奈良 済美地区社会福祉協議会
第419回

2007年9月のご案内
初秋とはいえ未だ暑さ去り難く皆様のお暮らし如何ですか。今月もご参加下さい。平安京貴族の別荘の地、山科の里を探訪します。

日 時

9月9日(日) 午前7時50分 近鉄奈良駅地下集合

コース

近鉄奈良駅《C8:19発 急行》=京都=(JR)=山科…(歩く)…四ノ宮地蔵・徳林庵(人康親王供養塔)…(歩く)…十禅寺・人康親王墓…(歩く)…諸羽神社…(歩く)…疎水…(歩く)…瑞光院…(歩く)…毘沙門堂…(歩く)…双林院…(歩く)…当麻寺…(歩く)…山科=(JR)=京都=(近鉄)=奈良

費用

交通費 : 奈良〜京都 近鉄610円(片道) 京都〜山科 JR180円(片道)  往復1,580円

拝観料 : 毘沙門堂500円 (団体450円) 他に瑞光院・当麻寺 線香料     

歩行距離

3km余

食事

食堂ありません、弁当・お茶ご持参下さい。雨天の時も同じ。

雨天の時は寺院内の場所拝借します。晴天のとき公園で。




徳林庵
(とくりんあん)

(四ノ宮地蔵)京六地蔵の一つ。本寺徳林庵より有名で徳林庵は54代仁明(にんみょう)天皇の第4皇子、人康(さねやす)親王の菩提寺。山科地蔵とも云われる。

(人康親王供養塔)南北朝時代の建立、親王は28才で盲目となり出家、ここ山科に隠栖(いんせい)42才で薨じた。琵琶の名手で琵琶の祖。江戸時代、毎年検校(けんぎょう)位をもつ盲人が、全国から集まり、琵琶を演じ親王の菩提を弔った。また、この供養塔は蝉丸とも云われる。

十禅寺
(じゅうぜんじ)

親王の山荘内にあった一宇。親王の墓が裏手にある。

諸羽神社
(もろはじんじゃ)

平安初期の創祀。天児屋根命(あめのこやねのみこと)・天太玉命(あめのふとたまのみこと)二神を祀ることから諸羽神社となった。
山科4番目の社であることから四ノ宮とも、その後、八幡神(はちまんしん)・伊奘諾(いざなぎ)・素盞鳴(いざなみ)・若宮八幡を配祀されて諸羽神社の名となった。

瑞光院
(ずいこういん)

赤穂浪士縁の寺。長矩公(ながのりこう)の供養塔と46士の遺髪墓、良夫の愛木、梅の古木が有。浅野家別邸の地である。

毘沙門堂
(びしゃもんどう)

伝教大師の開基。平安中期廃寺となっていた。平等寺・尊重寺・護法寺の三つの寺を再興された寺である。元出雲路にあったことから出雲寺とも号す。親王の入山により門跡寺院となった。動く襖絵で有名。

双林院
(そうりんいん)

毘沙門堂の塔頭。山科聖天を祀る。明治時代の門主、遵公親王の念持仏大聖歓喜天を始め戦国時代の武将が奉納した聖天像70数体が合祀されている。

当麻寺
(たいまじ)

本尊、阿弥陀像(木像寄木造)黄金仏は丈6の巨像が安置されている。又、この本尊は像高2.67メートル漆箔定印の結跏趺坐とある。又、平安時代とある。
その他 この地は藤原鎌足(仲臣氏)の元居住地。飛鳥時代に飛鳥に移り、山階(やましな)寺は、鎌足の邸宅跡が仏寺となって飛鳥に移り厩坂(うまやさか)寺となり、平城京(奈良)に移されて興福寺となった藤原氏の氏寺の旧地で、その後公家となったが神主の系統であり、春日大社は藤原氏の祖神、天児屋根尊を祀る社。その為、代々の宮司に藤原氏が多い。現宮司、葉室(はむろ)氏も藤原氏の系統である。又、この地は平安京時代公家の別荘地であった。
山科駅前の「奴(やっこ)茶屋」は、旧東海道に設けられた腰掛茶屋で、弓・刀・槍など店先に飾って往来する旅人のため茶店を設け、旅人の護送に当ったので人は奴茶屋と呼んだ。和の宮の降嫁、又、明治天皇東行の時鳳輿を止められたという。
又、瑞光院前の道路にそった近くに、そば処「安兵衛」がある。堀部安兵衛の子孫とある。

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