉄奈良駅《8:19発》…近鉄京都行き急行…丹波橋駅乗換え《8:59発》…京阪三条行き急行…深草駅…歩く…ぬりこべ地蔵…石峰寺…宝塔寺…瑞光寺…深草十二陵…沓塚…藤森神社…墨染寺…伏見インクライン址…欣浄寺…撞木町…廓址…伏見駅…近鉄…大久保駅乗換え…近鉄奈良行き急行…近鉄奈良駅 |
費用 | 運賃 : 合計540円 【詳細は以下の通りです】 拝観料 : 石峰寺 250円 |
歩行距離 | 4km余 |
食事 |
雨天の時は弁当の場所有りません。 |
ぬりこべ地蔵 |
歯痛祈願の筆頭で全国から平癒を祈った「ハガキ」が寄せられ、堂内に積まれている塗込めの堂に昔は安置されていたから、この名がある。 |
石峰寺 |
黄檗系の寺で平安中期源満仲が摂津に創建した寺が始め。黄檗の千呆和尚が300年前ここに移建。 本尊釈迦如来。 |
宝搭寺 | 旧寺名、極楽寺。真言律宗であったが鎌倉期、日像上人の説法に信伏した当時の住職が弟子となって日蓮宗に改宗。日蓮・日朗・日像三代の遺骨を納めた塔があることから宝搭寺となった。寺地一万坪深草屈指の寺院である。 |
瑞光(ずいこう)寺 |
孝子として知られ、江戸時代の詩僧。元正上人隠栖地、元正庵と呼ばれ、死後元正の墓は、土盛の上に竹三本を植えた墓標。これは故人の意思によるもので、後に徳川光圀が「嗚呼孝子元正の墓」の碑建立を願い出たが、時の住職が故人の意思にそわないと拝辞したとある。 |
深草十二帝陵 |
鎌倉時代から桃山時代の約350年間の天皇十二帝と栄仁親王の遺骨を安置する。多くの天皇を一箇所に奉葬されていることは、当時の皇室の衰微を物語っている。 |
沓(くつ)塚 |
醍醐寺の開創。理源大師聖宝の墓という。この地は理源大師の隠栖地、元普明寺の旧址とある。大師登天の時、岩上に履を止めた所を履の鼻ということから沓塚という。 |
藤森神社 |
神功皇后、三韓征討後、凱旋その時の旗と兵器を納めたのがこの社の起り。早良親王が蒙古追討に当って、この社に詣で戦勝祈願をされた祭神は神功皇后を主神とし、応仁天皇等十二座を祀る。五月の菖蒲の節句に武者人形を飾るのは、この藤森祭(5月5日)によるものである。 |
墨染(ぼくせん)寺 | (桜寺)秀吉の姉、瑞竜尼は日秀上人に帰依し、秀吉も上人を厚遇し、一宇を建立したのが始まり。境内の墨染桜は平安の歌人「深草の野辺の桜、心あらば今年ばかりは墨染に咲け」とうたったことから、その名が寺名、地名となった。 |
伏見インクライン址 | 大津から京(蹴上)町を流れる疎水の運搬船を陸船で渡した所。 |
欣浄(ごんじょう)寺 | 伏見大仏といわれ、丈六の毘盧舎那仏、三如来を一体とした阿弥陀像等安置されている。この地は深草少将屋敷宅址といわれ、これより少将山科の小町のもとへ通ったとの伝説の地、庭に姿見の井戸又は涙の水の井戸・少将小町の塔がある。 |
撞木(しゅもく)町廓址 | 桃山時代設けられた廓「志もく町」の址。元禄・宝永の頃、最も発展した大石良雄が山科に隠栖中しばしばここ撞木ちょうの笹屋で同士と密談した所。 |