奈良 済美地区社会福祉協議会
第426回

2008年4月のご案内
桜花爛漫の候とは申せ春も終末、初夏を彩る牡丹咲く寺石光寺と当麻寺界隈の史跡を訪ねます。皆様お誘いあってご参加下さい。

日 時

4月27日(日) 午前7時50分 近鉄奈良駅地下集合

コース

近鉄奈良駅(@8:05発)=(近鉄)=西大寺(@8:12発)=橿原神宮前=盤城…(歩く)…伊麻女史跡…(歩く)…虎女の旧蹟…(歩く)…綿弓塚…(歩く)…当麻蹴速塚(相撲館)…(歩く)…当麻寺…(歩く)…中将姫墓…(歩く)…傘堂…(歩く)…石光寺…(歩く)…二上神社口=(近鉄)=橿原神宮前=(近鉄)=奈良

費用

交通費 :  奈良〜盤城(近鉄) 610円  (片道)

        ※往復同額で1220円

拝観料 : 奥院300円(団体30名以上1割引 50名以上2割引)

       護念院300円

       石光寺400円(団体1割引)

※小銭10円玉ご用意下さい。(団体割引利用時のため)

歩行距離

4km

食事

すし売店あり。弁当ご持参の方お茶お持ち下さい。




孝女伊麻の史跡

昔、病弱な父への孝行に生涯を尽くした伊麻の孝子の碑、本朝24孝の一つ。

大磯の虎女(とらめ)の旧蹟

(草庵跡)

建久2年、鎌倉時代曽我兄弟が、父の仇討を、富士の裾野で果たし、討ち死にした兄の方、曽我十郎祐成(すけなり)の愛人が、ここ古里において尼となり庵を結び十郎の菩提を弔った所。

綿弓塚(庄屋甚四郎屋敷跡)

松尾芭蕉の門人・千里の邸に宿を取った時詠んだ句を記念して、江戸後期200年前に建てられた句碑で、芭蕉は江戸前期から中期、今から300年余前の俳人で伊賀上野の人、庄屋甚四郎邸とあるが、孝女伊麻は父を養うためこの家に奉公していた、西へ100メートル程南側に伊麻の家があった。

当麻の蹴速(毛速塚)

第11代垂仁天皇の御世(大和時代)天皇の前で出雲の野見宿禰(のみのすくね)と当麻の蹴速と相撲の天覧試合をし、蹴速が負けて腰骨を蹴折られ死んだ、この地は蹴速の里で相撲の取り組んだ場所は桜井市穴師の大兵主神社(ひょうずじんじゃ)で、この碑の近くに相撲館(けはやかん)があり、土俵や相撲に関係したものが展示されている。

当麻寺

第31代用命天皇の皇子が河内交野に建立した法蔵院。その孫当麻真人国見(たいまのまさとくにみ)が役行者(えんのぎょうじゃ)の縁の地に移し、氏寺とし、禅林寺と改称されたが当麻氏の氏名から当麻寺と呼ばれた。

中将姫墓(十三重塔) 墓との伝説あり。
傘堂 真柱は一本のみで宝形造り、屋根瓦の総欅造り(そうけやきづくり)江戸時代始めこの地の郡奉行(こおりぶぎょう)吉弘総家(よしひろのりいえ)が主君郡山城主・本多政勝の没後、菩提を弔うため340年前、位牌堂として建てた。
石光寺 第38代天智天皇の御世1300年余り昔、土地から光が出ていたので掘ると、光り輝く弥勒三尊の石碑が出た、勅命により役小角(えんのこずぬ)が堂を建て石光寺とした。中将姫縁の寺で蓮糸曼荼羅(はすいとまんだら)の糸を染めた染井があり寺を染寺という。

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